第二話 灰色の絶望
洞窟を進むトゥレンの足取りはひどく重かった。
「ほらほらトゥレン君、早くボスを倒しに行かないとダンジョンで餓死しちゃうよ?」
「手ぶらでいったいどうしろと……」
おうごんちょの煽りに、トゥレンは深い溜息を吐き出した。
彼はこの洞窟で目を覚ました時、荷物など何も持っていなかった。
使えそうな所持品は、せいぜい懐の火打石程度。
火を焚けたとしても、素手で獣を狩って捌くなど、とうていできようはずもない。
胃痛が限界を超えて食欲は全く起きなかったが、このままでは餓死まっしぐらである。
だが、今の彼にとって最優先事項は別にあった。
「そんなことより、この鳥は何なんですか!? 人を止まり木にするのはやめてください!」
「それは『鴉』だよ! 狙った獲物は逃さない、凄い奴だよ!」
「はあ? これのどこが鴉――痛い痛い! だから肉を抉らないでください!」
トゥレンが最初に討伐した鳥型モンスター。
その羽毛は黒くとも、おうごんちょによく似た真ん丸な体は、とうてい鴉には見えない。
だが、その言葉が不満なのか、目つきの悪い黒鳥は鋭い爪をトゥレンの腕にぐいぐいと食い込ませてくる。
痛みのあまり、彼が悲鳴を上げたその時、
パァンッ
破裂音とともに、激しい火花が視界を埋めた。
そして、同時にボトボトと何かが落ちてくる音が聞こえた。
光が収まり、ゆっくりと瞼を開くと、またしてもおうごんちょがわめき立てる。
「わあ、すごいやトゥレン君! また魔力の発動で、キノコモンスターを一網打尽にしたよ!」
「キ、キノコ……?」
彼が地面を見やると、十本以上のキノコがばらばらと落ち、小刻みに痙攣していた。
「よかったね、これで餓死しなくて済むよ!」
「こ、これを食べるのですか!?」
「えー、贅沢言うんじゃないよ。せっかくのごちそうだよ?」
「…………」
トゥレンは再びキノコを見やる。
それは紫色の傘に白い斑点模様という、とうてい食用には見えない姿。
しかもピクピクと痙攣しているのである。
食べたらどんな副作用があるか、知れたものではない。
「獣を狩って料理することもできない雑魚なんだから、好き嫌い言ってる場合じゃないでしょ?」
「雑魚とはなんですか! 私は文官ですよ!?」
「ざーこ、ざーこ」
トゥレンはこのクソ鳥を絞め殺して焼き鳥にすべきではないかと一瞬考えた。
だが、今はとにかく腹を満たす必要があるだろう。
洞窟の隅に都合よく残っていた誰かの焚き火の跡を利用し、彼は薪の燃え残りで火を焚いて紫のキノコをくべ始める。
すると、
「あっつ! あっつ!」
死んだキノコのうち一匹だけが、焚火の中から飛び出してきた。
「な、何ですか、あなたは! キノコが喋るなど非常識でしょう!」
そもそも現在の状況すべてが非常識の極みなのだが、それを置いてもさすがにキノコには突っ込まずにはいられなかった。
「僕、悪いキノコじゃないよ? 食べないで!」
キノコは潤ませた瞳で上目遣いに見つめてくる。
精一杯の可愛さで命乞いをしているのだろうが、その光景はまさに悪夢としか言いようがなかった。
「そもそも全く食べたくないのですが……」
トゥレンは頭を抱えながらうめいた。
餓死しないために仕方なく手にしただけで、食欲の欠片もわかない姿の危険なキノコなのだ。
おまけに喋り出した以上、もはや異形の怪物としか思えなかった。
すると、目の前のキノコは小首を傾げて尋ねてくる。
「食べる気もないのにこんなに大量に殺し尽くすなんて、キミ、愉快犯?」
「黙らっしゃい!」
どうしてこの洞窟にはろくな生き物が存在しないのだ。――いや、そもそも生き物なのか?
トゥレンは胃のきしむ音を耳の奥で感じ取った。
「生きるためとはいえ、殺した命は残さず食べるのが生き物の務めだよ? それじゃあいただきまーす!」
なぜか偉そうに説教すると、キノコは大口を開けて、焼かれた同胞のキノコたちを次々に頬張り始めた。
――共食いである。
「は……? え……えぇ……」
これにはさすがのトゥレンもだいぶ引いていた。
だが、あっという間に焼きキノコはすべて一匹のキノコに食べられてしまった。
「あーあ、トゥレン君がもたもたしてるから、食料ぜんぶなくなっちゃったよ?」
キノコを全て食べ尽くされたトゥレンを、おうごんちょがまた嘲笑う。
だが、キノコは首を振ってにこにこ笑いかけてきた。
「ううん、大丈夫! 僕たちキノコはすべて一つの個体だからね! 胞子を出せばいつでも増えるよ!」
キノコが傘を震わせると、きらきら輝く胞子が飛び出した。
そして、それらが地面に落ちると、にょきにょきと一斉に紫のキノコたちが生え始めた。
「やっほー!」
「ひゃっほー!」
「わっほい!!」
陽気な声を上げ、キノコたちは次々に飛び出すと、手を繋いでぐるぐるとトゥレンの周りを回り始めた。
「やったね、トゥレン君! これでもう食料には困らないよ! 永久機関の完成だね!」
おうごんちょが高らかに歌い上げる。
――いったい、この悪夢はどこまで続くのだろうか。
トゥレンはどこまでも続く暗い洞窟の道のりを見つめ、深い絶望と胃痛に包まれていた。




