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龍脈の子  作者: キタノユ


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第七話 交渉

 山を背に河を下り、朗月たちは州都の城門を潜った。


 謁見した現・州侯は、たっぷりと蓄えた脂肪に埋もれるようにして、けだるげに椅子へ沈み込んでいた。


 痩せ細ったこの土地には不釣り合いなほどの豪奢な錦に包まれ、指にはいくつもの宝飾品が、なけなしの権威を主張するかの如く鈍い光を放っている。貌には、長年の安逸あんいつと無関心が作った深い皺が刻まれていた。


 州侯は朗月の申し出――中央府との交渉権と、それに伴う全責任の所在――に対し、さして興味もなさそうに許可を与えた。

 代わりに眼差しに浮かんでいたのは、腫れ物に触れるというよりは、死に急ぐ落伍者へ向ける憐憫れんびんに近い。


 だが、朗月にとって真の正念場はその先にあった。

 州の上の道、北玄道を統括する、総督との面会である。


 州都の退廃的な空気を背に、一行はさらに凍った街道を南下した。

 辿り着いたのは、北玄道ほくげんどうの心臓部――堅牢な城壁に囲まれた府城である。


 通された執務室に現れた総督は、州侯と対照的――質実剛健しつじつごうけんな能吏だった。

 贅肉ぜいにくの一片たりとも許さぬ、古木のような老爺ろうやであった。

 窪んだ瞳に宿る光は、老いてなお衰えぬ士気がたぎ猛禽もうきんのそれだ。


 朗月は、広げた渓舟の図面の上に、己の言葉を重ねた。

 工期短縮と費用の圧縮をいかにして実現しえたのか。

 何より、かつての「帝都の食糧庫」としての復活が決して夢物語ではないという根拠を、熱を込めて説いた。


「この辺りは私も視察へ赴いたことがある。夜間作業など、とうてい不可能」

 総督は、図面の一点を枯れ木のような指で叩いた。

「灯りとなる油や薪炭の輸送費だけで、見積もりの倍は足が出る。工期を半分にするなど、荒唐無稽こうとうむけいにも程がある」


「油も薪も、ここにある通り、必要最低限しか使わぬ」

 朗月は怯むことなく、書き足された『新たな燃料』の図解を示した。


「龍気を、実用化した……?」

 総督の眉間の皺が深くなる。

 眉唾まゆつばだと断じる理性が、若い熱情に気圧されかけた。


「湿地帯の周辺には、長きにわたる龍気の漏出によって、その気を潤沢に溜め込んだ鉱石が、あちこちに層を成している」

 朗月は畳み掛けるように言葉を紡いだ。


「この鉱石を燃料の核とすることで――無尽蔵とはいかぬまでも、少なくとも工期の間、湿地帯を照らし、人夫たちを温める熱源としては十分な働きをするであろう」

「なんと……」

「これこそが、工費の大半を占めていた燃料問題を解決する鍵」

「確かに、それが誠であれば是非もないこと」


 総督は唸り、組んだ両手の上に顎を乗せた。

 鋭い眼光が、朗月の瞳を射抜く。


「まずは本庁より調査団を派遣して真偽を確かめねば、許可は下せませんな」

「それでは遅い」


 朗月は即座に切り返した。

 龍脈を視認できる者が調査団の中に存在しない限り、『在るか無きか分からぬもの』の証明にどれほどの時間を浪費するか。

 まだ幼い千里を駆り出すことは避けたい。


 総督の眉がピクリと跳ねる。

「不確定な要素に、国庫を開けと?」


「故に、私が保証するのだ。最終的に、私が自ら奏上そうじょうに赴いても良い」

 朗月は一歩も引かず、卓上の書状――自身の責任を明記した誓約書を、総督の目の前へと押しやった。


「調査に費やす時間も、証明の手間も、すべて私が背負う。私の地位、そして首。如何様にでも処分してくれていい。これは、国家百年の計になり得る事業である。どうか、中央への建言をお願いしたい」


 自身の朱印が押された分厚い書状の束は、すべての罪を朗月一人が被るという証。


「……」

 しばしの沈黙が、執務室の冷たい空気をさらに重く冷たくしていく。

 鋭いの眼光が、卓上の書状――鮮血を思わせる朱印と、目の前の青年の顔を、冷徹な天秤にかけるように往復している。


 音なき算盤の音が、聞こえてくるようだった。


「……殿下がそこまで仰るのでしたら」

 やがて、総督の指先が、書状の束をゆっくりと手元へ引き寄せた。


 老将の眼から、険しい色が引いていく。

 代わりに浮かんだのは、奇妙なほどに凪いだ、温度のない光――うたかたの夢にすがりつく、はかない若者を見る目だ。


「しかと、承った。北玄道総督の名において、必ずや中央府へ建言仕りましょう」


 老将は慇懃いんぎんに頭を垂れ、朗月の訴えを受理した。

 腹の底で何を嘲笑あざわらっていようとも、表面上は忠実なる臣下の仮面を崩さずに。



 全ての交渉を終え、威容を誇る黒塗りの大扉が、朗月の背後で軋んだ音を立てて閉ざされる。


 張り詰めていた熱が、鋭い冷気にかき消された。

 石造りの巨大な庁舎が作り出す長い影の底、降り積もった雪を掃いたばかりの石段の下に、見慣れた二つの影が佇んでいた。


 白葉と蒼嶽だ。主の姿を認めるや、二人の表情――特に白葉は分かりやすく――に、陽が差したような安堵の色が浮かぶ。

 臣下たちは朗月の元へ駆け寄り、滑らかにその場へかしずいた。


「出迎えを、ありがとう」

 直向ひたむきな忠義が、今は痛いほどに沁みる。


「殿下。大儀にございました」

 白葉が労いの言葉を紡ぎ、心配そうに主君の顔を覗き込んだ。


「お顔色が優れません。せっかくの都です、宿でしばし、ゆるりと旅の疲れを癒やされては。それとも――」


 白葉に促され、朗月は漫ろに顔を上げた。

 石段の先には、州都の目抜き通りが真っ直ぐに伸びている。


 ここへ到着した時は世界が灰色に塗りつぶされたようで、何一つ目に入ってこなかった。今は、堰を切ったように、目眩がするほどの極彩色が視界へ雪崩れ込んでくる。


 行き交う馬車や商人の活気が、厳冬の空気さえも溶かすほどの熱気を放っていた。朱塗りの提灯を下げる酒楼からは香ばしい湯気が立ち上り、旅人を甘やかな安息へと誘うように艶やかに煌めいている。


「いや」

 朗月は首を振った。


「戻ろう」

 今はまだ静かな、湿地の村へ。


 嘆願が、いつ然るべき責任者の目に留まるかは分からない。

 あるいはそのまま、総督の机の引き出しで永遠に眠ることになる可能性も捨てきれない。


 だが、さいは投げられた。

 朗月は一つ大きく息を吐き出すと、忠義者二人とともに、北へ向けて歩き出した。

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