第1話 午前二時十七分
電話が鳴っている。
女は、しばらくそれを見ていた。
薄暗い部屋の隅。
机の上に置かれた灰色の電話機が、耳障りなベルを鳴らしている。
ジリリリリ。
ジリリリリ。
こんな時間に鳴るはずがない。
そもそも、この電話は外線にはつながっていない。
女は壁の時計を見た。
午前二時十七分。
秒針だけが動いている。
ジリリリリ。
「……誰?」
当然、答えはない。
部屋には女しかいない。
白い壁。
金属製の机。
天井近くにある小さな観察窓。
窓の向こうは暗く、誰かが立っていたとしても分からなかった。
女は扉へ近づいた。
レバーを押す。
開かない。
もう一度押した。
ガチャッ。
鈍い音だけがした。
「ちょっと」
強く押す。
「開けて」
返事はない。
女は扉を叩いた。
ドン。
「誰かいるんでしょ」
ドン。
「開けて!」
廊下から音はしない。
代わりに、
ジリリリリ。
背後で電話が鳴り続けている。
女はゆっくり振り返った。
電話は、まるでこちらを待っているようだった。
呼吸を整えながら近づく。
受話器を取った。
「……もしもし」
何も聞こえない。
ただ、低い雑音だけが流れている。
ザ――。
ザザ――。
「誰?」
雑音。
「聞こえてるなら、何か言って」
ザザ――。
そのときだった。
耳元で、
女の声がした。
『うしろ』
女の呼吸が止まった。
自分の声によく似ていた。
「……何?」
『うしろ』
受話器を握ったまま、ゆっくり振り向く。
白い壁。
机。
椅子。
誰もいない。
「誰なの」
返事はなかった。
代わりに、
ドン。
女の身体が震えた。
今度は扉ではない。
壁の向こうからだ。
ドン。
二回目。
女は受話器を落とした。
ドン。
三回目。
そこで音が止まった。
女は動けなかった。
静かすぎる。
機械の作動音すらしない。
ただ壁の時計だけが、
カチ。
カチ。
カチ。
音を刻んでいた。
午前二時十七分。
床に落ちた受話器から、かすかな声がした。
女は拾わなかった。
それでも聞こえた。
『――見つけた』
部屋の照明が消えた。
二十四年後。
その部屋は、
存在しなかったことになっている。




