09
「おはようございますっ」
「ああ、おはよう――ん? 束峰、ちょっと電話してくるから準備頼む」
「わかりましたっ」
心機一転、今日からもっと真面目に頑張るんだ。
当分の間は学校ではなくこちらに重きを置くつもりでいる。
働けば働くほど両親に少しずつでも恩返しができるのだから悪くはないだろう。
先輩が来たり(櫻井さんではない)ゆうこさんが来たり、西村さんが戻ってきて営業開始。
日曜日ということもあり利用する人はたくさんいたけど早く丁寧を心がけて対応。
まあプロフェッショナルな西村さんがいることから遅れてしまうということはない。
「あれ……?」
ただなんとなくだけど、こちらの足が重い気が。
意識して自分を把握してみると1動作1動作の間に少しの間がある気がする。
それでもなんとか気合でそのズレを修復させて頑張っていた。
この間もお金が発生しているんだ、向こうではふたりが頑張っているのに怠けていられない。
「束峰、大丈夫か?」
「え? あ、はいっ、日曜日に働くのが初めてというわけではないですからね」
「そうか、なら毎週入ってもらおうかな」
「いいですよっ、そうすれば両親に少し早く恩返しができますから」
「冗談だ、好きなところに入ってくれればいい」
こういうところもこのお店が好きな理由だ。
こちらの希望を聞いてくれる西村さんがいてくれるからこそここで働けている。
時間も曜日も勝手に決められたら困って――しまうことは別にないけど急遽予定ができることだってあるかもしれない。
そういう場合にこういう形はとても助かるのだ。
「ふぅ、一旦落ち着いたな」
「そうですねっ、日曜日はたくさん来店してくれる人がいるのでやり甲斐があります!」
「なあ」
先程まで笑みを浮かべていたのに急に真顔で話しかけてくる西村さん。
今度こそクビかと構えていたら急に頭を撫でられて困惑状態に。
この人は既婚者なのに落としてこようとするから大変だった。
そうでなくてもこの心理状態で優しくされるのは複雑だから。
学校に行けば大好きな先輩がいるのに話せないというもどかしさ。
自分で決めたルールのせいで首を絞められている、他人からしたら馬鹿としか言えないかもだけど。
「辛いなら休めよ」
「辛い? なにがですか?」
「お前、熱があるんだろ?」
熱? そんなの全然ないと思うけど。
でも、仮にもしそうであれば昨日冷水シャワーを浴びたのが悪かったか。
「大丈夫ですよ、あともう少しですし」
16時頃でいまは全然人がいない。
18時までだから1時間休憩をもらったし、残り2時間やって帰ればいい。
定時制は16時半にでも家を出ればいいから最悪風邪でも問題ないし。
「無理するな」
「働かせてください、もうこれだけがあれですから」
「あれ?」
「希望というか目標、ですかね。だからお願いします、とりあえず水曜日までお休みだから頑張っておきたいんです。あ、でも……移されたら困るということなら……」
「そうだな、移されたら困るな、私がいなかったら作る人間がいなくなるからな。だから今日はもう終わりでいいから帰って寝ろ」
「……わかりました」
これは自分が悪いんだし早く帰ろう。
体調を治しておけば万が一に西村さんがそういうことになっても代わりに働けるから。
もちろん同等にできるなどとは自惚れてはいない、それでも少しぐらいは支えられるはずだ。
「あれ、束峰は18時までじゃなかった?」
「ちょっと無理言って帰らせてもらうことになりました」
「そうなんだ、気をつけて」
「ありがとうございます、お先に失礼します」
なんだか足が重かったのはそういうことだったのか。
多少無理やりにでも心機一転で頑張ることしか考えていなかったからわからなかった。
「束峰ちゃん、待ってたよ」
「え……」
どうして? もしかして朝の電話はそういうことだったのかな?
「とりあえずお家に行こうか、立っているの辛いでしょ?」
「そんなことはありません、移したくなかったから出てきただけで」
「まあまあ、残り時間はまだあったのに出てきたんだから家に行かないと」
「そう……ですね」
ああでも、一緒にいるのは嫌だ。
一緒にいると甘えたくなる、捨てたはずのそれがすぐそこに存在していた。
「スーパーに寄るのでこれで」
「それなら私も行くよ」
「やめてください、移したくないので」
あまり冷たく言い放つと先輩は気にしてしまうだろうから対応が難しい。
だから私にできるのは理由を作って先輩と別れようとすることだ。
「ねえ、私のこと嫌いになっちゃった?」
「そんなわけありませんよ」
寧ろ大好きだよ、いますぐにでも告白したいぐらい。
一緒にいるのはやめるとまではいかなくても距離を作ると決めた時、それで苦しかったぐらいだ。
いや、現在進行系で先輩の言葉が突き刺さって痛い。
「うぅ……」
「あっ、と、とにかくお家に行こうよ!」
「……はい」
その気もないのに優しくしてくれるのはやめてくれ。
中学の時がああだったから優しくされると弱いんだよ。
その証拠に笑顔で接してくれただけで好きになってしまったぐらいだ。
もちろんその時のそれはライクではあったけど、前とはもう違うわけで。
「櫻井さん」
「なに?」
「……その気がないならやめてください」
「その気って?」
全部自分の口から言わせようとするなんてずるい。
「……私のことが好きじゃないならもう家に来たりはしないでください」
「束峰ちゃんのことは好きだよ?」
「またベタなあれですね」
「あ、特別な意味で好きだよ?」
「え゛」
足を止めたら少し先で先輩も止めて振り返ってきた。
いまの私は相当アホな面をしていると思う、いやだってまさかねえ?
「え、だ、だって特別な意味で好きだということは付き合いたいってことですよね?」
「うん、そう思っていたけど」
「で、でも……昨日は慌てて帰ったじゃないですか」
「それはあれだよ、私が寝た時に抱きしめようとしてやめたでしょ? 正直に言って襲っちゃいたくて仕方がなかったからさ……あはは、バスケと同じぐらい好きになっちゃってね」
バスケ大好き少女――お姉さんがそれぐらいこちらを好いてくれていると。
思わず勉強を疎かにしてしまうぐらい大好きなそれと同等か、それってかなりでは?
「それにしても酷いよね、名前呼びを求めたのに呼んでくれなくてさ」
「それはだって……無理だと思ったから」
「それって束峰ちゃんも私のことそういう意味で好きだってこと?」
「当たり前ですよ……でも、昨日で終わりだったんです」
「駄目だよ、勝手に終わらせたりなんかしたら」
先輩がそう望んでくれているのならそれでいいかもしれない。
敢えてここで突っぱねる意味がなかった、だって希望通りになるんだし。
私は先輩に近づいて思い切り抱きしめる、なにもかも自分で決めたことを破ってるけどどうでもいい。
「巴絵さんのことが好きです」
「うん、ありがと。でも、敬語はやめてね」
「……とりあえず帰ろ、バイト休ませてもらっている身だし」
「うん、行こっか」
だけどなんで好きになってくれたんだろう。
まさか藤堂さんとぶつかったから? そのおかげで戻ってきてくれたからかな?
「あ、そうだ」
「どうしたの?」
「巴絵さんは家が遠いからさ、私の家で住んだらどうかなって」
「え、いきなり同棲? 積極的だね」
「いや、学校に行くのも大変かなって、あと送るのが大変でさ」
これからはもっと一緒にいるだろうから距離が近い方がいい。
「ありがたいけどずっと住むのはちょっとね、お母さんやお父さんに会いたいし」
「そっか、ならしょうがないね」
ま、先輩は断ると思っていたけど。
真面目にやる人だからなおさらのことだ。
多分だけど勉強をやっていなくてではなくて学費が安いからここを選んだんだと考えている。
そういう優しさがあったからこそ出会えたし、私は先輩のことを好きになれたわけで。
「だけど頻繁にここに来ちゃうよ、だって束峰ちゃんは彼女さんだもん」
「うん、ありがと。巴絵さんが定時制の生徒で本当に良かったよ」
「巴絵でいいよ、それにそれはこっちのセリフだし」
そう言ってくれてありがたかった。
一方通行ではないことはもうわかっているものの、少しだけ不安になることもあるから。
「巴絵は私のこといつから好きになってくれたの?」
「……実は私が好きって言ってくれた時から」
「えっ!? そ、それは……チョロいのでは?」
「しょ、しょうがないでしょ! 格好いいって思っちゃったんだもん! それにそこからも頭を撫でてきたりするし可愛いとか言ってくるしさあ! 束峰ちゃんの方こそその気がないならやめてほしいって思ってたよ!」
こちらもチョロいからお似合いか。
「それに私たちのために藤堂先輩とぶつかってくれたからさ」
「あれはただの殴られ損だけどね」
「そんなことないよ! そんなことないよ……」
少しだけ辛くなってきたから寝転がる。
寂しく感じていた空間もやはり先輩が近くにいると全然違う。
調子が悪かったおかげで一緒にいられるわけだから幸せだ。
「好き!」
「あ、もう少し静かに」
「あ、好きだよ、束峰ちゃんのこと」
「束峰でいいよ」
「ちゅ、ちゅかねのこと好きだよ」
「あははっ、ありがと!」
同じように寝転がった彼女の手を握る。
思えば自分の意見を360度変えることなどこれまでもあった。
だったら気にせず堂々としておけばいい。
他はともかく先輩――巴絵なら気にしないでくれるだろうから。
私はこれからも先輩と一緒にいたい。
巴絵もそう思ってくれたらいいなと考えつつ、心地良さに身を任せたのだった。