二、レピシア
足元の砂が、ぱちん、と軽い音を立てて跳ねた。
石を投げつけられたのだと気づいた瞬間、体がすくんだ。おそるおそる振り返る。
数人の子どもたちが、険しい顔でこちらに近づいてくる。誰もが眉をひそめ、憎しみに満ちた目でおれを睨んでいた。
「なんでお前がここにいるんだ」
「ここは、お前なんかが使っていい場所じゃないぞ!」
口々に責め立てられて、おれは持っていた器を、そっと井戸の脇に置いた。
「水を……飲んでただけだよ……」
この井戸は、個人の持ち物ではない。村の共有の場所だった。特定の人間は使ってはいけないなどという話は、聞いたことがなかった。
でも、おれは言って、すぐに後悔した。
「お前が使うと、水が生臭くなるだろ!」
「化け物が俺たちの水場を汚すな!」
反論されたと思ったのか、少年たちの目が鋭く光る。瞳の中に強い敵意が燃え上がった。走って逃げようかと考える。けれど、少年たちの手に小石が握られているのを見て、踏みとどまった。逃げたところで、余計にしつこく追いかけられるだけだ。
ぐっと歯を食いしばり、俯いた。
「じゃあ……どこで飲めばいいの…?」
「海で飲めよ。お前、魚だろ」
その声にハッと顔をあげる。おれを取り囲んでいた少年たちの輪が割れた。その間から、ひときわ背が高くて、真っ黒な髪と瞳の少年が、ゆっくりと近づいてくる。手には、鞭のような細長い棒。
この島で一番大きな家の子で、誰よりもおれを毛嫌いしている少年の登場に、息が苦しくなった。間近にきた少年に、軽蔑の眼差しで見下ろされ、胸がギュ……ッとした。
「おい、『レピ』。なんでお前みたいな化け物が、人間のふりして俺たちの村に棲んでるんだ?」
手に持った棒で、トン、と肩を突かれる。
「おい、答えろよ」
「……化け物じゃ、ないよ……」
「レピシアなんて、化け物じゃないか。おまえ、体に鱗があるんだろ?」
少年の言葉に、周りの少年たちがざわつく。「ほんとに?」「気持ちわる……」
「みんなにも見せてやれよ、首のとこ。布で隠してんだろ」
言いながら、首に巻いた布に手を伸ばされて、反射的に叫んだ。
「やめて!」
首を抑えて、飛び退る。
一瞬、大声に驚いたようだったが、すぐに少年の目に怒りが燃え上がった。
(まずい)
直感して、おれは少年とは反対側に走り出した。
「いけ、お前ら! 化け物を捕まえろ!」
背後から、少年が叫ぶ声が聞こえる。背後に迫る足音。振り返りもせず、おれは懸命に足を前へ前へと蹴り出し続けた。
* * *
「……ッ……」
ビクッと自分の体が大きく震えて、目が覚めた。
あたりは闇に沈み、ここがどこなのか、一瞬わからなかった。しばらく呆然と天蓋を見上げていたが、ようやく夢をみていたのだと気づく。大きく息を吐いた。
鼓膜を震わす声も。大地を踏み締めた裸足の感覚も。全てが生々しかった。
当然だ。あれは過去、実際にあったことなんだから……。
額に汗が浮かび、痛いほど喉が渇いていた。水を飲みに行こうと、寝台を囲う天蓋に手をかけた。
「ひっ……!」
月明かりを背に、戸口に大きな影が立っていた。おれの悲鳴に、影があわてたように駆け寄ってきた。
「ごめん、ハルキ。驚かすつもりじゃなかったんだ……」
寝台の脇で跪くと、影は申し訳なさそうにそう言った。
──シノ。
シノだ。おれを『レピ』と呼び、化け物と蔑み、棒で叩いて追い回していた少年。
「大丈夫か?」
心配そうな顔で、手を差し伸べてくる。おれは思わず、その手を避けた。
「ハルキ?」
どくっどくっ……と心臓が不快なほど大きな音を立てている。なんでシノが、そんな優しい目でおれを見るんだ? なんでそんな声で、おれの名前を呼ぶんだ……?
──ああ違う。
これは今のシノだ。誰よりも優しくて、おれを気遣ってくれるシノだ……。
「ご、……ごめん、おれ……変な夢見て、寝ぼけてた」
おれの言葉に、シノがほっと息をつく音が聞こえた。
「怖い夢だったのか? 隣の部屋まで、うなされる声が聞こえてきたぞ」
そう言って、何かを差し出してくる。たっぷりと水の入った玻璃の器だった。ひんやりとした感触が、手のひらに心地いい。思わずシノの顔をみた。
「なんで……いつも、おれが欲しいもの、わかるの?」
シノは口元に微笑みを浮かべ、
「なんとなく? ハルキとは長い付き合いだし」
優しい声で、囁いた。かつて、おれを化け物と呼んだ人とは思えないくらい。
「苦しそうにうなされる声がしたから、起こした方がいいのかなって…。迷ってたら、ちょうど目が覚めたみたいで、よかったよ」
冷たい水が喉を滑り落ちていくと、ようやく気分が落ち着いた。
「起こしちゃって、ごめんね……」
早く戻って休んで、というが、シノは首を横に振った。
「そんなこといいから。ハルキ、本当に大丈夫?」
「うん、だって……ただの夢だから」
「……もしよかったら、もう少しそばにいようか?」
「なに、添い寝してくれるの?」
あはは、と笑って言った。
孤児だったおれは、幼い頃、夜の闇が怖かった。特に、嵐が来た日は恐ろしくて。真っ暗な小屋の中、独りで泣いていた。
そんな日は、いつもシノが家を抜け出して来てくれた。風雨の音に怯えるおれのそばで、寄り添って眠ってくれていたのだ。
「……やめとくよ。もう子供じゃないから」
そっか、と。少し寂しげにいうと、シノは自分の部屋へと戻っていった。
おれは器の中の水を一息に飲み干して、再び横になった。ぼんやりと昔を思い返しているうち、無意識にうなじを触っていたことに気づいた。一箇所だけ、皮膚とは違う感触の部分がある。ツルツルとしたそこを、指で辿った。
──この世には、人と、人ではないモノ……『異種』がいる。
彼らは遥か昔からこの世界にいた。山に、空に、海に。様々な種類のモノたちが、ひっそりと悠久の時を超え、暮らしている。
そんな彼らにとって、たかだか数十年で居なくなってしまう人間などは、取るに足らない小さな生き物だ。しかし、彼らの中には時々、人に興味を持つ『変わりもの』がいた。人を真似た姿をとり、人里に近づいた彼らは、まるで人間のようにふるまうという。そうするうちに、彼らの一部では、人間と心を通わせ、交わる者も出てくる。
見た目はそっくりでも、彼ら夫婦に子が出来ることはない。
しかし、まれに……本当に稀なことに、人と異種の間に子が生まれることがあった。
そういう子供たちは、人間と変わらぬ見た目をしている。しかし、体の一部には必ず、異種の特徴が残ると言われていた。
『レピシア』には、『鱗のある人』という意味がある。かつて大海蛇アズラオスの子孫がそう呼ばれていたという、神話に登場する呼び名だ。
ハルキの体には、鱗に覆われた箇所があった。うなじから尾てい骨付近まで、まるで線を引いたように細く、滑らかで小さな鱗が並んでいる。虹色に輝くそれはまるで蛇のようで……。
ハルキが人と人ならざるものの間に生まれた、証だった。
ハルキは生まれた場所も、親の顔もしらない。赤子の頃、母親と思しき女性と共に、小船でアウレン島の浜に流れ着いたのだという。だが、女性はすぐに息絶えてしまった。
アウレン島の人々は、『子供は海からの大切な授かり物』と考えている。おかげで身寄りもなく、正体も怪しげだったハルキも、『村全体の子』という位置付けで、育ててもらうことができた。物心ついてからは、使わなくなった倉庫を家として与えられ、そこで村人の手伝いなどをして生活していた。
ちなみに『ハルキ』というのは、浜に生えている木の名前だ。その根元に流れ着いた子、ということでそう呼ばれるようになった。
一度だけ、村の祭司がレピシアの神話について教えてくれたことがある。
『人と異種の間に芽吹く子は、とてもとても希少で、愛の奇跡と呼ばれた。人々に幸運を運ぶ存在とされ、どの町でも歓迎された』
……と。
ところが、現実は違った。
鱗があるというだけで、特別な力もなかったおれを、子供たちは囃し立て、石を投げ、棒で叩き、崖から突き落とした。
当時は、こんなものがあるせいで……と鱗を掻きむしってみたりもした。しかし、今になって考えれば、理由なんてなんでもよかったのかもしれない。異物を排除し、仲間意識を強めるための、生贄が必要だっただけで。
その中心にいたのが、シノだった。
体が大きく、発言力もあった彼に気に入られようと、他の子供たちは積極的にハルキをいじめた。
永遠に続くかと思った地獄のような日々……。転機が訪れたのは、突然だった。
シノがある日を境に、豹変したのだ。




