第十四話「とある勇者の密林の逃走劇」①
「……リネリア、どう? ……さっきの連中はさすがに撒いただろう……少し休もうか。お水飲む?」
やっとの思いで、追手を振り切って茂みの中で一息付きながら、水筒の水を器に注いで、リネリアの口元に運ぶ。
「うにゃーっ! ありがとにゃんっ! ただのお水なんだけど、超うまーだにゃんっ!」
獣化形態だと、コップで水を飲むなんて器用な真似は出来ないのだけど、浅いお皿に水を張れば、ペロペロと勝手に飲んでくれる。
獣化形態は便利のようなのだけど、こう言うときは不便のように見える。
いい加減、獣人形態に戻ってもいいような気もするのだけど、獣化した方が五感も冴えるみたいだし、騎乗した際の山林内での機動力は捨てがたい。
今のところ、追手達にも何度となく包囲されかけたのだけど、その度獣化したリネリアの機動力で強行突破出来ている。
追手は、どうも現地軍の類のようなのだが、森の中ではやたら目立つ黒やら赤、黄色い服を着て、長い棒切れとナタのようなものを持っているだけで、武装については貧弱だった。
……お父様が伝えてくれた話だと、こっちの世界には、銃と言う強力な飛び道具があるようなのだけど、それが使われた形跡はない……。
兵士達の練度についても、動きに統一性がなく及び腰……どう見ても実戦慣れしてるようには見えなかった。
実際、リネリアが牙を剥いて威嚇したら、それだけで腰を抜かして、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまうような有様だった。
さすがに、これはお母様辺りが見たら、激怒して鍛え直すとか言い出すレベルじゃないかな。
ただ、正規の軍人にしては……年寄りも多いようだし、恐らく二線級の兵士達……後備兵の類だと思われた。
いずれにせよ戦闘力については、こちらの方が明らかに優位なのは確かだった。
数は向こうの方が多いのだけど、私とリネリアが本気で戦えば、10人、いや20人くらいいたって、あの程度の兵……容易く殲滅出来るだろう。
けれど、私達は戦いに来た訳じゃない。
……だから、今のところ威嚇程度に止めて、それ以上の手出しはしてない。
ただし、追手は黒服の兵士だけじゃない。
さっきから、やかましい音を立てながら、上空を大きな鉄の飛行魔獣が飛び回っているし、半ダーシュ程度の小型の飛行魔獣が何匹もいて、そいつらが実に厄介だった。
速度もかなり早く、木々の間でも平然とすり抜けてくる上に、これに見つかると、大抵その先で待ち伏せを受けたり、追手の兵が続々と集まってきたりする。
斥候役の飛行魔獣……それは確かだった……これを何とかしないと、奴らから逃げ切るのは至難の業。
幸い魔術に関しては、こちらの世界でもほとんど問題なく使えるようだった。
それに、体力の低下と言った衰弱の傾向は、二人とも出ていない……失った魔力についても、自然に回復するようだし、懸念されていたマナの供給についても、全く問題ないようだ。
大丈夫……私達は、この世界の環境に問題なく適応できている。
これなら、アルマリアもきっと問題ないだろう……改めて、私はこの身に流れるお父様の血に感謝する。
美味そうに水を飲んでいたリネリアが、不意に耳をピクピクと動かすと一点を見つめる。
「うにゃーっ! シャーロットちゃんッ! また見つかったにゃっ! あのちっちゃい飛行魔獣がこっちにくる!」
「なんだって! こっちもこんな茂みの中にいるのに、もう見つかったのか! リネリアッ! もっと緑の深い場所や高い木や急斜面を使って逃げるんだ! あいつらさっきから見てると、大きいのも小さいのも樹からは距離を大きく取ってるみたいだ……意外と近くは見えないのかも知れない」
「うん! わかったにゃっ! 早く背中に乗るにゃんっ!」
……世界の壁を超えた先。
それは、予想通り、お父様が住むであろう土地からも遠く離れた異界の地だった。
出来る限り、人目につかずに……そう考えてはいたのだけど……。
割りとこっちの世界に来て早々に、山の中のやたら広い大通りのようなところに出てしまい……鉄の魔獣の群れに追い回される羽目になった。
その中の一匹がやたら近づいてきて、嘶き声のようなものをあげて威嚇してきたので、こっちも威嚇しかえしたのだけど。
……それがきっかけで、一匹の鉄の魔獣が暴走して、魔獣同士がぶつかり合って物凄いことになってしまった。
鉄の魔獣同士の自滅……とも思ったのだけど、鉄の魔獣の腹の中から次々と人が出てきて、怪我人も大量に発生したのが解った。
……てっきり私は魔獣の一種と思っていたのだけど、それは魔獣などではなく、人や荷物を運ぶための鋼の馬車のようなものだったのだ。
そして、この大通りは何台もの鋼の馬車が、ものすごい速度で往来するような危険な場所で、私達のような異形の者が入り込んでいい場所ではなかったのだと、理解できてしまった。
よほど、そのまま逃げようと思ったのだけど……。
どう見ても虫の息で、死にかけている者や、鋼の馬車の中で動けなくなっているような者達が居たので、思わず馬車を壊して助け出してやって、虫の息の者や怪我人には、片っ端から治癒魔術での治療を施した。
後ろの方から、続々と何処にこんなに居たのかと思えるほどの大勢の人々が集まってきてしまったので、思わず手近な森のなかに逃げ込んだのだけど。
やはり、問題があったらしく、私達は現地の軍勢と思わしき集団の追撃を受ける羽目になった。
言ってみれば、無駄に目立つ真似をしてしまった事による、半ば自業自得だとは思うのだけど……私は、自分の行いを微塵にも恥じていない……。
あのまま見捨てていたら、間違いなく何人か死人が出ていた……あれは、そう言う状況だった。
現場には、医療の心得のあるものもいたのだけど、これはもう助からないと言うような事を言っていた。
けれど、死に瀕した人……それを救うすべを持ちながら、見てみぬふりをするのは、人殺しと変わりない。
だから、私は迷わなかった……それがこの世界の理に反することだったとしても。
……追撃者たちについては、今のところ50人ほどだと推測された。
追手としては、以外に少ないと言える。
当初は追手の人数ももっと少なく、その連中を振り切ること自体は、簡単だったのだけど……。
空飛ぶ鉄の大型魔獣や、小さな飛行魔獣が現れるようになると、その追跡は執拗を極め……撒いたと思っても、飛行魔獣にすぐに見つかってしまい……その都度、追っ手がかかり……その繰り返しだった。
今も小さな飛行魔獣の追跡を受けていて、かなり高いところに大型の飛行魔獣もやってきたようだった。
バタバタと言う大きな音と上から羽ばたきなのか、ものすごい風を吹きつけてくるからすぐに解る。
けれど、空を飛ぶ相手なら、私達はアルマリア相手の模擬戦くらいはやってるし、魔王軍でも空の敵なんて珍しい相手でもない。
……私達は空の敵への対応というものを心得ている。
どのように動けば、空から見えにくいかとか、どんな風に動くのかとかは、何となく解る。
私達も、その辺は解っているので、すでに鎧も解除して、わざと体中に土を被って、枯れ草や枝を体に巻きつけているし、リネリアの毛皮もいつもの黒ではなくリネリアお得意の幻術により、土色になっている。
空からの俯瞰視点を持つ敵を相手にする際、この手の隠蔽技術が極めて重要になってくる。
アルマリアのような高火力飛空魔道士なんて、はっきり言って敵に回すと最悪の部類と言える。
見つかったら最後、はるか上空からの圧倒的な火力で一方的に殲滅される……。
対抗するには、気付かれずにこちらの間合いに入った所へ奇襲をかけて、引きずり下ろすしか無い。
逃げ切るとなると……隠れて、やり過ごすのが一番早い。
要するに、見つからなければ、どうという事もない……そう言う事。
少し解ってきたことは、大型種はかなり視界が広いのだけど、基本的に地上に寄って来ない事。
どうもこっちは人間を乗せているらしく、かなり慎重に動いているようだった。
人の目による監視の為、意外なことで見つかったりする事もあるのだけど、じっと動かず木の下なんかに張り付いていれば、割りと簡単にやり過ごせる。
小型種の方は10ダーシュくらいの低空を飛んでいるのだけど、上下方向の視界が狭いのか、近くで真正面に回らなければ、これも割りとやり過ごせる。
問題は、数が多い事と移動速度が並大抵じゃないこと……その上、こちらの偽装を見破ってくることもあって極めて厄介な相手だった。
なにせ、遮蔽物がないところだと、リネリアが最大速度を出しても振り切れないほど。
リネリアに強化魔術を施術した上で、込み入ったところを走れば、振り切れるのだけど、そう気軽に使えるようなものでもない……。
勝手に木にぶつかったり、大型種の巻き起こす風で地面にぶつかったりで、当初の半分位になったのだけど、小さい上に羽音も小さいから、気がつくと今のように至近距離まで接近を許してしまう。
いっそ、片っ端から撃ち落とす事だって考えたのだけど……こちらの世界の人々や物に危害を加える事は、こちらの世界の軍勢を完全に敵に回してしまう事を意味していた。
相手が使い魔の飛行魔獣といえど、無闇に落とすわけにはいかない。
いずれにせよ無用な武力衝突は出来る限り、避けるべきだった……私達の目的は、あくまでお父様を助けること。
今の時点では、アルマリアとの合流が最優先なのだから。
アルマリアの話だと、夜間森に潜まれると空からの捜索は至難の業と聞いているので、このまま逃げ回って、日が暮れるまで粘る……それが最善と思われた。
それに地上からの捜索についても、あの練度の兵に夜間こんな険しい山を歩かせると、下手をするとそれだけで死人が出る……相手の指揮官にも、その程度の判断力はあるだろう。
それまでは……とにかく、包囲されないように逃げて逃げて、逃げ回るしか無いっ!