さよなら、たこ焼き
赤獅子は拝殿で僕を待っている。となれば、僕を待つ者はあと一人だった。
「トウヤ!」
彼の屋台へ目を向ければ、たこ焼きの屋台の青年はずっと僕を見ていたのか、やっと此方を見たと言わんばかりに手を振る。その満面の笑みに僕まで思わず口元が緩み、その屋台まで駆け寄った。
「もう、遅かったじゃあないか!」
「道順的に、君は最後だったものだから。」
「…そうか。もうすっかり寂しくなったねえ。」
参道を沿うように赤鳥居の方まで見てみれば、この屋台の他全てが畳まれている。がらんどうのそこに連なる提灯だけが、今も鮮やかに参道を照らし続けていた。
「…なんだかな。自分で死ぬ時を決めるのと、運命に死ぬ時を決められるのとでは、えらく違う。例えそれが、自分で死のうと考えていた時でも。」
「そうだねえ。勢いだとか、タイミングだとか、あるんだろう。それに、自殺っていうのは一種の報復でもあると思うんだ。」
「…成る程。報復、か。僕は、報復出来たんだろうか。誰かを悲しませるばかりであった気がする。」
「自殺なんてそんなものさ。死んだらそんな事、考えなくて良い。それだけじゃあ無い、今まで生きてきた事、食べた物、触れた物、嬉しかった事、悲しかった事…、全て無くなる。」
「…聞いた事のある台詞だな。」
「当たり前さ、僕は君の一部だもの。」
「いいや…。ふふ、誰に教わったんだろう。」
他愛無い会話に笑う余裕が出来たのは、やはり彼が相手だからなのだろうと感じる。
「…君は、僕の喜び、幸福だ。
自分が大嫌いで死にたい僕には、君がいる事が苦痛だった。」
笑顔を絶やさなかった彼も、その言葉に少しだけ俯いて、落ち込んでいるのが分かった。
「…でも、それは僕が、自分の事を嫌いだったからなのさ。本当は君、喜ばれるべき感情なんだよ。君がいる事で、人間は生きていけるのだから。」
優しく撫でたその髪質はやっぱり僕のもので、最後にくしゃくしゃと乱してやれば、彼も思わず擽ったさに笑う。
「…許してくれるのかい?」
「勿論さ。…寧ろ、責められるべきは僕だろうに。」
「トウヤを責める事なんか出来ないよ。だって僕は君だもの。僕は君が、大好きだもの。」
屋台から飛び出して僕を抱きしめる彼は温かく、ほんのりとソースの香りがした。それがささやかな幸せとなれば、その単純さに自嘲する。
「幸せって、案外簡単に手に入るものなのかもしれない。疲れて帰って来て、お風呂に入って、布団に寝転がる時。」
「美味しいものを食べる時。」
「人に感謝された時…。」
僕らは抱きしめ合ったまま、笑った。
「これから幸せは、もっと増えるよ。」
「……いいや。僕の人生はもう、…終わってしまうから。」
「そんな事、まだ分からないよ。赤獅子の言葉を忘れたかい?君はまだ、どちらからでもこの世界から出る事が出来る。…それに、そもそもこの祭りは、君一人で終わらせる事は出来ない。」
「な、なんだって?」
「君の記憶と感情を使って、神社を創り、提灯で飾り付け、屋台を建て、テキ屋を並べ、客人を散らす。そんな器用な事、君一人で出来るのかい?」
「それって、どういう……」
「ねえ、トウヤ。もし、君に未来があるとしても、もう僕らを捨てないでおくれ。」
青年は僕の中へ消えつつある。まだ、大事な事を聞けていない。
「ああ、ああ。勿論だ。もう自分の事、こんなに嫌いにはならないさ。だけれど待って、待ってくれ。この祭りを終わらせるには、この神社を崩壊させるには、どうしたら…!」
腕に抱く温もりが消えて行く。
「トウヤ、君なら大丈夫。ここにいる皆、君の事、大好きなんだもの。」
強く抱きしめる腕が、抱きしめるものを失って僕自身を抱きしめた。もう、ここには何もない。提灯だけが、未だ参道を赤く照らし続けている。
「それでも、終わらせなくちゃ。」
最後に青年の囁いた言葉が、耳に残っている。僕の愛せない僕を、他の誰かが愛してくれている。煩わしいその感情も、今は愛しく思える事。それはきっと、僕がこの世界から抜け出したい証拠だ。
「…行こう。拝殿へ。」
答えは、ダレカが持っている。