第46章:影に潜む残滓
蓮司と加藤がアパートに戻った時、最初に目に入ったのは壊れた扉だった。
こじ開けられたのではない。
壊れていた。
枠ごと割れ、木材は扉を開けるという行為とは結びつかない角度で裂けていた。廊下の壁には、衝撃点から天井まで伸びる亀裂が走っている。そこには、受け止めるように作られていない力を受けたものの軌跡が残っていた。
優奈は、葵を連れて森から戻ってきていた。
きれいな帰還ではなかった。
速くもなかった。
不安定な足取り、強制された休止、短い呼吸。そして、葵がたどり着く前に倒れないよう支えるためだけに使われた蒼い魔力。その連続だった。
優奈は葵を入口から離れた居間に下ろし、それから彼女の体は、今夜たどり着ける場所はそこが最後だと決めた。
アパートの床では、蒼い魔力の残滓がゆっくりと消えていく。
一瞬でではない。
長く支えられていたものが、最後に残ったものを手放すまでに時間をかけるように。
優奈は居間の壁にもたれて座っていた。
自分でその姿勢を選んだわけではない。
そこに行き着いたのだ。
そして体が、今はそれで十分だと判断した。
魔力は完全に尽きていた。一時間眠れば戻る類の疲労ではない。時間と食事と、持っていた以上のものを使い果たした時に訪れる、あの種類の眠りを必要とする疲労だった。
葵は近くにいた。
生きている。
青ざめている。
痛みはある。
けれど、それは殴られた痛みのように場所を指せるものではなかった。何週間も絶えず奪われ続け、ようやくそれが止まったあと、体がもう一度、奪われない状態で存在することを覚え直しているような痛みだった。
だが、痕は光っていなかった。
呪いが埋め込まれていた胸の場所は、今はただの皮膚だった。完全には消えない薄い傷痕が残っている。
けれど、それはもう、以前と同じ働きをしていなかった。
蓮司が先に入った。
走ってはいない。
走っても、これから目にするものが変わるわけではないと知っている人間の速い足取りだった。
けれど、体はまだその理屈を受け入れきれていなかった。
彼は入口で止まった。
壊れた扉を見た。
壁を見た。
床を見た。
消えかけている蒼い魔力の跡を見た。
一秒のあいだ、何一つ意味のある順番で処理できなかった。
それから、葵を見た。
「葵」
三歩で居間を横切り、彼女のそばに膝をついた。計算ではなく、反応だった。手を取る。顔を見る。青白さ、目、呼吸を確かめる。
それから、胸を見た。
何週間も痕が光っていた場所を。
「痕が……」
葵は笑おうとした。
笑うだけで痛んだ。
それでも、笑おうとした。
「もう、光ってない」
蓮司はしばらく何も言わなかった。
安堵していた。
自分自身に怒っていた。
その二つが同時に存在し、どちらももう一方を打ち消せない時の壊れ方をしていた。
加藤がその後ろから入ってきた。
走らなかった。
いつも通りの歩き方だった。
どんな状況でも彼が使う歩幅。必要のない焦りを足さない歩き方。
扉を見る。
壁を見る。
床に残る蒼い障壁の跡が、まだわずかに消えかけているのを見る。
葵を見る。
優奈を見る。
「何があった?」
優奈は横目で彼を見た。疲れた目だった。眠りたいのか、罵倒したいのか、その表情はまだ決めかねていた。
「遅すぎ」
加藤はもう一度、葵を見た。
「二人とも生きてる」
「観察力だけはあるのね」
「俺の長所の一つだ」
蓮司はそのやり取りを聞いていなかった。
彼はまだ、葵を見ていた。それが本物だと確認するような目で。そうでなければ、残りのことを処理できない人間の目だった。
彼は、痕があった胸元にそっと触れた。
薄い傷痕。
光はない。
葵の呼吸とは違う、あの鼓動もない。
優奈は深く息を吸った。
痛んだ。
それでも、そうした。
「あれは、彼女の父親だった」
蓮司が顔を上げた。
「何?」
「残滓よ。葵の父親だった」
葵は目を閉じた。
驚いたようには見えなかった。
ただ、疲れていた。
まるでその真実は戦いの中ですでに彼女の中を通り過ぎ、今はもう一度それを聞く重さだけが残っているかのようだった。
蓮司は葵を見た。
それから、優奈を見た。
「父親?」
「ええ」
優奈が言った。
「痕は、彼女の罪悪感を燃料にしていた。葵が、自分に起きていることを当然だと思うたびに、呪いは進んでいった」
加藤は何も言わなかった。
蓮司も同じだった。
「それに、私があいつを傷つけるたび」
優奈は続けた。
「あいつは再生するために葵からさらに奪った。だから、少しずつ殺すことはできなかった」
「じゃあ……」
蓮司は唾を飲み込んだ。
「どうやって倒した?」
優奈は壁に頭を預けた。
「待った」
「何を?」
「呪いを完成させようとする瞬間。あの偽りの交換を完成させるために、力を一点に集中させる瞬間を」
加藤が、より注意深く彼女を見た。
優奈は一秒だけ、その視線を受け止めた。
「その時に切れた。葵じゃない。彼女の側にある痕でもない。あいつが呪いを支えていた場所を切った」
蓮司はうつむいた。
葵の手が、わずかに彼の手を握った。
残っている力で。
多くはなかった。
それでも、その仕草には十分だった。
「あとで話す」
葵が言った。
蓮司は彼女を見た。
「うん」
「たくさん」
「うん」
蓮司は葵を立たせた。
葵はほとんど歩けなかった。彼に体を預け、歩けはするが、いつもよりはるかに重い足取りで部屋へ向かう。
部屋に入る前、彼女は足を止め、優奈を見た。
「ありがとう」
優奈は彼女を見た。
笑わなかった。
そのための力は残っていなかった。
「寝なさい」
寝室の扉が閉まった。
壊れた居間には、加藤と優奈だけが残った。
加藤は彼女を見た。今の状態は、わざわざ数え上げる必要がないほど明らかだった。尽きた魔力。明日になれば今よりはっきり痛み出すであろう打撲。今日のところはもう十分だと体が決めた人間の姿勢。
「よくやった」
加藤が言った。
優奈は横目で彼を見た。
「私はあなたの生徒じゃないんだけど」
加藤は笑った。
「確かに」
間。
「じゃあ、すごくよくやった」
優奈はゆっくり息を吐いた。いつもなら続くはずの言い合いをする気力がない人間の仕草だった。
「どこにいたの?」
加藤は考え込んだ。
鹿児島には、深夜でも完全には閉まらない店がある。
多くはない。
けれど、探せば見つかる程度にはあった。
蓮司は店の入口近くに立っていた。腕を組み、三十秒ごとに外を確認する。止めたくても止まらない時計のような正確さだった。
加藤は通路を歩き、かごを持っていた。
包帯。
水。
エナジードリンク。
今の状況では実用的と言えるだけの、簡単な食べ物。
「戻るべきだ」
蓮司が、入口から目を離さずに言った。
「戻るさ」
加藤が言った。
「なら急げ」
加藤は包帯をかごに入れた。
「霧野がついてる」
「それじゃ足りない」
加藤は少しだけ彼を見た。
「俺には足りる」
蓮司は答えなかった。
同意したからではない。
手ぶらで走って戻る以外の答えを持っていなかったからだ。
加藤は歩き続けた。
そして、そのトレーを見つけた。
惣菜パン。
深夜の店のオーブンが工業的な量で作る類のもの。夜中の二時でも、少し前に焼かれたものの余熱がまだ残っている。
加藤は止まった。
それを見た。
一つ持ち上げる。
まだ温かい。
蓮司が彼を見た。
「加藤」
「温かい」
加藤は一つ、かごに入れた。
もう一度トレーを見る。
さらに三つ入れた。
蓮司は、今回の状況に対する我慢の限界ちょうどに到達した人間の顔で彼を見た。
「加藤」
「包帯も買った」
優奈は、加藤が持っている袋を見た。
「それ、何?」
加藤はすぐには答えなかった。
優奈は彼を見た。
それから袋を見た。
もう一度、加藤を見た。
「まさか」
加藤は笑った。半分は罪悪感、半分は大きなことに遅れたとしても小さなことでは自分が正しいと信じている人間の満足だった。
「俺はずっとお前を信じてた」
「パンを買うために遅れたんじゃないって言いなさい」
「厳密には、包帯も買った」
「加藤」
「水も」
「加藤」
「それとパン」
優奈は、整った形で外に出せないほど多くのものを含んだ表情で彼を見た。
「この、くそったれが――」
寝室の扉が開いた。
蓮司が出てきた。
数分間押し込められていたものが、もう押し込めておく必要を失った時のように、空気が変わった。
蓮司は座った。
加藤を見た。
「さっき話したことは、まだ有効か?」
加藤が聞いた。
「ああ」
蓮司が答えた。
加藤はうなずいた。
「なら、聞いてほしいことがある」
二人は話した。
加藤と優奈が、片方が補足を必要とするたびに交代しながら説明した。
ここ数か月で現れた、思考する残滓たち。
三郷のムクロ。
糸を操り、言葉を話し、アクリョウが迎えに来た時に退いた残滓。
町田のシズクとザンショウ。
ザンショウの鎖。
狩人と残滓、そして彼らが正義と呼ぶものについて語ったシズクの言葉。
そして、二つの場所に現れたアクリョウ。
蓮司は遮らずに聞いていた。
「単発の事件じゃない」
話し終えたあと、加藤が言った。
「構造がある。命令を出している誰かがいる。アクリョウが従う誰かが」
「組織か」
蓮司が言った。
「ああ」
蓮司はしばらく床を見ていた。
「何を望んでいるのかは、まだわからない」
優奈が言った。
「でも、話し、考え、記憶し、ほかの残滓よりはっきりした意志を持つものを探している」
「しかも、殺すために探してるわけじゃない」
加藤が付け加えた。
蓮司の顎に力が入った。
「集めている」
「そう見える」
部屋が沈黙した。
扉の向こうから、葵の疲れた呼吸がかすかに聞こえていた。
蓮司はそちらを見た。
加藤も、その視線を追った。
「何か聞いたら」
加藤が言った。
「普通と違う残滓を見つけたら。話す、方向性を持つ、何かの意思で動いている。そういうやつを見つけたら。あるいは、葵にまた何か起きたら」
「知らせる」
蓮司が言った。
加藤が予想していた抵抗はなかった。
狩人の組織を信じるようになったからではない。
葵は葵だったからだ。
そしてそれは、信念だけでは解けない形で、彼の計算を変えていた。
「葵は見守られるべきよ」
優奈が言った。
「もう見ていた」
蓮司が答えた。
「十分じゃなかった」
加藤が言った。
蓮司は反論しなかった。
今回はそれが事実だったからだ。
自分でも、わかっていた。
優奈は壁に手をつき、少しだけ体を起こした。
「彼女が常に見えるようになったのかはわからない。痕のせいだったのかもしれない。あいつが見せようとしたから見えただけかもしれない」
「でも、一度見た」
加藤が言った。
「もし呪いが感覚の残りを置いていったなら、ほかの残滓がそれに気づくかもしれない」
蓮司は一秒、目を閉じた。
「なら、彼女を一人にはしない」
「それを頼んでるわけじゃない」
加藤が言った。
蓮司は目を開いた。
「よかった。するつもりもなかった」
加藤は少しだけ笑った。
嘲笑ではない。
完全な承認でもない。
ただ、今回は直す必要のない答えを認めるような笑みだった。
三人はしばらく壊れた居間にいた。
亀裂の走った壁。
完全に消えた蒼い魔力の残り香。
扉だった場所にできた、ただの穴。
加藤と優奈は立ち上がった。
「葵によろしく言っておいてくれ」
加藤が言った。
蓮司はうなずいた。
「わかった」
レンタカーは、まだ歴史を持たない車特有の新しい匂いがした。
加藤はそれを、諦めと、自分のものだと認められない空間にいる人間の居心地悪さのあいだのような目で見ていた。
「こんな時間にレンタカーを借りられてよかったわね」
優奈が言った。
加藤はハンドルを握った。
「俺の車が恋しい」
「あなたの車は公共の脅威だった」
「俺の車には個性があった」
「普通の車からは出ちゃいけない音がしてた」
「個性だ」
優奈は彼を見た。
加藤はラジオをつけた。
一秒の沈黙。
それから流れ始めたのは、Lemonではない曲だった。
加藤はラジオを消した。
「この車には魂がない」
「レンタカーだからね」
加藤は店の袋に手を入れた。
パンを一つ取り出す。
まるでそれが完全に普通の行為であるかのように、自然にひと口かじった。
優奈はそれを見た。
パンを見る。
加藤を見る。
袋を見る。
目を見開く。
「まさか」
加藤はゆっくり咀嚼した。
「温かかったんだ。食べるか?」
優奈は長い一秒、彼を見た。
それから、ため息をついた。
「……いいわ」
片手でパンを受け取り、窓の外を見ながらひと口かじった。
まるで、この状況で加藤から食べ物を受け取ることさえ、今夜のもう一つの敗北であるかのように。
加藤は笑った。
「じゃあ、やっぱりパンは重要だったな」
優奈は窓の外を見たまま言った。
「くたばれ」
加藤はただ笑い、車を発進させた。
鹿児島の夜明け前の通りは、いつも通りの静けさで二人を迎えた。
東京より少し暖かく、目覚め始めた街の最初の層に灯る明かりがあった。
その街は、その夜、自分の木々のあいだで何が起きたのかを知らなかった。
その場所には、見える名前がなかった。
壁は、十分な魔力を持つ何者かが、壁というものを調整可能な変数として扱った時に存在する類のものだった。
湿っている箇所がある。
歪んでいる箇所もある。
建てられたのではなく、形作られた空間の質感があった。
シズクが立っていた。
その隣にはザンショウがいた。腕から垂れる鎖は、眠らないものが休んでいる時のような静けさを保っていた。
加藤と優奈がまだ見たことのない二体の残滓が、部屋の両側にいた。
一体目は響。
中肉中背で、口元に細かな亀裂が走っている。彼の魔力には妙な震えがあり、周囲の空気だけが別の周波数で揺れているようだった。呼吸をすると、その音はわずかに遅れて届く。
二体目は螺旋。
背は低めで、肩幅が広い。片腕が肉ごと螺旋状にねじれ、そのまま固まったようになっていた。喋らない。喋る必要がなかった。その静けさは平穏ではない。
抑制だった。
そして中央に、黒淵が座っていた。
顔の上半分を覆う、滑らかな仮面をつけている。
目の穴はなかった。
少なくとも、最初はそう見えた。
だが、白い表面の奥。
本来なら目があるはずの場所に、二つの黒い染みがあった。
動かない。
深すぎる。
顔に属していていいものではなかった。
最も大きいわけではない。
最もわかりやすい存在感を放っているわけでもない。
けれど、他の誰も、彼を長く見つめようとはしなかった。
「現在までに集まった残滓は四十七体」
響が言った。
黒淵は動かなかった。
「異質は?」
「十三体です」
シズクが笑った。
「我々と同じものが十三体。悪くない始まりですね」
ザンショウは何も言わなかった。
鎖は眠っているように静かだった。
もっとも、それを知る者たちは、ザンショウの鎖が完全に眠ることなどないと知っていた。
黒淵が口を開いた。
「もう少しだ」
それから、シズクを見た。
「ザンショウと出ろ。もっと探せ」
シズクは頭を下げた。
その世界では、その所作に確かな重みがあると知っている者の、よく磨かれた滑らかさだった。
「お任せください」
ザンショウは何も言わずに背を向けた。
二体は出ていった。
黒淵、響、螺旋だけが残った。
その空間は、何かが作られている途中の場所にある沈黙で三体を包んでいた。
まだ、それが何になるのかを完全には見ることができない段階の沈黙だった。
暗い門が開いた。
劇的ではなかった。
何度も使われてきたものが、自分を誇示する必要もなく開く時の正確さだった。
アクリョウが入ってきた。
彼は頭を下げた。
「黒淵様」
黒淵は彼を見た。
アクリョウは報告した。
装飾のない情報だった。
装飾は、時間が余っている時のためにある。
「霧野優奈が、我々の追っていた残滓を消しました」
黒淵は息を吐いた。
衝動的な怒りではない。
状況を評価し、その結果は避けられたはずだと結論づけたものの失望だった。
「あれは愚か者だった」
響が視線を落とした。
黒淵は続けた。
「自分の罪悪感の中で腐り落ちる前に、我々の提案を受け入れていればよかったものを」
間があった。
迷いによる重さではない。
記憶による重さだった。
その手の終わりを何度も見てきて、もう驚けない。それでも、苛立ちだけは消えない者の間だった。
「死者を手放せない者は、必ず我々のもとへ辿り着く」
アクリョウは答えなかった。
螺旋も答えなかった。
響は黒淵を見た。
問いではない。
注意だった。
言われたことだけではなく、言われなかったことまで聞く者の注意。
黒淵は椅子にわずかに身を預けた。
「構わない。シズクとザンショウが、ほかを連れてくる」
その場所は、その場所であり続けた。
湿った壁。
外の世界とは違う周波数を持つ魔力。
アクリョウが使った門が、音もなく閉じていく。
そして中央で、静かに、黒淵は壁でも床でもない場所を見ていた。
彼にだけ見えている、どこかを。
自分が作っているものが、まだ完全な形を持っていない地点を。
だが、それは近づいていた。
集まる残滓の一体ごとに。
迫るものを知らない狩人の一人ごとに。
去ることのできない死者の一人ごとに。
そして、まだ理解していない生者の一人ごとに。
影の下で、残滓はすでに集まり始めていた。




