光弥に来た春
「光弥、ちょっと来なさい」
ある夜、母様が急にわたしを呼び出した。
「何?」
「この方なんてどうかしら?」
「どうって……」
唐突過ぎて、何が何やらわからない。母様が持っていたものは、一人の男の経歴の書かれた書類だった。
「渦島、礁太……?」
一番上に書かれた名前を読み上げた。
「まさか、わたしのも!?」
「ええ。私がやっておいたのよ」
母様はさも重労働だったかのように話しているが、わたしはそうしてくれと頼んだ覚えがない。
自分の知り得ない所で事が進んでいく。これが噂に聞く「見合い」というものなのだと実感した。
見合いなんて急に言われても、わたしは乗り気にはなれなかった。
何より、母様から聞いた話では、相手は年下だというではないか。名家の跡取り息子らしいが、魅力は感じられなかった。
相手はこちらに向けて出発してしまっているということなので、合わずに帰すのは忍びなく思えた。だから、会うだけ会って話をした後、適当に理由を付けてお断りしようと決めた。
当日、誰よりも張り切っていたのは母様だった。
朝早くにわたしを叩き起こし、時間をかけて髪結上げた。その凝りようと言ったら、自分の見合いのようだ。
どこぞの沈没船から拾ってきたのであろうドレスを手直しした服をわたしに着せ、自分も十分すぎるくらいにめかしこんだ。そしてようやく待ち合わせ場所に向かう。
父様は留守番に残されるようだ。
見合いの会場に着くと、母様は思いがけないことを口にした。
「さ、行ってきなさい」
「……え? 母様は?」
「何を言ってるの。今日はあなたのお見合いなのよ? ほら、急いで!」
てっきり母様も一緒に部屋に入るものだと思っていたわたしは、いきなり調子を狂わされてしまった。母様に背中を押され、わたしは気持ちを切り替える暇もなく部屋に入った。
「渦島礁太です。今日はよろしくお願いします」
会ってすぐに名乗った彼は、想像していたよりも好青年だった。短く刈り上げた髪に、細身ながらも鍛えられていることがわかる体つきの彼は、丁寧に頭を下げている。
「……風波、光弥……、です」
自分よりも先に相手が話してくれるというのが、なんだかもの珍しく感じられた。
礁太は笑顔で手を差し伸べる。わたしも戸惑いながら手を差し出した。
「お久し振りです。こーや」
聞き覚えのある響きに、握られた手を咄嗟に弾こうとした。しかし、礁太の力は想像以上に強かった。
夢に出てきた、名前の思い出せないあの子。そうだ。あの子の名前は……――。
「ショウ……?」
「覚えててくれたんですね。嬉しいなぁ」
はにかんだ笑みを浮かべる彼は、わたしの記憶にある幼いショウの面影とは重ならない。けれど、些細な癖のひとつひとつは懐かしいショウのものだった。
「ショウ……。無事だったんだ」
「はい。辛うじてですけれど」
その後、わたしはショウと昔話に花を咲かせた。
あの日、ショウは潮の流れ乗って別の集落に辿り着いたのだという。幼くて出自も言えぬショウを、子供のいない夫婦が養子として引き取ったらしい。
その家は代々地主の家系で、養子という身ながらもいずれはショウが跡を継ぐ。家を継ぐからにはきちんと嫁を取ってもらわなければ困ると親に言われて、相手を探すことになったという。
懐かしい故郷について、覚えていることを話した。すると、その特徴からついにショウの故郷がわかったのだ。そして、故郷の知り合いに誰か良い娘はいないかと調べていると、偶然わたしの名が挙がったらしい。
ショウはわたしのことを覚えていてくれて、すぐにうちの両親に縁談を持ち掛けたという。
「ありがとう。わたしを覚えていてくれて」
「いえいえ。お礼を言わなければいけないのは僕の方ですよ。こーやは他人と会うのを嫌っていると聞きましたから」
「それは……ちょっと事情があって」
わたしは笑って誤魔化すしかなかった。
「ショウ、一つ聞いていい?」
帰り際、わたしは問いかけた。ショウはもちろんです、と笑顔で言う。
「……ショウは、わたしのこと恨んでる?」
「恨む? どうしてです」
「わたしのせいだから。わたしがもっとちゃんとしてたら、事故は起こらなかった」
ぷっと吹き出すのが聞こえた。わたしがショウを見ると、ショウはおなかを抱えて笑っている。
「ちょっと、どうして笑うの? 真剣に話してるのに」
「あの日手を離したのは僕ですよ。こーやは何も悪くないんです。ずっと難しい顔をしていると思ったら、そんなことを気にしていたんですね」
笑い過ぎで苦しそうに咳をしたショウの背中を、わたしは軽く叩いた。
「心配して損した」
「また会ってくれますか?」
「……え? あ、うん。そりゃもちろん」
一瞬、ショウの言っていることが理解できなかった。わたしは、何を当たり前のことを、と思いながら頷いた。




