7-5:月明かりのふたり
あの後、どうやって家まで戻ってきたのか、あまり記憶がなかった。わざと明るく振る舞いながら夕食を済ませ、エフィは自分の部屋のベッドに倒れ込んだ。
ベッドは柔らかく軋んでエフィの体を受け止めてくれる。それでも、心は揺れ動いたままだった。
ルーカスのことが、頭から離れない。
あの時、ティアを引き留めていたら、何かが変わっていたのだろうか。そんなことばかりが浮かんで、消えた。
理由もなくごろりと寝返りを打つ。全く眠れる気がしなかった。
遠くから聞こえる歯車の音に混ざって、軽い足音が聞こえてくる。誰かが、部屋に近付いてくる。
「……エフィさん」
続けて、扉の外から控えめな声が響いた。エフィはぱっと起き上がり、扉を開ける。
そこには予想通り、ネグリジェ姿のミラが立っていた。彼女の表情は、昼間遊園地に行った時とはまるで違う。
「ふたりで、お話したい」
頷いて、ミラを部屋に招き入れる。いつかルーカスが座っていた兄の椅子を引っ張り出し、そこに座ってもらった。
エフィ自身は彼女と向き合うように、ベッドに腰掛ける。
ミラは最初、何も言わずに俯いていた。床の木目を辿るように、視線が彷徨っている。エフィも何も言えなかった。
窓を叩く風の音だけが響く。
どれだけ、そうして向かい合っていただろうか。
「兄さんのこと」
ぽつりと、ミラが切り出した。
「昼間の、驚いたでしょ」
「……うん」
エフィが答えると、ミラはストロベリーブロンドの髪を手櫛で梳いた。双子の姉とよく似ているが、長さは全く違う。
「兄さんは、ティアが死んだって……信じてるから」
「そういう、予言だったから?」
エフィが言うと、ミラははっと顔を上げた。翠の瞳が、めいっぱい見開かれている。
「エフィさん、知ってた?」
「……なんとなく。前にね、ルーカスとティアのことを話したことがあったんだ。その時に、本人から聞いた」
ミラが大きく息を吐く。
「兄さんは、ティアが『失われた』って記載から、死んだんだって信じてる。生きてる可能性なんて、全然考えてない。だから……」
目の前にいる少女は、何かを堪えるように体を縮こまらせている。
「今日みたいに、疑いもしない」
「……うん」
震えているミラの手に、そっと触れた。その指先は冷たい。エフィは包み込むように彼女の手を握る。
「……もしも、ティアが生きていると知ったら。きっと、兄さんはすごく……喜ぶけど、同じくらい辛いと思う」
『妹の死』を受け入れられなくて、逸脱者になったルーカス。でもその『妹の死』そのものが、予言の解釈によるものだったとしたら——予言に抵抗しているつもりで、誰よりも予言を盲信していた自分の矛盾に気付かされることになる。
その時、ルーカスはどうするだろうか。
彼のことを想像したら苦しくなって、エフィは浅い呼吸を繰り返した。
「でも」
自分に言い聞かせるように、強く言葉を放つ。
「いつまでも黙ってはいられない、よね」
「エフィさん……」
ミラが、エフィの手を強く握り返した。月明かりだけが照らす部屋の中でも、ミラの顔から血の気が引いたのがわかる。
「……ティアを、取り戻さなきゃいけないから」
遊園地で出会ったティアは、明らかに様子がおかしかった。
ミラのことを覚えていないような言動を繰り返した上、何らかの力でエフィの行動を封じてきたように見えた。
そんな彼女をどうやって取り戻すか、まだ方法はわからない。それでも、エフィは避けるつもりはなかった。
「飛行船の上で、ミラと約束したでしょ?」
「……エフィさん」
(それに、このまま放置するのは……ルーカスのためにならない)
何も知らなければ、彼は平穏に生きていける。
しかし、エフィはそうしたくなかった。
ルーカスに、ちゃんと妹ふたりと生きていって欲しかった。
それが、自分の我儘だとしても。
「……うん」
ミラの声が、低く沈んだ。年端もいかない少女のそんな姿に、エフィの胸がきゅっと握られたように痛む。
(どうしたら、ルーカスをなるべく傷付けずに済むのかな……)
考えてみるが、浮かぶのは今日のルーカスの顔ばかり。良い案は浮かばなかった。
「エフィさん」
ミラに名前を呼ばれた。その直後に、柔らかいぬくもりが飛び込んでくる。受け止めきれなくて、エフィはベッドに背中から倒れ込んだ。
花のような、甘い香りが漂う。
「兄さんが、心配」
エフィにぴったりくっつきながら、ミラが言う。その声はどうしようもなく震えていた。エフィは彼女の柔らかな髪を、ゆっくりと撫でる。
「……うん」
「わたし、どうしたらいいかな」
「……わからない」
答えながらも、手は止めなかった。ミラも顔を上げない。エフィに体重を預けたまま、彼女は黙り込んでしまった。
いつもは気丈に振る舞うミラだが、まだ12歳なのだと気付かされる。兄を失ったら、ミラを守るものは何もなくなってしまう。
――かつての、エフィと同じように。
「でも、私が……側にいるから。二人の側に」
ミラが、微かに頷く。
そのまま、ふたりはじっとしていた。
静かな月明かりの下、彼女から規則正しい寝息が聞こえてくるまで、エフィはずっと少女に寄り添っていた。
ティアのことをエフィが知っていたとわかれば、彼に軽蔑されるかもしれない。
それでも、兄妹の再会を願わずにはいられなかった。




