2話 誰ぞその、明定はすぐそこ
※冒頭よりいじめや偏見、差別のような描写あり。
ーあいつまた1人駄々をこねて先生を困らしたらしいぜ
ーこないだは他のクラスの子と取っ組み合いして、その子のこと泣かしてたらしいよ
ーあの子って乱暴だし、我儘だよね。
ーママがあの子みたいな悪い子にはなるなって言ってた
ーあいつ抜きで遊ぼうぜ
ーお母さん疲れてるのよ。…ごめんなさい、今は付き合ってあげられないわ。
「ごめんなさい…ごめんなさい」
「悪い子じゃなくて…いい子でいるから」
「1人にしないで…」
「|私を……、てよ」
*
*
*
ちゅんちゅん
「ーんっ……、へ???」
毛布を勢いよくはいだワインレッドの髪を靡かせた女性は放心したように自身の周りの煌びやかな装飾のついた天蓋付きベッドをまじまじと見る。
「え?え?…どこ、ここ?」
見覚えのない場所に怯えたようにベッドの隅まで身体を寄せた女性は、そのままベッドの外に手を滑らせる。
ごっん!!
「ーっいたい」
落ちた拍子にぶつけた腰を摩りながらベッド脇のサイドラックに手をついた際に何かを握る。
それは豪勢な装飾のされた手鏡のようで、女性はその鏡に映った自身の顔をみて絶句する。
「ー誰?!」
バン!
「どうなさったのです?!」
勢いよく扉が開け放たれ、年配の女性が部屋に飛び込んでくる。
「?!」
「まぁ何故ベッドから起き上がっているのです!昨夜貴女は階段から転倒して、頭を強く殴打されたばかりなのですよ!こんな時までも好き勝手動くのはやめてください!」
「は、はい」
年配の女性の勢いに押され、ボアと呼ばれた女性は要領を得ぬまま条件反射のように小さく返事をする。
だが、その小さな返事を聞いて年配の女性ーーボア・ミシュナ・ヘンリッジの侍女を10年以上勤めているマグノリアは信じられないものをみる目で、目の前の主人であるボアを訝しげに見た。
「ーまだご気分が優れないのですか?」
「え?」
「いつものような威勢が感じられないようなので」
そう言ってマグノリアは失礼しますと一言断り、ボアのおでこに自身の手の甲を添えた。
「熱などは出ていないようですが、やはり激しく頭を打たれたので本調子とまでいかないのでしょう。家医がそろそろ来るかと思いますので、今はベッドでおやすみくだい」
マグノリアはそう言ってボアの肩に手を回し、ベッドへ移そうとするが、ボアの身体は固く床に腰を縫い付けられたままだ。
「あ、あの…」
「?」
「わ、私…一体誰なんですか?」
「はい?」
今度はマグノリアの方が身体を固まらせた。
主人は頭をぶつけて可笑しくでもなったのかと戸惑っていると、マグノリアのスカートの裾をボアが強く握る。
そして潤んだ目でマグノリアを見る。
「ー私は…枕木胡羽と、言うんです!」
「???」
「ここは一体どこの国なんですか?私高校生なんですよ?…あ、アイムジャパニーズなんですよー!!」
ボア・ミシュナ・ヘンリッジーーいや中身は令和の女子高校生・枕木胡羽の断末魔がその日ヘンリッジ邸にこだましたのだった。
*
*
*
「ーねぇ。例の患者さん大丈夫かしら?」
「あー201号室の患者さん?」
「そうそう。―なんでも覚醒して早々に怒り狂ってたみたいじゃない」
「そうみたいね。せん妄かと思ったけど、まだ若い女子高校生の子だし、落ち着いて話すとハキハキとちゃんと喋れてはいたみたいだけど…」
「でも自分の名前が言えなくて、外国人名で言っていたらしいじゃない。なんというかキャラクターになりきってるのか分からないけど、喋り方も変よね」
「確かにそうね。令和で"ごめん遊ばせ"なんて初めて聞いたもの。きっと覚醒ハイになっているのかもしれないわね」
そう看護師たちが噂をする201号室の患者こと枕木胡羽ーー中身はボア・ミシュナ・ヘンリッジは最初こそ取り乱しはしたが、その怜悧な頭脳と今までの奇想天外な出来事を通じて今の現状を冷静に分析し、ある程度の把握はできていた。
ここが日本と呼ばれる異国の地におり、頭を怪我して、療養所に運ばれ、枕木胡羽と呼ばれる女子の身体になっているということを。
(以前もどこぞの祈祷師に猫と魂を入れ替えられたことがあったわね。あの祈祷師まだ懲りてないのかしら…戻ったら前回よりももっと派手なお礼をしなきゃならなさそうね)
そうため息をつき、胡羽の姿をしたボアは窓の外を見たが、部屋に近づく数人の足音に気づき視線を窓から外す。
「ー胡羽!あーよかった!本当によかった…」
そう涙声を出してボアを抱きしめに来たのは、胡羽の母・枕木美恵だ。
「お母さん、ほんっと心配したんだから」
(この女がこの娘の母、ね)
自分を涙を流して抱く母という女性にボアはその肩口から顔をだし、凪いだ目で天井を見つめた。
(随分と愛されているのね…まぁ、中身が本物娘でもないとも知らず滑稽なことだけれど)
「胡羽さんは頭を強くぶつけたせいか軽い記憶障害があるようですが、CTや脳波を見た限り異常はなさそうなので一過性のものかと思います。明日午前中に退院として、再検査を1週間後に入れましたので…お母様もお疲れ様でした。今日はゆっくりお休みになられてください。」
同行してきた医師が枕木親子にそう告げた。
母親は涙ぐみながらその言葉に頷き、再度胡羽の身体を強く抱きしめると明日迎えに来るねといい病室をあとにした。
(ーーいつまで続くのかしらね。この茶番劇は…)
そうボアは1人になった病室で今度は深いため息をつき、窓の外の夕暮れのオレンジに染まる見慣れない街並みを静かに眺めるのだった。
*
*
*
「ボア様は起きてから様子が変らしいわよ」
「朝から叫ばれていたものね。何かに取り憑かれたのじゃないかしら」
「頭をぶつけられたせいで頭の機能を悪くしたのではと家医が言っていたらしいわ」
「まぁそれなら大変じゃない。そのせいで気が触れた方なんて思われてしまったなら、このお屋敷の沽券に関わりそうだし…きっと旦那様のご対応はもっと厳しくなりそうよ、ね」
くすくすと何やら薄ら笑う侍女たちの声を背景にボアーー胡羽はテラス窓から外の景色を眺めていた。
大きな庭には薔薇と言った色彩鮮やかなの花が咲いており、緑の少ない都会育ちの胡羽の目には新鮮に映った。
そんな主人の様子を少し後ろで控えていたマグノリアはまた訝しげに見つめた。
(いつもなら侍女達の声を目敏く拾って叱り飛ばすなり、皮肉を言うものなのに…やはり気でも触れたのかしら)
そうマグノリアは冷ややかに、呆れたように覇気のない主人の背を見守る。
だが胡羽の頭は猛烈に稼働していた。
胡羽も自分の置かれた状況を把握していたのだ。
|ここはよく知る自分の好きな小説・「令嬢と華たち」の世界なのだと。
そして自分は推しにも近い感情を抱いていた悪役令嬢であるボア・ミシュナ・ヘンリッジに憑依しているのだと。
(どこぞのラノベ展開?!ありえなすぎる!ありえなすぎる…けど…)
胡羽は窓に反射する自分に従う侍女のマグノリアを見てお腹を抑える。拒絶と戸惑いを表すように胃がキリキリするのだ。
ー貴女様はヘンリッジ公爵様の義娘、ボア・ミシュナ・ヘンリッジですよ?…頭を打たれてお忘れになられたのですか?
パニックでアイムジャパニーズと叫んでいた胡羽へマグノリアは戸惑いながらもそう告げてきた。
その言葉を聞いた時に胡羽は逆に何を言ってるんだこの人と相手の正気を疑うように怪訝な顔をした。
そんな胡羽などお構いなしにマグノリアは大人しくなったの好機とばかりにベッドに胡羽を力技で乗せると、あれやこれよと支度の準備を整え始めたので、胡羽はそのまま宇宙猫よろしくベッドで放心していた。
気づけば朝食が目の前に置かれ、混乱していても美味しそうな匂いを嗅げば腹は鳴るようで、そのままおずおすと朝食に口をつけ、気づけば昼も傾く時間になっていた。
コンコン
そんな胡羽が胃を痛めている折に、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
扉から若い侍女が顔を出す。
「ー失礼します。ダリル・グルセウス様がボア様のお見舞いにとお立ち寄りくださったそうなのですが…」
「ダリル・グルセウス!?」
思わず胡羽はその名を聞いて勢いよく振り返る。
「ーさすがに許婚の方は覚えておられるのですね」
「え?あ、勿論…もちろんよ〜…」
どこかそわそわとする胡羽を肩眉を上げて怪訝に睨むマグノリア。
胡羽は知っているも何もボアと同等に好きなキャラの1人であったグルセウス公爵家の長子であり、ボアの許婚のダリル・グルセウスの名に好き心故の条件反射で反応してしまったのだ。
(で、でもどう振る舞えばいいんだろ…)
カツ…
(それか正直に事情を話して助けてもらうとか…)
カツ…
(いや、でもお前何言ってるんだって思われそうな気が…)
カツ…
「ー返答が遅い。入るぞ」
「ーって、グルセウス様いつの間に?!」
バタン!
胡羽が思考をぐるぐるとしていた最中。
部屋の扉は無情にもダリル・グルセウスその人によって強引に開け放たれたのだ。
「ーボア」
烏色の髪に冷静さと知性を備えたブルーグレーの瞳が胡羽、いやボアの輪郭をその目に爛々と捉えていた。
胡羽はその圧倒的なオーラと端正な容姿に思わず魅入り、息を飲むことしかできずにいたのだったーー。




