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 マナーの授業を終えて、さて午後は何をしようかと考えながら自室へ向かう私を呼び止めたのは、ミスターレインだった。燕尾服を身に纏う彼は、今日も使用人一姿勢が良い。


「旦那様がお呼びでございます」

「お父様が?」


 これはついに人生初のお小言か……!?と身構える私が案内された先は、執務室ではなく何故か応接間であった。誰か大切な来客でもあったのだろうかと内心で首をひねる私をよそに、先導していたミスターレインが扉をノックする。


「失礼いたします、旦那様。アイリーンお嬢様をお連れしました」


 頭上にハテナを浮かべながら室内へ足を踏み入れた私は、来客用ソファの向こうに見覚えのある赤茶色の頭を見つけて「ああ、なるほど」と納得した。

 客人達の正面に回り込んで、軽く礼を執る。濃い金髪を短く刈り上げた、見るからに筋肉質な男性と、赤茶色の髪を片側で三つ編みに結んだ恰幅の良い女性。その間に挟まれるように座っているのは、昨日出会ったジャック少年だった。さすがに今日は泥も葉っぱも付いていないようだ。

 視界の端で、私の姿を目に入れたジャックの瞳がまん丸く見開かれるのが分かった。


「――ロジャース伯爵家が長女、アイリーンと申します。お父様、この方々は?」

「街に住んでいるカーター氏とそのご家族だよ。これを届けに来てくれたんだ」


 そう言ってお父様が私に差し出したのは、昨日ジャックに取られたハンカチーフだった。極力表情を出さないようにしながら、まあ、と白々しく声を上げる。


 話を聞けば、息子が花を包んで持ち帰ったそれに私の名前と家紋の刺繍が入っていると母親が気づき、昨晩カーター家では大騒ぎになったらしい。


「愚息は拾ったなどと申しておりますが、もしも何か粗相をしておりましたら申し訳ありません……!」

「そういうわけで。アイリーンのものだから、一応事実確認をね」


 可哀そうなくらい青くなって震えている夫婦と俯いて両手を握りしめるジャックの姿に、お父様はそんなに恐れられているのかしら……と考えて、すぐにそれを打ち消した。違う、この人達からしたら誰であろうと等しくお貴族様なのだ。こんな小娘の私でさえも、それはきっと変わらない。身分差とはそういうものなのだろう。

 受け取ったハンカチーフの刺繍を指でなぞって、私はこちらをじっと見つめるお父様に目を合わせた。


「実は昨日、テレーゼと喧嘩をして庭を散歩している時に風で飛ばされてしまったんです」

「おや、そうだったのかい」

「あなたが拾ってくださったのですね、ありがとうございます」


 私の言葉に驚いて顔を上げたジャックにお礼を伝え、薄く笑みを浮かべる。もう少し表情は抑えてもらえると助かるなあ。


「お父様。庭で育てている果物をお礼に渡してもいいですか?」

「――構わないよ。ご子息と行ってくるといい」


 私の言葉に一瞬眉を上げたお父様だったが、特に何も言わずジャックを伴って庭へ出ることを許可してくれた。

 その気が変わらないうちにと、ついてくるよう彼に目で合図する。部屋を出る私の後ろを覚束ない足取りで歩く少年を確認して、私は玄関へと歩を進めた。




 庭師のトムに頼んで収穫してもらうのを待っている間、じわじわと怒りが湧いてきたらしい。良い天気だなーとのんびり考える私の耳に、押し殺したようなジャックの声が届いた。


「……なんで嘘ついたんだよ、お前」


 トムとは少し距離があるし、私達の会話はきっと聞こえていないだろう。

 ちらりと少年を見やれば、強く唇を噛み締めてこちらを睨み付けていた。さすがに自分より身長が高い相手にされると子供でも威圧感がある。

 彼の言う嘘とは先程の会話のことだろうか。別に悪いようにはしていないと思うのだけれど。もし昨日のことを指しているのならば、私が嘘をついたのは自分の名前だけだ。彼の勘違いにあえて否定もしなかったが、ハンカチーフを盗んでいったのは自己責任だろうに。

 思わずため息をついた私に、ジャックの肩がぴくりと揺れた。


「使用人の子供だとあなたが勝手に勘違いしたんでしょう。さっきのことだって、丸く収めたんですから責められるいわれはないと思いますけど」

「っ、その馬鹿にしてるみてーな言い方、ムカつくんだよ!」


 ああもう、声が大きい!

 何事かとこちらを振り返ったトムに気遣わしげな目を向けられるが、問題ないとジェスチャーを返す。

 さっきので完全に火がついてしまったらしい。金持ちのわがまま娘のくせにとかなんとか喚き続けるジャックに、かばったのは失敗だったかもしれないと若干うんざりした。噂が事実だとしても君に言われる筋合いはないよ。


 偽名を使ってしまった引け目はあるため、あと数分の我慢だと聞き流していたが、言い返してこない私に気を良くしたのか、彼はそのまま興奮した口調で言い放った。


「どうせお前の身の回りにいる奴らも、全員ろくでもないんだろ!」


 それを聞いた瞬間、顔からすっと血の気が引いたのが分かった。

 突然真顔になった私に、ジャックはたじろいだように口を噤む。


「な、なんだよ」

「――……いいえ。ああ、終わったようですね。ありがとうトム。さあこちらを持ってどうぞお帰りください」

「い、らねえよそんなもん」

「あなたのご両親のためにも、です。何事もなかったと周りに思わせることは必要でしょう?……あとは、いただいたお花のお礼とでも思ってください」


 数種の柑橘類が入ったバスケットを押し付け合いながら言葉を交わす。花と言われて面食らった様子のジャックは、やがて思い当たったのか渋い顔をして口を開いた。


「……いくら俺が馬鹿でも、あんなそのへんに生えてる花と果物が交換できるとは思ってねえよ」

「金額や価値の話ではなく。お気遣いくださったでしょう。そのお気持ちが嬉しかったのです」


 さあ、と改めてバスケットを差し出せば、やがておずおずと受け取る手が伸びてきた。それでいいと笑いかける。入れ物は返さなくて大丈夫だと伝えると、彼は黙って頷いた。

 それから離れた場所で待ってくれていたトムに要件は済んだと告げ、送り届けるための従僕を呼んでもらう。


 従僕に連れられて去っていく途中、何度もちらちらとこちらを振り返ってくるジャック少年に、私はなんだかどっと疲れを感じてしまうのであった。


――周りにいる人が悪く言われるのは、自分のことよりずっと堪えるなあ。






▽▲






 数日後、お茶会に招かれてブラウン家を訪れると、出先で予定が押してしまったギルがまだ戻ってきていないことを説明された。

 幸い帰宅に30分はかからないとのことで、お言葉に甘えて居間で待たせてもらうことになったわけだが。


「――お相手させてもらってもいいかな?久しぶり、アイリーン」

「レイ様!」


 扉の向こうから突然現れたレイに、思わず大きな声を出してしまった。おまけに慌てて立ち上がろうとしたところでテーブルに腕をぶつけ、騒々しい音を重ねてしまう。令嬢としてあるまじき行為。お母様やマナーの先生に見られたら大目玉だ。

 レイはくすくすと笑い声を漏らしながら、落ち着いて、と私を手で制する。それから扉近くで控えるメイドに飲み物の準備を頼み、向かいの椅子に腰を下ろした。コロンだろうか、ふわりと優しいムスクが香る。


「すみません、驚いてしまって……本当、お久しぶりです。お加減いかがですか?」

「今日は、というか最近ずっと調子が良いんだ。問題ないよ」

「それは何よりです」


 3人でのクリスマスパーティー後は私の訪問日とレイの体調のタイミングが合わず、ずっと会えていなかったのだ。こうして顔を見るのは半年ぶり近い。

 テーブル横の大きな窓から差し込む光に目を細める彼の顔色が良いことから思うに、無理をしているわけではなさそうだ。もし嘘だったら今すぐベッドに送り返している。


 他愛ない世間話の後、薄黄色のハーブティーが注がれたカップに口をつけたレイが何気ない様子で言った。


「婚約相手を見つけるのって難しいねえ」


 唐突に放り投げられた爆弾に目を白黒させる私を見て、彼は愉快そうに笑った。



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