安息の地へ/光一
俺は決心し、響平を起こさないようにそっとベッドを抜け出した。廊下へ出て直属の上司に電話をかけた。
「もしもし。間宮です。お疲れ様です。今、いいですか? はい。実は……」
身内の病気で介護が必要になりしばらく会社を休みたい。そう申し出ると上司は承知してくれた。幸い有給はまだ十日ほど残っている。出社できる状況になったら連絡することを約束して通話を終えた。
「ふー」
しばらくはこれで大丈夫。響平と一緒にいられる。その間に響平の過敏になった神経を癒せることができれば……。
「……そうだ」
人ごみを避け、思いっきり田舎へ行くのはどうだろう? 悪臭を放つ犯罪者がウロウロしている大都会に今の響平は適応できない。
俺は静かに寝室へ戻り、眠っている響平の枕元に腰を下ろした。布団の中に手を入れ、響平の冷たい手を握る。もう片方の手で携帯を操作しプランを練った。
響平は目が覚めてもボーッとしていた。かと思えば、小さな物音にも過剰にビクビクする。
まるで家を飛び出したネコのようだ。常に俺にくっつき一緒に行動したがる。正常な状態ではない。なにごともそつなくこなし、いつも飄々としていた響平の面影はない。人が変わってしまったかのようだ。
翌朝、ビクビクと小さくなった響平を助手席に乗せ車で出発した。
車内でもできるだけ響平の手を握り運転した。
東京を出て約五時間。到着したのはN県Y郡山添村。
大きな平屋の建物は懐かしい昭和の香りがした。小さく「民宿 田舎」の看板が玄関横に立てかけてある。この大きな建物にひと組しか泊まれないなんて、とても贅沢だ。
周りに民家もない。夜は静か過ぎて怖いかもしれない。でも、この環境こそ、今の響平には必要なんだ。
俺たちを迎えてくれたのは五十代のご夫婦だ。素朴で人の良さそうな笑顔の人たちだった。
「ようこそ。間宮様いらっしゃいませ」
「よろしくお願いします」
「さぁさぁ、こちらへ。ご夕食と朝食は一切の添加物を使用しない食事を提供しています。明日は自分で作る手作り有機野菜ピザの体験ができますからね」
「楽しみです」
「手作り豆腐もあるんですよ。自分で収穫した野菜を天ぷらにするのも絶品ですよ」
「へー。美味そうだね!」
隣の響平へ話しかける。
響平は家を出る時ほど怯えてはいなかったが、俺のうしろでピッタリとくっついていた。シャツの裾をギュッと掴んでる様子は、まるで人見知りの激しい子供のよう。
神妙な面持ちで俺を見つめながらかすかに頷く響平へ頷き返し、オーナー夫婦へ説明した。
「都会の喧騒から離れたくて来ました。五日間よろしくお願いします」
夫婦はなにかを察してくれたようだった。無言で「うんうん」と頷く目は穏やかで優しい。響平を見る目はまるで幼い子供を見守るようだった。
「なんにもないけど、静かでいいところだよ。ゆっくりしてってね」
すっかり挙動不審になっている響平は視線を彷徨わせながら頷くと、さらに俺の背後に身を隠した。
「はい。よろしくお願いします」
優しい夫婦へ頭を下げ、響平が掴んでいる裾から誘導するように手を握った。響平はすかさず反対側の手で俺の腕にしがみついてくる。ぴったりと横並びになった状態で響平と二人、宿へ足を踏み入れた。
だだっ広い土間で靴を脱いで上がると、広々とした和室と囲炉裏があった。風呂は五右衛門風呂。トイレはどうだろう? と不安がよぎったが、外国人客にも対応できるよう、トイレは洋式だった。一安心だ。
「わ~。広いね。なんかおばあちゃんちみたい」
ぴったりくっついている響平へ話しかける。
「うん」
響平は襖に目を向けながら返事をした。警戒している表情。
誰かが隠れているんじゃないかと思っているのかもしれない。
俺は襖を開け、響平へ中を見せた。当たり前だけど、中には布団や座布団が入っているだけ。念のため、窓の外も二人で確認する。
「誰もいないよ。俺と響平のふたりだけ。晩ご飯の時はオーナーさんたちがくるだろうけど。あの人たちとてもいい人そうだったよね?」
それでも不安げな表情の響平を引き寄せギュッと抱きしめる。
「大丈夫。俺が守るから」
響平が腕を持ち上げ、俺を抱きしめ返してきた。
その腕が嬉しくて、もっと響平を強く抱きしめた。柔らかな髪に鼻先を突っ込んで響平の匂いを思い切り吸う。少し痩せてしまった背中をそっと撫でていたら、俺の腹がグゥと変な音を立てた。響平と目が合い「あは」と照れ笑いすると、響平もほんの少しだけ表情が柔らかくなった。
昼食を食べずにノンストップで走ってきたから腹はペコペコだった。夕方の五時とまだ早い時間だけど、夕食を用意してもらう。
ここで飼っている鶏が今朝産んだばかりの新鮮な玉子で作っただし巻き卵。手作り豆腐の入った味噌汁や揚げ出し豆腐。新鮮なサラダ。野菜の天ぷら。炒めたナスの味噌あえ。肉じゃが。どれもこれも優しくて、おどろくほど美味しい。それに釜戸で炊いた白米は、感激するほど甘くて美味しかった。
響平は俺の食べる様子をじっと眺めていたけど、おそるおそる味噌汁の椀を持ち上げた。
クンと匂いを嗅ぎ、そっと口をつける。
俺は気にしてないふりして、その様子をさり気なく観察した。
ひとくち飲むと、強張っていた響平の頬がフワッと緩んだ。
「……おいしい」
「うん! あったかくて美味しいよね!」
リラックスしている時の、響平の甘ったるいコロコロした声も久しぶりだ。
ご飯も気に入ったようで、頬を膨らませモグモグ食べている。
昨日から響平はまったく食事をとれてなかったから、かなりホッとした。
体に優しくて真心のこもった料理を堪能したあとは、初体験の五右衛門風呂だ。風呂場をふたりで覗いて「お〜」と声を上げていると、外の窓からオーナー夫婦が顔を出した。
「ついでだから、お布団敷いておきましょうか?」
「あ、いいんですか? お願いします」
「はいはい」
五右衛門風呂は薪で熱するから、釜の底面が熱くなる。足が火傷しないよう木製の丸い蓋を風呂へ沈め、その上に上手に乗らなくてはいけないし、お湯が熱かったら蛇口の水を入れ自分で調節しなくてはいけない。なかなか難しい。
サポートが必要かも?
お湯に手を入れ、適温になるよう蛇口から水を出し、かき混ぜながら響平を振り返った。
「響平、先入る?」
響平は目を剥き、全力で首を横に振った。
やっぱり、ひとりが嫌なんだろうな……。
「じゃ、俺先入ろう。……シャワーあるし、響平は髪洗ってたら?」
勇気を出して風呂に誘ってみると、響平がウンウンと頷く。
やっぱり一緒の方が安心するらしい。
告白もしたし、キスだってしたのに、こうも簡単に同意されると複雑なんだけど……と思いつつ、恥ずかしがっててもしょうがないと服を脱ぎ、先に洗い場へ降りた。




