デビュー前③ シオサイと確執
since1999~
バルデビックも下火になった頃、私は次のメイン機種に某B店のシオサイ30を考えていました。
*A店はグランドオープン前
この機種なら設定判別&通常時・ビック中の技術介入難易度も容易で私にも出来たから。
早速、実践開始…
意気揚々とシオサイを打ち始め見事に設定5をゲット!
しかし…
私はシオサイをナメていた
5万打ってビック4回しか当たらず、辛くてヤメてしまいました。
コンテストを打っていた時はここまで当たらないことはありませんでした。
夕方頃ではそのぐらいの投資はあったのですが…
その日はまず反省、せっかく判別して見つけても、ヤメてしまっては判別する意味がありません。
次回からはもっと覚悟しなければ…
私はスロットをナメていたのでした。
機械割が約110%あるかないかの台が常勝であるはずがなかったのです。
まだ経験が浅い私は明らかに勉強不足。
これからもこのようなことは日常茶飯事、次はどんなに辛くとも打ち切って少なくとも8000回以上は回して期待値をとらねば…
このままでは弟が言っていたとうりの結果になってしまう。
そんなことは絶対に嫌でした。
今日のヘタレヤメは絶対に忘れられない屈辱。
技術介入うんぬんどころではなくなりました。
この時期、B店のシオサイは設定6もゴロゴロしていました。
沖スロ特有の設定変更形跡もバッチリあり、探すのは容易なことです。
覚悟をして望んだ次回からは、ほとんどが設定6で安定した期待値をとれるのでした。
《設定6はこんなに安定するのか!》
シオサイの設定6の機械割→約116%の凄さを日々体感するのでした。
それと気になることがもう一つありました。
それは設定変更形跡のこと…
これはビック終了後と同じ状態なのでこのまま判別できるのでは?
このことをドラゴン先生と弟に言うとイマイチ無反応…
しかし、1回転回されたとしてもそれを仮定して朝一から判別できるのでは?
こんなことを思って試してみると…
私の仮定は当たっていました。
今までこんなこと気づかないなんて…
生意気なのかもしれないが
《プロとして恥ずかしくないのか?》
と、本気で思ってしまった。
彼らは自分が‘できる’ことで有頂天になっていたのだろう。
私達グループは恐らくこれをキッカケとして減算値の搭載されている機種の設定変更を見分けるセルフサーチへとつながっていきました。
雑誌へ掲載されたのはこの時期より数年後。
どんなにいいものを持っていても磨かなければ光らない…
私にとってはそんなことを体感した事件でした。
しかし、彼らは全く認めようともせず反省すらしなかった。
それどころか、おのおの自分で気がついた的なことにもなっていました。
私は特許があるわけでもないので、どうでもよかったのですが、どれだけ目押し力やセンスがあっても
《自惚れがあっては勝負にならないな》
とつくづく思うのでした。
申し訳ないことなのですが、そんな所ばかりが目についてしまう…
しかし、反省ができなければ修正は難しい。
いずれ破滅が待っているのも明白。
私はこのような反面教師に色々と教わって今があるのだろう。
このシオサイの設定5の機械割のことでドラゴン先生と弟は険悪な雰囲気になっていきます。
弟の主張は
〈104%程度しかない設定5を打つべきではない!〉
実際には
〈機械割の低いシオサイの5を打つのは馬鹿だ!〉
的な発言でドラゴン先生と対立していくのでした。
弟の機械割というのは当時の雑誌等に記載された情報です。
実際は、フル攻略により約110%ぐらいになる計算でした。
弟は雑誌等の情報を鵜呑みにしていたのです。
正直くだらない論争ですが一生懸命打っているところで
‘これを打つ奴は馬鹿だ!’
と言われたら、誰でも腹が立つでしょう。
私も腹立たしいことに違いはありませんでした。
しかし、この時はどれだけ論争しようが、全く認めようともしません。
既にシオサイの設定5を何度も打ち、確率どうりぐらいで当たり、機械割を計算したら約110%になっていました。
それでも認めようとしません。
それ以外にも
〈あの台は二度と打たない〉
〈あのホールには二度といかない〉
などと言っておきながら次の日には
‘打たないはずの台を打ち’
‘行かないはずのホールにいる’
正直、プロとしてはあるまじき行為。
こういった矛盾だらけの行動がドラゴン先生の反感を買ってしまうのでした。
そんな経緯からのシオサイである。
設定5を打つのは‘馬鹿だ!’発言をしときながら、彼は打っているのである。
これには私も本当に腹が立ち、聞くと
〈やるのがないから仕方なく…〉
そんなことは理由にならないだろう。
ドラゴン先生とはもう絶縁状態でした。
しかし、これは自業自得。
これから先も彼は似たようなことを繰り返し、それを正当化する言い訳をし続けるのでした。
その結果、他グループ・後輩達とも関係性を悪くし、孤立気味。
この事件以降、彼らはホールで会っても話もしません。
この時期はドラゴン先生を支持するメンバーが多かったので弟は1人、他のホールへと行くことになっていくのでした。
《俺はどこでもやっていける》
そんな捨て台詞を残して。




