・俺の、私の、ラブリー・ボス(2)
え! 眞子は心臓が止まりそうになり、専務は父親のデスクへと詰め寄った。
「はあ!? なにいいだすんだよ。父さん!! 眞子はまだ二十代で」
「おまえも二十八で専務になったじゃないか」
「そ、そうだけれど……」
途端に篠宮社長の視線が、父ではなく険しい上司の視線に鋭くなる。それに睨まれた慎之介も押し黙った。
「この一年、カンナのアシスタントから外れて後の『本田さん』の働きを、専務はどう評価するのかね。ハンドケアのイベントの提案、下準備、担当外からのフォロー、交代してからも無事に完了、お客様からも好評で第二回目の開催も決定した。そして本日のシークレットバーゲン、秋の改装オープンのイベント提案も眞子さんのものが採用され、三浦部長が絶賛している」
「もちろん、……篠宮を支えてくれる素晴らしいものでした。どれだけ助けられたかわかりません」
「つまり。私も、カンナも、そういう評価である。そして相続権がある葵もおなじく。あと社員幹部にも了解を得ている。あとは専務と、本人の眞子さんだ」
やっと。眞子は我に返って、義父である篠宮社長のデスクに食らいついた。
「社長、いえ、お義父様! だめです。私のような若輩者ではなく、いままでこの会社に貢献してきた社員の方に与えるべきポストです!」
だが、篠宮社長はさらににっこり、こともなげに言った。
「だめだよ。眞子さん。もう逃げられないんだよ。だってうちは『一族経営』だからね。辞めない人にやってもらうと決めているんだ」
眞子の頭の中に、どーん爆撃された音が響き渡る……!
「慎之介もそうして、若僧のうちに専務に就任したんだよ。ただし、仕事も認められない嫁なら、まだまだ先にお願いしていただろうし、認められないならただの平社員嫁にしておくつもりでもあったよ。これでも認めているんだよ、眞子さん」
怖い、篠宮お父様の目が怖い。『嫁だから働け、貢献しろ。だから嫁にしたんだ』とでも言いたそうな冷酷な目、なのに笑ってる。
それに眞子は『平社員嫁』という言葉にいちばん恐怖を抱いた。それこそ篠宮にふさわしくない嫁だということになると初めて気が付く。
「眞子、無理しないでいいんだ。結婚してこんなすぐなんて、無謀すぎる」
「ほう。夫の専務は、ご自分の妻の実力はその程度と思っているのだね」
「そうではなくて!」
ごねる息子へと、いままでにない社長の険しい眼差しが突き刺した。さすがに専務もひやりとした様子。
「そんな甘えた結婚を、彼女に申し込んだのかね。まさか、もう一度、おなじ失敗をするような結婚を選んだのかね」
また専務が口をつぐんだ。そして口惜しそうにうなだれてしまう。眞子の前で『離婚について』指摘されたからなのだろう。
「ただ気持ちが盛り上がって好きになっただけでは、うまくいかないことくらい、苦い思いをした男のおまえがいちばんわかっているだろう。結局、前の嫁はモデル業を全うしたいと東京に帰ってしまったではないか」
初めて……。眞子は離婚の理由を知る。
もともとモデルをしていた彼女と結婚して札幌に連れて帰ってきたが、彼女はモデルの仕事への未練が断ち切れず東京に帰ってしまった。慎之介は跡取り息子であって、彼もこの仕事が天職だと自覚していたから一緒に行くことはできなかった。
でも、眞子には見えてしまう……。
――彼女がそれで輝くなら、俺は応援するよ。行っておいで。
専務がそうして最後に彼女のために送り出しただろう姿が見えてしまう。
だって、慎之介さんは女の子をきらっと輝かせる達人だもの。
でも離婚するのだから、前妻の彼女とは決裂してしまった傷も残っているはず。
そんな専務が、今度、眞子と一緒にいたいと望んでくれた純粋な気持ちの方が眞子は伝わっている。だけど、眞子だって。結婚する時に覚悟していた。
私は、篠宮家の長男と結婚するんだって!
「まさか、あれから十年は経とうかとしているのに、同じ事の繰り返しか」
社長はまだ専務の古傷へと立ち向かっている。そして専務も。
「眞子は眞子。一緒にいたい妻として結婚を望んだ。それが第一。もちろん、俺が跡取り息子であってその嫁にするとどうなるかも考えた。でも俺は信じている、眞子は俺と一緒でこの仕事を好、」
「社長。私から言わせてください」
専務が懇々と父親に語るその途中で、眞子は遮る。
慎之介さんの背中、後ろに控えていたけれど。眞子は専務と一緒に並び、社長デスクへと真向かった。
もう、いいよ。慎之介さん。専務が言おうとしてくれたこと。私、わかってる。そうだよ。私も専務と一緒、篠宮の家業、この仕事、好きです。
そんなことを心に秘め、眞子は彼を見上げて微笑んだ。専務も眞子の目を見て通じたのか微笑み返してくれる。
「社長。私はここの篠宮のお仕事が好きです。専務とこの会社を支えていきたいと思っています」
眞子の覚悟。そこで深々と頭を下げる。
「常務の件、承知いたしました。よろしくお願いいたします」
横にいた専務が何故か力が抜けたようにして、父親のデスクに手を突いてよろめいている。
「あああ、俺のかわいい眞子が……、常務……って! 俺と、結婚したばかりに」
「おまえ、かわいいなんて――。平気でここでいいのけて。まったくのろけてくれるね。いいかい、専務。かわいい常務の教育係を命じるからな」
常務を育てるのは、ボスであるおまえの責務。常務を守るのは、夫である専務の使命。社長がそういって笑った。
「では。正式な就任承認会を開いたうえで、決定とする」
さらに……と、社長が眞子を見る。
「これからアシスタントと新卒生を、常務の配下につけ独立した業務ができるように、私と慎之介で指導していこうと思う」
「社長、お義父様、よろしくお願いいたします」
最後に、篠宮社長がふっと笑った。
「篠宮にかわいいボスの誕生か」
そっか。今度は私がボスになるのね?
専務のように、後輩を社員を守っていかなくてはいけないんだ。
でも専務も笑っている。
「かわいいボスかいいね。よし、これから眞子のことは『かわいいボス』と紹介していこう。俺のかわいい奥さんだけれどね」
なんて笑っているけれど。
眞子はひっそり笑う。
違うでしょ。かわいいボスは専務のほう。
おじいちゃん眼鏡でぼさっとしている専務も、きりっと美麗なスーツなビジネスマンな専務も。そして。ちゃっかりおぼっちゃまな、おおらかなお兄さんの慎之介さんも。
きっと、これからも。私にはずっとラブリーな専務さん、旦那様。
それにね。専務……『ラブリー』て、『素晴らしい』という意味でもあるの。
「わたしのボスはずうっと慎之介さんですよ」
すぐ隣にいる美麗なスーツ姿の旦那様。
美麗なスーツ姿の慎之介もにっこり。お父様の目の前なのに、眞子の腰をぐっと抱き寄せて自分にくっつける。
「そう、俺は眞子のボス。仕事も結婚も、この会社も、俺が眞子の前に立って守る」
「わたしも。すぐ後ろにいますからね」
「はあ、もう私はちょっと外でお茶でもしてくるよ」
とうとう篠宮社長、お父様が、専務でも常務でも、くっつきぱなしの息子夫妻に呆れかえって出て行ってしまう。
その後。専務からの『おめでとう』のキス。
『がんばろうな』のキス。
『俺がついているよ』のキス、キス、キス……。
ずっと、ずっと、あなたのあとをついていきますから。愛しい私のボス。
【 ラブリー・ボス 】 完




