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7.太田記念美術館

 すっかり忘れていたが、私達は夏休みに入ったのであった。夏休みなぞ、どうせプールだの花火大会だの部活動の合宿などで、大切な長期自習期間をふいにする輩がムカデの如くうじゃうじゃと湧くと冷笑していた。しかし、まさか私もその一端に成り下がろうとしているとは。

 いや、断じて私はひと夏で恋愛に身を捧げるセミのごとく、不純異性交遊をしようとは思っていない。真中ひかりの死の真相を探るという、社会的に意義のある活動を…

「守殿くーん。こっちこっち」

 神社で待っていた禰宜ひかりは、白いキャミソールに短いジーパン姿で、麦わら帽子を被っていた。

「…」

 これは言い訳ができない。第三者が見たら完全に…

「青春、ってやつだのぉ」

 うっとおしい狐を私は振り払った。見方によっては、この狐がいることで私は虫けらに身を落とすことはなくなったわけだが…それでも腹が立つ存在である。

「さぁて、禰宜まつりよ。価値のあるものを出してみよ」

「はーい!じゃじゃーん!」

 禰宜まつりが出したのは、手のひらサイズの狐のぬいぐるみキーホルダーだった。

「ぐふっ…」

 私は思わず吹き出した。さすが禰宜まつり、いい仕事をしてくれた。

「この狐の形の綿の中に、我を入れるつもりか?!」

「ふふふ。このぬいぐるみ、ただのぬいぐるみじゃないんだよ!伏見稲荷大社の近くのお店で、お土産に買ったぬいぐるみなの!」

「総、本、山、だと…?!」

 よく見ると、きつねのぬいぐるみは首から「伏見稲荷」という木の札を付けていた。

「きつねさんにピッタリでしょ?」

「ううむ…伏見稲荷か…許してやろう」

 許してやろうという割に狐よ、ニヤニヤしているぞ。霊験あらたかでもないただの観光土産だというのに。呆れていると、狐は一瞬私達の前から姿を消した。

「よし。成功である」

 狐のぬいぐるみから声がするのは不気味だった。しかし、禰宜まつりはそうではないらしい。「すごい!」とひどく喜んでいる。女子とはそういうものなのか。



 初めに目を付けたのは、リストの上の方にあった太田記念美術館だ。かの有名な冨嶽三十六景の多くを所蔵しているらしい。個人的には少し興味をそそられるが、女子と行くにはだいぶ渋い。

「冨嶽三十六景ってよく聞くけど、見るのは初めてだな~。三十六枚あるなら、一枚くらい見ていても良さそうなのに」

「冨嶽三十六景は四十六図ある。ちなみに、版画だから数はあって、世界中に点在している」

「えっそうなの?」

 意外と知られていない事実である。私も初めて聞いたときは驚いた。

 都合のいいことに現在展覧会がやっていて、シリーズ全四十六展を一挙に公開しているらしい。真中ひかりが見たがってもおかしくない状況に、私は期待を寄せた。

 しかし、禰宜まつりは違うようだった。

「ひかりが日本画好きだなんて聞いたことないなぁ。ここに居るイメージないかも」

 そうは言っても、リストにあるうちの一つなので行くしかない。私と禰宜まつりは太田記念美術館へ向かった。

 太田記念美術館は、原宿駅表参道口から徒歩五分という便利な場所にある。実際は竹下通りや表参道通りをお喋りしながら歩いている女子や、初めて原宿に来て舞い上がっている奴らが多いので、五分やそこらで着きやしないのだが。

 私達は駅を出ると表参道を歩き、途中のアルテカプラザを左に曲がって細い道に入った。裏路地のような場所でも人がいる。さすが大都会、さすが観光地。

「守殿くん、道案内ありがと。あたし原宿来たことなかったから、こんなに人がいるなんて知らなかった。帰りに竹下通りとかも寄ろうかなと思ってたけど、ちょっと無理かも。暑いし」

「竹下通りで何がしたいんだ?」

「え?なんか有名でしょ?一回行ってみたくない?クレープ食べたり、お洋服見たり楽しそうだなぁって思ったんだけど」

 禰宜まつりは少し頭が弱いが、ごくごく普通の感性を持っている女子高生だった。分かりやすく原宿に来て浮かれている人間を馬鹿にしたことを、私は少し反省した。

「既に十分可愛い服を持っていると思うから、こんな暑い中行かなくてもいいんじゃないか?」

「えっ?今日の服可愛いって褒めてくれてるの?」

「えっ、いや、まぁ、そうとも言えないような」

 特に何も考えずに発言してしまったことを後悔したが、禰宜まつりが嬉しそうなので、コミュニケーションに失敗したわけではないようだ。それにしても今日は暑いな。



 冨嶽三十六景の特別展があったことで、太田記念美術館もひどく混んでいた。安くないチケットを買って鑑賞したが、とても落ち着いて観られる状況ではなかった。

 さて、私達は冨嶽三十六景を見に来たわけではない。真中ひかりを探しに来たのである。鑑賞もそこそこに、私は狐を起こした。

「おい、真中ひかりがどこにいるか分かるか?」

「ううん…煩くてとても眠れやしなかったわ」

「真面目にやれ。真中ひかりを私達は探しに来たんだ」

「いないのぉ」

 早く聞けばよかった。そうすれば、わざわざ高いチケットを買わずに済んだだろう。

「ひかりは小説の中で、何を盗ませるつもりだったんだろうね?」

 それを聞いて私は一つの可能性を考えた。舞台設定と言ったが、舞台設定は場所だけに限られるだろうか。例えば、怪盗が盗む際にトリックを使うことがあるが、そのトリックというのは場所を使ったものに限るか?絵画自体にトリックが仕掛けられているのも、ポピュラーな話だ。

 しかし今回の展示は夏休みという事もあって、常に混んでいる状況だ。落ち着いて観られやしない。つまり、絵画自体を観察するには不向きだが…

「幽霊の真中ひかりは、まだここに来ていないのではないか?」

 それを聞くと、狐は急に禰宜まつりの鞄から飛び出て行った。

「な、お前勝手なことをするな!」

「え?きつねさん!?」

 動くぬいぐるみを見られたら面倒だ。最悪、知らぬ存ぜぬを貫くしかない。

 人混みで狐を探すのは不可能に近いため端に避けて待っていると、狐が戻って来た。

「良くやった。真中ひかりは昨日ここに来ている。『神奈川沖浪裏』の前に痕跡が残っていた。お前らの小説の舞台と言う推理は合っていたかもしれないぞ」

 そもそも、真中ひかりの霊が現世にいた事に私は安堵した。いないものを宛てなく探している訳ではないという事だ。そして、舞台設定の場所へ行っているという予想も、恐らく的中したという事になる。

「すごいすごい!幽霊だから、夜に行けば会えるってこと?」

「いや、夜にはここに入れないぞ」

「夜に行く必要はない。真中ひかりの痕跡は移動し、この美術館の外へ続いていた。この絵の周りだけ強く痕跡が残っていたから、恐らくこの絵が目的なのだろう」

 私達はにわかに興奮していた。原宿の竹下通りも表参道もどうでも良くなっている。

「他に『神奈川沖浪裏』があるところはどこなのだ?」

「都内で言えば…」

 私はスマホで調べた。

「江戸東京博物館」

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