肉汁とお粥
袁紹の大軍に付き従って撤退、あるいは潰敗していくプロセスのなか、北方の秋は一日ごとに深く沈み込んでいった。
寒気は容赦なく肌を刺し、退却してきた敗兵たちは、ろくな糧餉(給与)も与えられぬばかりか、一口の熱湯(温かいスープ)にすらありつけずにいた。各処の軍営からは哭爹喊娘(泣き叫び)の声が響き渡り、そこには死気(絶望)だけが重苦しく沈殿していた。
私は全軍の死体回収大隊長という公式の身分を最大限に活用し、名正言順(大義名分を以て)に文丑の大営の西北の隅へ、十数口の大鍋を堂々と支え(据え付け)させた。鍋のなかで煮えたぎっているものは、顧墨が帳簿のデータの死角を利用し、「死者の損耗」として暗中で密かに削り残しておいた干し肉や粗米、さらには老陳が近くの荒山から採掘してきた、身体を温めるための駆寒(防寒)の草薬(薬草)であった。
「文将軍の麾下(配下)にある弟兄(兄弟たち)であるならば、傷兵であれ精鋭であれ、不問(誰でも)、毎日一碗の熱湯を無償で配給する!」
私は鉄牛に数人の部下を付き従わせ、鍋の傍らに立たせて秩序を厳格に維持(管理)させた。当初、戦場で瞬き一つせず人を殺めてきた北地の悍卒(タフな兵士たち)は、ただ麻木(麻痺)したような面持ちで飯を貰いに来るに過ぎなかった。しかし、毎日一碗の、雷が鳴ろうとも絶対に途絶えることのない熱いスープが胃袋へと収まるにつれ、兵士たちが私たちに向ける眼光は、じわじわと変換(変化)していった。
やがて干し肉の備蓄が底を突きかけると、私は回収隊のなから、頭の回転が速く、かつ度胸のある小頭目(部下)の鄧車、夏天台、孫港といった連中を呼び寄せ、彼らに附近の河汊(川の支流網)へ赴いて魚を捕らえるよう指示を出した。




