07
先輩の気になる人が気になりすぎてご飯3杯しか食べられなかった。
その間も藤堂さんや彩香と仲良さそうに話していたのでこちらとしてはモヤモヤモ――複雑な気分に。
言ってこないということは名前で呼んでほしい人に私が該当しなかったということになる。
それはつまり狙っている人が確実にいるというわけで、もう詰みみたいなものなのは言うまでもなく。
先輩が幸せならいいとか言っておいて結局純粋に応援できない自分に辟易としながらも乗り越えた。
部活動をしていてもバイトはできるとわかったため参加することに。
それでやっていた自分だったわけだけどひとつわかったことがある。
「巴絵先輩とやると楽しいですっ」
「ありがと! 私も彩香ちゃんとやるの楽しいよ!」
実は彩香だったのではないかということ。
つい最近まで名字呼びだったのは彼女もそうだったから。
でも彩香はもう名前で呼んでいて、先輩は楽しそうに笑っているから理想通りの展開じゃないかと。
そのような推察をしてみたわけ、どうだろうか?
「束峰ちゃん!」
「え? へぶ――」
そのうえで顔面にボールが直撃。
うんまあバスケをしている最中に考え事をしている方が悪い。
みんなが来てくれても大丈夫だと言って体育館を抜け出た。
相手が彩香ならいいじゃないか。
藤堂さんがどうしたいのかは気になるところだけど、あのふたりなら支え合えると思う。
「これはバチが当たったんだな」
真っ直ぐ応援できないそんな弱い心が悪いのだ。
ただ少し優しくしてくれただけで勘違いして恥ずかしい。
「束峰ちゃん大丈夫?」
「うん、全然平気だよ」
ジンジン響いてる、色々な意味で鈍い痛みだった。
それでも今日は集中できそうにないから見ていることに決めて体育館へ戻る。
うん、やはり彩香と先輩のペアが1番仲良さそうでいい連携が取れているみたい。
……いや待て、ここで急に帰ったりしたら怪しすぎるか。
でもなあ、あのふたりが仲良くしているところを見るとチクチクチクチク痛くてしょうがないんだ。
「藤堂さん」
「ん? ああ、顔は大丈夫なのか?」
「あの、それよりも彩香とやらなくていいの?」
「なんでだ? あいつが楽しそうにやっているならそれでいいだろ?」
「え、だって櫻井さんとあんなに仲良さそうにしているんだよ? 気にならないの?」
自分の気になる人が他の人と仲良くしていたら私では平静でいられない。
心が弱いんだ、そうじゃなければ不登校にだってならないだろという話。
もちろん藤堂さんが彩香のことをそういう意味で気になっているのかどうかはわからないけどね。
「それってお前が巴絵を取られたくないだけだろ?」
クリティカルヒット。
気になっているのであればこの人なら自分で動くことだろう。
「ごめん、余計なこと言ったね」
「別に余計だとは思わないけどな。巴絵っ、あたしと交代だ!」
「はーい!」
ありゃ、なんだかんだで彩香と一緒にやりたいんじゃん。
やはり素直になれないツンデレさんだったということか。
「ステージに移動しようか」
「あ、そういえばそうだったね」
ここにいたらまたボールとキスすることになるかもしれない。
さすがに短時間に2回キスは嫌だから上に移動することにした。
が、中央に移動する前の暗がりに連れ込まれて想定外の力に抵抗すらできず。
「いつ名前で呼んでくれるの?」
先輩の方が有利なのにこちらに縋るような感じなのはなんでだろう。
「え、でも必要ある? 他の子からは呼ばれてるじゃん」
意地悪がしたくなったわけじゃない。
いざ実際こうなったことで冷静になったのだ。
どうせここで名前を呼んだところで先輩の特別にはなれないと。
だったら変に踏み込もうとしない方がいいのではないかと。
幸いいまは働いている、それはつまりそれに集中しておけば余計な感情を消せるわけで。
他の人と仲良くするのは勝手なのにその度に気になってしまうなんて、勘違いして独占欲があるから。
そんなの駄目だ、なにより先輩に負担がかかる。
それにどういう風にいまの私を認識してくれているのかはわからない、が、友達でいられなくなるのはそれよりも嫌だった。
「ごめん、明日もバイトがあるから帰るね。バスケ楽しんでね」
意外にも力は一切いらなかった。
こちらが横に移動したことで簡単に拘束からは逃れることができそのまま体育館をあとにする。
実はまだこの時間もお店はやっているので行ってみることに。
「いらっしゃ――って、束峰か」
「小笠原さんはまだやっていたんですね」
「うん、西村さんは結構お金をくれるから」
小笠原さんが名前で呼んでくれているのならこちらも呼ぶべきか。
「なおこさん、お疲れ様です」
「うん、まだ30分ぐらいあるけどね」
どうせならとオムライスを注文することにする。
これで西村さんが作ってくれたオムライスを食べられるわけだ。
あの人は本当に格好いいからなあ、私にもああいう強さや格好良さがあったら違ったんだけど。
「お待たせしました」
「え、早くないですか?」
「西村さんは束峰より上手くて丁寧だよ」
「そりゃそうですけど……とにかくありがとうございます、いただきます」
食べたら自然と息が零れた。
あと、私はただ先輩の側にではなく遠くからでもいいから見守っていたいとも思った。
というか、いまの感じなら遠くからの方が精神的に楽な気がする。
「よう」
「あ、どうも」
「お前家はこっちじゃないだろ? どうしてここになんか来た」
「このお店の雰囲気が好きなんです、それに利用しているんだからいいじゃないですか」
これひとつで1000円だぞ、土日はこれがたくさん頼まれるから怖い話だ。
「駄目なんて言ってないだろ。でもなあ、いつもなら部活の時間だろ?」
「それは櫻井さん情報ですか?」
「ああ」
「私はあのバスケ大好きお姉さんとは違いますからね、体力が保ちませんよ」
うむ、やはり西村さんが作った方が美味しいな。
なにか秘訣でもあるということなら教えてもらいたい。
一応任されることも多くなってきたし、いつでも変わらない味をお客さんに楽しんでほしいのだ。
「なこ、もう来ないだろうし片付けを始めてくれ」
「わかりました」
あの、ここのお客さんがいてあなたが作ってくれたオムライスを食べているんですが。
なおこさんも全然気にせず掃き始めちゃうし、こんなんじゃクレームきちゃうよ!
「ごちそうさまでした」
「1000円」
「わ、わかっていますよ」
税込みで1000円だから払う時は楽でいいが如何せん高い。
まだ初給料を貰っていないから余計にそう感じる、果たしていくらになるんだろうか?
「さて、そろそろ束峰の初給料だが」
「そ、そうですね、結構出られる時は出ていたのでそれなりにいく気がします」
「初給料はなにに使う?」
「え、前にも言いましたが全部両親に返します。スマホ代も払ってもらっているので当然だと思います」
あったって多分無駄なことにしか使わない。
だったら学費のために使ってもらったり食費に回してもらった方がいい。
というか自分が働いて得たお金だからといって、自由に使えるわけがないのだ。
自分が自由に使いたいから働いているわけではない以上、これは変わらないわけ。
「少しは残しておこうとか思わないのか?」
「思いません、自分のために使うぐらいなら他の人のために使います」
距離は保つけど先輩になにか買わないと。
リストバンドでも買ってあげたら喜んでくれるだろうか?
「驚いた、束峰は自由に使うと思っていたから」
「ゆうこさんはなにに使いましたか?」
「私は全部使って欲しかったフィギュアを買った、いまでも1番のお気に入り」
「そういうのもいいですね!」
でも、やっぱり自分のために使うのはないな。
大体ひとり暮らしをさせてもらっている時点で両親は支出ばかりだ。
1ヶ月分の給料を渡してもなんの支えにもならないだろうけど積み重なれば話は変わるはず。
そう信じて給料日前日まで頑張って働いた。
「や、やばい……」
給料日となると滅茶苦茶緊張する。
ここで緊張したところで手渡しというわけではないのに、意味ないのに。
「落ち着け」
「す、すみません」
余裕がありそうなら先輩に買ってプレゼントをする。
その時は完全に私の個人的基準で選ぶから喜んでくれるかはわからないけど。
そして、それを終えたらいまの距離感でいることはやめようと思う。
敬語にも戻す、誘われても断る、バスケには……行くかもだけど。
まあ実際に時間が経過してみないとどうなるのかは私でもわからない。
案外簡単に誘惑に負けて名前呼びをして仲良くなりたいと考えるかもしれない。
その時もその時で結局は先輩次第だからいまから悩む必要はないだろう。
「今日もよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしく頼む」
いまは決められた時間まで頑張ることだ。
そんなことは後でいくらでも考えられるのだから。
金曜日ということもあってそこそこお客さんが多かった。
洗い物をしたり色々補充したり実際に作ったり、私もこの魅力的なお店で働けて嬉しく思う。
「西村さんに用があるという方が来ました」
「ああ、わかった。束峰、よろしく頼むぞ」
「はい、任せてください」
ひとりになってもやることは変わらない。
ただ、最近はこうして西村さんに会いに来る人がいるけどなんだろう。
気になったので先に謝ってから聞かせてもらうことにする。
「ああ、旦那だよ旦那」
「なんだ……ここが無くなるとかでなくて良かったです」
「無くならないぞ」
「良かったです、ここはもう大切なところですから」
申し訳ないけど現実逃避ができる場所でもあるのだから。
現実で一生懸命に働いているのに現実逃避とは矛盾しているかもだけど。
「巴絵のことはそう思っていないのか?」
「え? なんでここで櫻井さんの名前が出るんですか?」
「ふむ、いやいいか、頑張るぞ」
「はい、頑張ります」
それからも真面目にやって無事今日の分は働き終えた。
挨拶をしっかりしてから外に出るとなんとも言えない具合だった。
学校に行く前に母の口座に振り込んでしまおう。
ドキドキが落ち着かないから確認してみたら850円期間なはずなのに5万7500円だった。
「こんなに?」
思わず通帳を見つめて固まってしまったぐらいだ。
とりあえず3000円は引き出させてもらって、残りは振り込み。
困惑しないように連絡をしてから学校へ向かう。
やはり自分のセンスに自信がないため、明日にでも一緒に先輩と行くことに決めた。
「束峰ちゃ――」
「櫻井さ――」
食堂で話しかけようとしたら被ってしまい少し沈黙。
「あ、束峰ちゃんからどうぞ」
「あ、うん、初給料が入ったからさ、櫻井さんになにか買いたいなって」
「えっ!?」
「そ、そんなに驚くこと?」
私も金額には驚いたけど。
「だ、だって……私は束峰ちゃんになにも買えてない……」
なんだそんなことか、西村さんがばらしたのかと思った。
「気にしないでいいよ。で、私は櫻井さんにリストバンドを買ってこようと考えていたんだけどさ、本人が気に入った物を買ってもらおうかなって。だから明日行こうよ」
それでこの距離感は終わりなのだから断るのはなしにしておくれ。
「わかった。それなら明日の朝、束峰ちゃんのお家に――」
「迎えに行くからいいよ、不公平だしね」
「え、でも……買ってもらうんだし」
「それぐらい当然の権利だよ、櫻井さんは私の救世主なんだから」
「え……」
いや本当に助かったんだ。
いきなり金に染めて行った人間が言うのはおかしいかもしれないけど怖かった。
中学の連中でさえあんなんだったんだよ? 先輩と同じで定時制に偏見があったのだ。
でも、実際は全然違って、そりゃ中には派手な人もいるけど先輩みたいな人と出会えたのだから感謝しかない。
「それじゃあ明日の朝、櫻井さんの家に行くからさ」
「う、うん……」
西村さんがしてくれると落ち着くから先輩にもしておいた。
だってお出かけなのにそんな顔をされていたら困る、終わりってわけじゃないんだからさ。
「……誰にでもするの?」
「あれ? しないよ」
結局同じグループで食べるのだから状況は変わらない。
これからもこれを続けるつもりではあるけど彩香や藤堂さんを盾にするつもりだ。
「なんでしてくれるの?」
「駄目だった?」
物凄い速さで首を左右に振る先輩、こういうところは可愛らしい。
それに今日は最初から髪を下ろしモードなのも美少女にしか見えなかった。
「髪型、可愛いね」
「えっ!? あ……も、もう、今日はなんなの?」
「そう思ったからだよ、頭を撫でたのもそういうこと。櫻井さんはいつも可愛いからね」
許してくれ、今日言っておこうと決めているのだから。
「バスケやっている時の櫻井さんも好きだけど、普通の時の櫻井さんも好きだよ」
「ちょちょ……も、もうやめて……」
「やめない、だって本当のことだから」
彩香と藤堂さんが来るまでに滅茶苦茶真っ赤に仕上げておいた。
こういう勢いじゃないと好きとか最初と違って言えないし許しておくれ。