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第1話 竪琴奏者、魔獣に出会う



 木々が鬱蒼《うっそう》と生い茂る峠道を、カミーユは歩いていた。

 もう少しで峠を越える。そんな折。


 灰牙《はいが》が何かを襲っている様子が見える。


 カミーユは昨日、翌日の山越えのため早めに宿を取り、夜明けと共に山道へと入った。

 

 そして、峠に差し掛かったいま。

 運の悪いことに、獲物に狙いを定め格闘に入ろうとする灰牙と、ばったり遭遇してしまった。


 カミーユは、旅の竪琴《たてごと》演奏家だ。冒険者でも戦士でもない。ゆえに、戦闘経験は浅い。


 しかし、旅は危険な目に逢うことも珍しくない。

 そのため多少身を守る術は持っているが、ほぼ「逃げるが勝ち」戦法だ。


 つまり。戦わない。逃げ足勝負。これ、正義。


 灰牙はまだ自分には気付いていない。

 遠回りか、反転か。


 いずれにしろ、逃げるなら今しかない。


 そろり、そろりと足音を消しながら後退りしつつ、目を凝らしてよく見る。


  襲われているのは、小さな小さな、手のひらにすっぽり収まろうかという大きさの、森の精霊だった。


 カミーユは、ふと考える。


(あの小さな精霊を食べても、腹は満たされないだろう。次に狙われるのは……)


 思考を巡らせ、自分の手を見る。


(……僕だ)


 森の精霊を人柱に逃げたとて、相手は灰牙。山を知り尽くした魔獣だ。

 隠れてもあっさり見つかり、即座に獲物とされるだろう。

 背中を見せて逃げるのも、悪手でしかない。


 それに、何より。


 森の妖精は、湧き水や緑の生命を循環させている妖精だ。


 カミーユは、森をたたえる曲も弾く。水に感謝を捧げる曲もある。

 そんな曲を奏でる自分が、森の命を支える精霊を見捨てる。

 それどころか、身代わりにして逃げる。


 相手は灰牙。逃げるのは生きるため。

 致し方ない。


 確かに、そう言い訳はできよう。


 しかし。


 心の中では、その言い訳をどうしても受け入れられなかった。


「僕は……」 


 カミーユは覚悟を決めた。

 精霊に気を取られている灰牙の後ろから、そろり、そろりと近づき……。


 竪琴のケースを振りかぶり、叩きつける!

 

 一発!


 気配に気づき、さっと振り返った灰牙の鼻先に、ガツン!とクリーンヒットした。


「……効いた!」


 灰牙は驚いたように飛び上がる。その飛び上がって露わになった腹に向け、返しの二発目を打ち込む。


 バシッ!

 

 そしてひっくり返ったその腹に、もう一発。


 バシッ!


 無意識とはいえ、見事なコンビネーションだった。弱点を的確に突く三連発を繰り出している。


「キャイン!」


 魔獣《まじゅう》にしては少々情けない叫び声を上げ、 灰牙は数歩後ずさる。

 竪琴ケースを振りかぶり、仁王立ちのカミーユ。


 その姿は、もはや演奏家ではない。

 竪琴ケース使いの戦士である。


 カミーユは人生最高の睨《にら》みを効かせ、しばらく睨み合う。

 灰牙は気圧《けお》されるように後ずさり、そして、さっと森の奥へと姿を消した。


 灰牙が姿を消したその後も、カミーユは猛々《たけだけ》しい気持ちを抑えられず、しばらくその場に立ち尽くした。


 呼吸が和らぎ気持ちが落ち着くと、大きく息を吐き、その場にしゃがみこんだ。


「……助かった……」


 そして、はっとする。


「竪琴は!?」


 カミーユは慌ててケースを開いた。

 軽く中の竪琴を確認するが、大きな傷は見当たらない。


「……よかった……」


 心の底から安堵し、旅のために頑丈なケースを拵《こしら》えてくれた職人に感謝した。

 もっとも、楽器職人はケースで魔獣を殴り散らすなど、考えもしなかったであろうが。


「痛かったよな、ごめんな」


 竪琴と、ケースをさすりながら詫びる。


「……ちょっとあなた」


 ふと、後ろから声がした。


 カミーユは思い出した。そうだ。森の精霊が襲われていたのだ、と。

 振り返ってみると、精霊は木の枝に寄りかかり、葉っぱにしがみついていた。


「あ、そうだ!! 精霊様、大丈夫ですかっ!?」


「てかなにその『あ、そうだ!』って!」


「だって、ケースごと思いっきり振りましたから……」


「ええ、すごい勢いだったわね。楽器は大丈夫?」


 精霊様も楽器を心配してい……


「て違うでしょ!? 私は!? 私の心配は!?」


「でも、楽器は僕の命綱ですし…」


 楽器奏者は楽器が命。何も不思議なことはない。

 カミーユの行動に間違いはない。1000%正しい。


「痛かったよな……」


 カミーユは、天使のささやきと羽毛の優しさをもって、ケースを撫でる。


「だから私は!?」


 精霊は悲鳴にも近い声を上げた。


「さっき一瞬こっち見たわよねっ!?!?」


「あ、はい」


 精霊は、何故かカミーユに猛抗議を始めた。

 襲われていたとは思えぬ勢い。元気いっぱい抗議を始める。


「私より楽器を心配ぃ!?」


「もちろん、ですが……」


「否定しない! むしろ全肯定!?」


「はい! ですが、『より』じゃないですよ? 同じくらい、でしょうか?」


「1ミリもフォローになってない!!???」


 元気いっぱい勇気百倍、カミーユは言い切る。

 自信に満ちたその姿。後光差す勢いである。


「というわけで精霊様『も』心配です!」


 言いながら


(あ、これフォロー入れとかないとマズい……?)


 やっと気付いたカミーユだが、若干入れ方が間違っていることには、当然気付いていない。


「なにそのキッパリ言い切る『も』って……」


 精霊の膝がカクンと崩れ、枝にしゃがみ込んだ。

 不毛なやり取りに力が抜けたのか、それとも……。


「ああ、もう、いいわ。いまそれどころじゃないの……お願い、森の力が尽きかけていて……私を精霊の巣に連れてって……人の子よ……」


 人の子よ、と威厳たっぷりに取ってつけてみたものの、カミーユにはほとんど聞こえていなかった。


「ああああ!それは大変!はい!すぐに仰せのままに!!」


 こうしてカミーユは、持っていた羽毛入りの布に精霊を寝かせ、捧げ持つように大事に森へと運び込むのだった。



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