第二十二話 何かの予兆
亮さんと、神矢さんはとてもいい人達だった。
これまでの実績を考慮して、正社員として雇ってもらえるように上層部に掛け合ってもらえるとのこと。
俺がそんな、と謙遜するようなそぶりを見せれば神矢さんがバンバンと背中を叩いて、「自身を持て、若者」と、励ましてくれた。
彼の豪快な笑いに、俺も少しだけ感化されてしまったのか、よろしくお願いします、も力強く頷きを返した。
茜さんも雅さんも、俺が正式に社員になれるように手を回すと意気込んでいて、四人のその思いだけで胸が一杯となる。
「斗賀見くん、お疲れぇ〜」
いつもだるそうな茜さんがベッドに座って足を組む。
今日一日のデータを確認するのに、書類に目を落として難しい顔をしていた。
「今日の陽性患者は十人……やっぱり最近多いよな」
茜が何かを考えるように、呟く。
そう、ここ最近の陽性者の数が増えている。
隔離区の近くでの爆発だったり、少しだけ異変が起きていることは間違いなかった。
原因は分からない。
飲み物を片手に茜さんの姿を目で見ると、さらに食い入るように書類を見入っていた。
俺が何かを考えてもしょうがない。
そう言うのは、専門家に任せて今できることをしっかりと行うのみだ。
四人からもらったやる気が消えないように、しっかりと心に刻むと、茜さんに「お疲れ様です」と言葉をかけて部屋の外へ出た。
「十人、か。多いな、本当に」
階段をゆっくりと降りながら、そう俺はぼやいた。
十人、これまで一桁台だったのに二桁まで増えている。
しかも、最近ではそれが普通になりつつあって、より不穏な空気が漂っているように思えた。
「あれ? 十人? 茜さん、さっき……」
茜さんの言葉に何か引っかかりを感じる。
今日の陽性患者って、十一人だったような気がするのだが。
俺が直接手を下しているわけじゃない。
それでも、間接的にその人が殺処分されるように診断を下している。
もちろん、感染者を隔離区の中へと侵入させることはできないから仕方ないことだが。
だからこそ、その日に何人が殺されるか、それを覚えるようにしていた。
せめてもの罪滅ぼしに、自分の咎を見るために、それはこの一年間ずっと行っていたこと。
浮かれていた、から間違えたのかもしれない。
なんとなく二階へと顔を向けるが答えが返ってくることはなかった。
「斗賀見くん、そんなところで突っ立てて何してるの?」
受け付けのカウンターから身を乗り出して、雪村汐音が俺のことを見ていた。
「あ、いや、少し気になることあったんですが、多分気のせいなんで大丈夫です」
二階から汐音さんへ視線を移すと、彼女の元へ歩み寄る。
「ふ〜ん、教えてくれないんだ」
受け付けの前に到着すると、汐音さんは拗ねたようにそんなことを言った。
彼女は俺より一つ年上なのだが、こうして子供っぽいところを見せることがある。
まさに——今がそれ。
でも、こうして俺が困ってる姿を見て楽しんでいることを最近は理解した。
「汐音さん……口、笑ってますよ」
そう指摘してやると慌てて口を手で隠すが、もう遅い。
ジッと彼女の顔を見て、俺が今日は勝った。
「あ〜、バレちゃった。せっかく斗賀見くんの困った顔見れそうだったのにな」
あっけらかんとする汐音さんに、おいっ、と突っ込もうとしたが、彼女は荷物を受け取りながら会話を続けた。
「そう言えば、今日は月末だから帰るの遅くなるから、蕾と二人でお昼は食べててね」
とのことらしい。
最近は汐音さんは仕事が終わると俺の家に来て、三人でご飯を良く食べている。
寝る時間が近づいてくると、帰るのが日課となっていた。
「夜はご飯作りに行くからね」
そう言うと、そそくさと仕事に取り掛かってしまった。
◇
俺は外に出ていつも待ち構えている壁を見上げた。
あれ以来、なにかの宗教の演説も聞こえない。
入口を見張る警備員に挨拶をしても、敬礼で返してくれることはなかった。
少しだけ日常が変わってしまい心の中に穴が空いた気分で、帰路に着く。
「ただいま」
「おかえり〜」
今は家に帰ると返事が必ず返ってくる。
それだけで、重くなった心が軽くなるような感じがした。
毎日変わらず、俺が帰ってくるとパタパタと玄関まで走って来てニコニコとした笑顔を彼女は向けてくる。
それが今、一番の癒しかもしれない。
でも、いつか終わるかも、と考えるとわずかに心が軋んだ。
「お腹すいたよぅ〜」
いつも、第一声はこれ。
くぅっとお腹を鳴らす彼女は俺を見上げるように目で訴えてくる。
「今日は汐音さん、お昼これないんだって」
そう言うとこの世の終わりとでも言いそうなくらい、蕾さんは大袈裟に落ち込んだ。
「……それじゃ、ご飯抜き?」
「そんな訳あるか。俺も腹減ったから、今日のお昼は俺が作るよ」
崩れ落ちていた蕾さんが、さっと立ち上がる。
「良かったよぅ〜」
心の底から安心したと言わんばかりに、盛大に息を吐く。
そして、俺の手を握って、早く荷物を置いてご飯を作れと催促するように部屋の中へと引っ張り込もうとしてくる。
俺の日常は本当に、変わった。
こんな毎日がずっと続いてほしい。
そう——願うばかりだ。




