95 あなたは、私の居場所
終始涙は止まらなかったが、動画を見ている間、気がつけばたまきに笑みがこぼれた。
ふと、あの時に戻って、みんなの輪の中に居る気分だった。
動画が終わると、みんながもう居ないという事実に寂しさが去来したが、それでもなんだかスッキリした気持ちだった。
ちとせは子供っぽくて突拍子もないことを思いつく人だったけど、そんな行動力が、思いもよらないものを遺してくれた。
あの頃のみんなに、また会えるなんて……。
不安だったけど、ここへ来てよかった。
そう思って、たまきは梧に感謝を伝えようと、顔を上げた。
……その梧が、PCの画面を見つめたまま、涙を流していることにたまきは驚いた。
「梧さん、どうしたんですか!?」
名前を呼ばれ、梧は我に返るとそこでようやく頬が濡れていることに気づいたようで、ハンカチで拭い始めた。
「……いや」
梧は困ったように眉尻を下げて微笑み、
「…………君の家族に、会えるとは思っていなかったから…………」
と、言った。
それを聞いて、収まったはずのたまきの涙もぶり返してきた。
たまきの家族を見て、そんなふうに泣いてくれるなんて。と、感動していると、梧が腕を伸ばし、抱きしめてくる。
その腕の温かさと、わずかに洟を啜るような息遣いに、愛おしさが膨れ上がってくる。
—————たまきの思う通りで大丈夫だよ!
ふと、ちとせの声が耳元で聞こえた。
—————たまきが選ぶもの、ぜーんぶ!たまきが思う通りにしたら、なんでもうまくいくってこと。
—————だぁいじょうぶだよ。私と慶ちゃんの娘なんだよ?
ずっと母に聞きたかった、もう二度と聞けないと思っていた言葉たち。
なんの根拠もないのに、ちとせの言葉と声は、たまきに勇気をくれる。
たまきは顔を上げて涙を拭った。
「ちょっと、待っててください」と言って、梧の腕の中から抜け出すと、自分のカバンの方へと向かった。
最後に詰め込んだ、二つのリングケース。
それを取り出して、一度胸元に引き寄せた後、一つをポケットにしまった。
たまきはまた梧の隣に戻ってくると、ベッドの上に上がり、梧を正面から見つめる。
何が起きるのかわかっていない梧は、不思議そうな顔をしながらも、同じようにベッドの上に上がり、たまきの正面に正座した。
「……あの、これ……」
たまきはリングケースの一つを梧の方へ差し出した。
「……えっ……?」
梧はそのリングケースを見て、青ざめる。
自分の渡したリングケースだと勘違いし、たまきが返すつもりなのかと思ったのだ。
躊躇する梧に、たまきはリングケースを梧の手に持たせて、
「……開けてみてください」
と、続けた。
「……え?」
受け取った梧は、ますます不安げな表情になりながら、少し緊張をはらんだたまきの顔を確認しつつ、ゆっくりとそのリングケースを開けた。
—————そこにあった指輪は、梧がたまきのために作ったものではなかった。
それよりも太めのリングで、風か波のような流線が彫り込まれている。
中央には、深い青のサファイアが収まっていた。
梧には、何が起きているのかわからない。
渡したリングケースの中身が、変わってしまうマジックを見せられているのかと思った。
「受け取って、もらえますか?」
たまきのその言葉を聞いても、まだ意味がすぐには飲み込めなかった。
だが、次第に理解が進み始める。
「…………君が、俺のために?」
梧が驚いた顔で言うと、たまきは恥ずかしそうに頷いた。
「……梧さんに、先越されちゃったんですけど……、私も霞さんたちにお願いしてたんです」
「全然、知らなかった……」
そう言うと、ふっとたまきは笑って、
「“お客様の秘密は言えない”そうです」
と、梧が指輪を用意していたことを教えてもらえなかった時の霞の答えを思い出しながら言った。
「……それも、そうか」
まだ驚きから抜けきらない梧は、呆然とした顔のまま納得する。
「……受け取って、もらえます?」
返事をもらえていなかったたまきが、もう一度言った。
先ほどよりも、少し自信がなさげだ。
梧は驚きすぎて、きちんと返事ができていなかったことに気づいた。
「もちろんだ」
すかさず答えると、たまきの表情が、ほっと緩む。
ネックレスを渡す時、受け取ってもらえるだろうかと梧も緊張して、不安だった。
指輪の時は、自分が刻んだたまきへの想いが重すぎるんじゃないかと、どちらかと言えばどさくさに紛れる形で、有無を言わせず渡してしまった。
しかも、拒絶されないように「焦る必要はない」とか「無理はしないでくれ」なんて言い訳を並べて……、今考えると情けない話だ。
たまきはこうして、正面から渡してくれたと言うのに。
たまきは「待たせてごめんなさい」と言いながら、ずっと誠実に向き合ってくれていたんだ。
「……梧さん」
梧の思考を遮って、たまきが梧の名前を呼んだ。
無意識に俯いていた顔を上げると、たまきが真剣な顔をして、背筋を伸ばした。
「……私、ちゃんと考えて、決めたんです。この先のこと」
たまきは決意を固めたように、笑みを浮かべた。
さっき見た動画の、たまきの母の笑顔と似ていた。
たまきの芯にある明るさや強さは、きっとあの母親譲りなのだ。
時折見せる心配性で不安がちなのは、父親譲り。
確かに、たまきの中に彼らが生きているのだと、梧は実感した。
たまきが“梧と両親が似ている”と言うとき、こんな気持ちなのかもしれない、と思った。
「梧さんは、私の居場所です」
その言葉に、梧の心臓が震える。
「……私の大学卒業と同時に、結婚してください」
そう言ってたまきは、リングケースを持っている梧の手を両手で包み込んだ。
梧は耐えきれず、たまきから顔が見えないように俯いた。
「……本当に……いいのか……?」
震える声でそう呟く。
「はい。……今すぐって言えなくてごめんなさい。だけど、自分で決めた進路も、達成したいので……」
たまきは申し訳なさそうな顔でそう答えたが、
「……まったく……君は……」
梧は小さな声で呟いた。
動画を見ている時から緩んでいた梧の涙腺は、簡単に決壊してしまいそうだった。
たまきに、そんな顔を見られるのは情けない。
「えっ……?梧さん、今なんて……」
梧の様子に、たまきが心配そうな声を出した。
たまきが言い切る前に腕を伸ばして引き寄せ、梧は力の限り抱きしめた。
「ぅわっ!?」
「……君には、もらってばっかりだ……」
たまきの肩に頭を預けて、梧は泣いた。
梧もいずれはプロポーズをしたいと考えていたものの、なかなか言葉にはできなかった。たまきに決断を強い、周りのために無理をさせて自由を奪ってしまうことはしたくない。
……だが、それは体のいい言い訳だった。
梧には、ずっと不安がつきまとっている。
ハルとたまきが違うとわかっていても、いつか、同じように、この手をすり抜けてどこか遠くへ行ってしまうんじゃないかと。
繋ぎ止めたくて、だけど期待することも怖かった。
「梧さん……くるし……」
梧の腕の中で、たまきが呻いた。
はっと我に返り、梧は腕を解く。
「すまない……」
謝ると、たまきは首を横に振り、
「ぎゅってしてくれるの、嬉しいんですけど……ちょっと苦しかったので……」
はぁ、と息を整えて、たまきが微笑んだ。
「……悪かった」
梧は嬉しさのあまり、暴走したことを反省した。
そして、手の中にあるリングケースをまた眺め、遠慮がちに、
「つけてみてもいいか?」
と、聞いた。
たまきは少し目を丸くした後、
「もちろんです」
と、照れたように笑った。
梧が、リングケースから指輪を取り出すと、内側に文字が刻まれていることに気づく。
“T to A Du är mitt hem”
梧は顔を上げ、たまきの顔を見た。
たまきは静かに頷く。
「“Du är mitt hem”(あなたは、私の家)」
—————梧さんは、私の居場所です。
さっき、たまきが言った言葉が、スウェーデン語で刻まれている。
たまきは、梧の指輪にメッセージが刻まれていることを知って、自分もそれに返す言葉を刻みたいと思った。
なかなか見合う言葉が思いつかなくて困っていたとき、たまきは夢の中でカザネに会い、話しているうちに、この言葉にしようと決めた。
会いたくても会えなかった、帰りたくても帰れなかった前世。
だけど、今世は違う。
梧は、たまきにとって帰る場所で、たまきらしくいられる居場所だ。
梧の隣に、ずっと居たい。
それは守られるためじゃなく、寄り添って、一緒に歩んでいくために。
また、梧の目に涙が浮かんだ。
指輪を握りしめて、その拳を額に当てる。
前世で諦めていたものが全て、その理由とともに涙で洗い流されていくようだった。
「……ごめんなさい、泣かせるつもりじゃ……」
たまきの狼狽えたような声が聞こえて、首を横に振った。
「……いいや、こんな涙なら、いくら流してもかまわない……」
まさかこんなに自分が泣き虫だとは思いもよらなかった。
梧の拳に、たまきがそっと触れた。
泣き顔のまま顔を上げると、たまきが梧の握り込んだ手を優しく解いていって、指輪を取り出す。
そして梧の左手を取ると、その薬指に指輪をゆっくりとはめていった。
サイズはもちろんぴったりだ。
たまきは満足そうに微笑んだ後、ポケットからもう一つのリングケースを取り出して、開けた。
「……私にも、はめてくれますか?」
たまきの言葉に、梧は面食らったが、すぐに頷いた。
「……けど、ちょっと待っててくれ」
言うと、梧はバスルームの洗面台に向かった。
もはや泣き腫らした顔はどうにもならないが、せめて顔は洗いたかった。
顔を洗って戻ってくると、梧は再びたまきの前に正座した。
姿勢を正し、太ももの辺りで手を何度も拭った後、神妙な顔で、慎重に指輪をケースから取り出すと、
「俺からも言わせてくれ」
と、たまきの左手を取って、息を短く吐いた。
「……俺と、結婚してください」
まっすぐたまきの目を見つめて言うと、たまきも嬉しそうに頷いた。
その薬指に指輪をはめると、二人は両手を繋ぎ、見つめ合う。
どちらともなく顔を寄せて、二人はキスを交わした。
それはいつもの一度触れるだけのキスでは終わらなかった。そのまま何度も唇を重ねていく。
求めるように抱き合って、次第にキスは深く、長くなり、息が乱れていく。
たまきは、こんなキスは初めてのはずなのに、初めてじゃないような気がした。
唇を重ねるたび、胸の奥が熱くなり、愛おしさと安心が全身を満たしていく。
「……梧さ……っ」
キスの合間に、たまきは梧の名前を呼んだ。
「……ん……?なに……?」
唇を離し、けれど吐息のかかる距離で、梧は乱れた息のまま返事をした。
「……わたし、もう……」
たまきがとろんとした瞳で梧を見つめる。
梧の心臓が、一層速く脈打った。
「……我慢できな……、ね……むぃ……」
しかし、たまきはそう言ったかと思うと、力無くベッドに倒れ込んだ。
梧は慌ててそれを受け止め、抱き寄せる。
「……たまき!?おい!」
たまきが気を失ったのかと思って焦り、途端に頭が冷静になった。
自分の過ちを自覚して青ざめる。
息を止めていたのではないか?酸欠か?と様子を確認すると、……たまきは梧の腕の中でスースーと寝息を立て始めていた。
たまきは気を失ったのではなく、どうやら眠ってしまったようだった。
……倒れる瞬間、たまきは眠いと言っていたかもしれない。
そういえば昨日の夜、たまきは満足に眠れていないのだ。新幹線の中でも眠りは浅かったから、緊張が解け、急速に眠気に襲われたのだろう。
梧は深いため息をひとつ吐いた。
たまきが眠らなかったら、自分は、何をするつもりだったのだろうか。
今は、ただ指輪を交換しただけで、正式に婚約をしたわけでもない。
手を出していい理由にはならないし、たとえ婚約期間だったとしても、ダメだ。
彼女は自分の決めた進路を全うしたいと願っている。
万が一にも間違いを犯して、彼女の将来を奪えない。
梧はとにかく頭の中で、自分を戒めることに徹した。
この愚かさと堪え性のなさに、自分で自分を殴りたい。
カザネの頃から何も変わっていないではないか。
梧はたまきを抱き上げ、掛け布団をめくってベッドに寝かせる。
その頬を指先で撫でようとしたが、思い直して手を引っ込めた。
まだ唇にたまきの熱が残っていて、……これ以上触れて、我慢が利かなくなっては困る。
梧はたまきに優しく布団をかけると、スーツケースの中から着替えを取り出した。
このホテルには、確かジムがあったはずだ。
体を動かして邪な熱を鎮めようと、梧はスヤスヤと眠るたまきを確認してから、部屋を出たのだった。
————————————
ぐぅぅ…………。
たまきは、空腹感と自分のお腹の音で目が覚めた。
目を開けると真っ暗で、たまきはベッドの布団の中にいた。
一瞬、いつ、どうやって寝たんだっけ……と、考えたが、そのうちに、梧とキスを交わしている最中に、自分が寝てしまったことを思い出した。
「あっ……!」
キスの濃度を思い出して、たまきは全身が熱くなった。と、同時に、眠ってしまった自分に呆れた。
「……えぇ……?もぉー……」
前日、ろくに眠れなかったとはいえ、あんな場面で寝てしまうなんて、梧はどう思っただろう。
……梧がどこにいるのかと、頭を起こして暗い中で目を凝らし、部屋を見渡すと、隣のベッドで寝ているのを見つけた。
「…………ごめんなさい」
起こさないように小声で謝ると、たまきは再び枕に頭を預け、はぁ、とため息をついた。
梧は、たまきの子供っぽさに呆れたかもしれない。
だんだん恥ずかしくなってきて、布団の中に潜り込み、身を縮める。
目を閉じて気を鎮めようとしたが、今度は梧の熱い吐息やあの時の視線が蘇ってきて、余計に落ち着けなくなり、布団の中からぷはっ!と顔を出した。
ぐぅううぅううぅぅ…………きゅるるるる…………。
すると、思い出したようにたまきのお腹が盛大に鳴った。
やば!とたまきは自分のお腹を押さえたが、
「ふっ……」
と、息を漏らしたような声が、梧の方から聞こえて、たまきは起き上がった。
「……おっ……、起きてたんですか……!?」
言うと、梧が顔をこちらに向けたのがわかった。
「……いや、もともと眠りが浅いんだ」
そう言ってから、ゆっくりと起き上がると、ベッドサイドの明かりをつけた。
「君はお昼もろくに食べられなかったからな。何か買ってこよう」
と、ベッドから抜け出て、立ち上がる。
「えっ!?今何時ですか?梧さんは食べました?夕飯って……どうする予定でしたっけ……」
たまきは夕飯の約束をしていたか、記憶の中を探った。
こっちへ来るまでの間ずっと緊張していて、梧と相談した内容をちゃんと覚えていなかった。
「……今は……もうすぐ一時になるかな。俺は適当に買って食べたから大丈夫だ。夕飯は君が友人たちと出かける流れになるかもしれないと思って、特に予約はしなかったから」
言いながら、服を持ってバスルームに引っ込むと手早く着替えて戻ってきて、ポケットの中に財布を突っ込んだ。
「あ、だ、大丈夫ですよ。こんな時間から食べるわけには……」
そう言うと、梧はたまきの方を振り返って、ふっと笑う。
「君のお腹は、そうは思ってないと思うがな」
梧がそう言った瞬間、
ぐぅううぅううううぅぅ……!!
と、タイミングよくお腹が返事をして、たまきは、音を押さえ込もうと身をかがめた。
「ふっ……、あははっ!」
梧が笑い出して、たまきは顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。
照れ隠しに布団をかぶったたまきに、
「近くのコンビニに行ってくるけど、何が食べたい?」
と、声をかける。
「…………なんでもいいです」
少し間をおいて、布団の中から控えめな答えが返ってきた。
「……麺とか、ご飯とか、パン……、リクエストは何かないか?」
梧が言い方を変えると、また少し間をおいて、
「…………ご、ご飯……」
と、布団の中から目だけ覗かせて答えた。
「……種類は?カレーとか……オムライス……、親子丼……」
梧が指を折って、料理名を並べていくと、
ぐきゅるううぅううぅぅ!!
お腹がまた鳴って、たまきは「なっ……なんでもいいですっ!」と、慌てて布団の中に潜り込んだ。
「……わかった」
梧は笑いを堪えつつ、そう言うと部屋を出ていった。
梧が出ていくドアの音を確認してから、たまきは布団から顔を出して、ため息をついた。
プロポーズまでは完璧だったと思うのに、いい雰囲気の最中に寝てしまったうえに、夜中に起き出してお腹が空いただなんて、子供みたいで嫌になってしまう。
しかも、化粧も落とさず、お風呂にも入らず、着替えもせずに寝てしまうなんて……。
たまきはベッドから抜け出し、梧が帰ってくるまでにサッとシャワーでも浴びてしまおうかなと思いついて、カバンから洗面用品と着替えを取り出し、バスルームへと向かった。
————————————
梧がコンビニから戻ると、シャワーを浴び終えたたまきが、ちょうどバスルームから、部屋着に着替え、濡れた髪のまま出てきた。
梧は驚いた顔をした後、少し視線を逸らして、
「……シャワー、浴びたのか」
と、聞いた。
「あ、はい……。すみません」
梧の様子にたまきが謝ると、梧は慌てて首を横に振って、
「……いや、謝る必要はない。ただ……髪はちゃんと乾かして」
たしなめるように言うと、持っていた荷物をテーブルに置いてから、たまきが首にかけていたタオルをかぶせ、少し乱暴に頭を撫でた。
「わっ!……自分でできますからっ!」
たまきが抵抗すると、そのまま手を止め、
「……あんまり無防備でいないでくれ……」
と、呟いた。
たまきは何のことかわからず、タオルから顔を出して梧を見上げたが、梧はその言葉の意味には触れず、テーブルを指し示した。
「適当に買ってきたから食べられる分だけ食べて」
「……ありがとうございます。すみません、買ってきてもらっちゃって……」
言うと、たまきは袋の中を覗き込んで、「わ、親子丼だぁ」と、嬉しそうな声をあげ、中身を取り出した。
梧は小さめのサラダと親子丼、インスタント味噌汁とデザートにシュークリームも買ってくれたようだ。
たまきはひとまずサラダを手にとって、丁寧に手を合わせ、「いただきます」と言ってから食べ始めた。
もぐもぐ食べ進めるたまきを、梧は静かに見つめている。
初めはそんなことを気にせずに食べ進めていたたまきだったが、サラダを食べ終えて親子丼を半分ほど食べたところで、ふと視線を上げて、梧の方を見た。
梧が、「ん?」と眉を跳ね上げる。
「……いえ、あの……」
たまきは、梧の手元に視線を落とす。
どうやらその視線は、梧がしている指輪に注がれているようだった。
梧はその指輪に触れ、受け取ったときの嬉しさが再び込み上げ、もう一度お礼が言いたくなった。
「……ありがとう」
「そんな……私こそありがとうございます」
と、はにかんだ表情を見せた。
てっきり、指輪を見てプロポーズのことを思い出しただけだと思っていたが、たまきはまだ、何か言いたげにもじもじしている。
「……どうした?」
「……あの、結婚するまでの話なんですけど……」
と、まだ言い淀んでいる。
何か問題でもあるのかと、眉根を寄せ、梧が「言ってみてくれ」と言うと、少しずつ顔が赤くなっていき、
「まだ、おじいちゃんたちにも相談してないし、そもそも、プロポーズするってことも報告してないんですけど……」
「うん」
「……結婚するまで、梧さんもお仕事あるし、私も勉強が忙しくなったら、あんまり会えなくなるかもしれないから……」
たまきは視線を下げつつ、時折、上目遣いで梧の表情を確認する。
「ありえるな……」
イベントのことで仕事が忙しかった時には、思うように会えず、思えば、付き合ってからろくにデートもできていない。
会う時間をどう増やすか、たまきの家に行く回数でも増やさせてもらおうか、いや、それは食事を準備するたまきの祖母に負担をかけてしまわないだろうかと、梧は考えを巡らせた。
「……梧さんが嫌じゃなかったらなんですけど……、週の半分か……週末だけでもいいから一緒に暮らしたいなって……」
「えっ!?」
たまきの提案に、梧は思わず声をあげた。
その声に驚いて、「あ、無理だったら全然……!」と、たまきは両手を振ったが、梧はその振っている手を掴んで、
「ダメなわけないだろ、むしろ、いいのか?」
と、身を乗り出して訊いたが、すぐに梧は我に返ったように身を引いて、「……いや、待て、……俺は耐えられるのか……?」と、たまきに聞こえない小声で独り言を呟いた。
「え?……いいっていうか、こんなわがままなこと言っていいのかなって思ってるくらいなんですけど……」
「いや、俺は嬉しい。……けど、まず今回の報告をして、そこでおじいさんたちと相談してからにしよう」
と、口元を押さえ、梧は頭の中でいろいろな段取りを組み始めた。
たまきは頷いて、少しほっとした表情になると、途中になっていた食事を再開した。
一通り食事を済ませ、すぐ眠るのは消化に良くないだろうと、しばらく梧と翌日の予定を確認した。
寝る前にもう一度だけ、たまきの家族の動画を見た後、二人は中身の濃い一日をそれぞれに振り返りつつ、眠ったのだった。




