17.再会は、制圧の後で。
王都南西、山の麓。
岩場が点在する草地では、八人の人影が魔物の群れと対峙していた。
その姿を目にした瞬間。恒一は思わず叫んでいた。
「――ヤマト君達!?」
先頭に立つのは、見覚えのある四人の少年達。その周囲を、王国騎士と思われる四人が陣形を組むように守っている。
だが、その表情には明らかな焦りがあった。
彼らの前へ立ちはだかるのは、巨大な一つ目の魔物が五体。そのうち一体は、明らかに他よりも大きい。
「サイクロプス……しかも上位個体か」
オルビスが低く呟く。その声には焦りではなく、状況を確認する冷静さだけがあった。
「オルビス!」
「分かっている!」
二人が言葉を交わした、その瞬間。
コーイチの背後で、空気が静かに震えた。
振り返る間もない。視界の端を、淡い銀色の光が音もなく駆け抜ける。
「――貫け。」
短く紡がれた言葉と共に、青白く透き通る剣が幾筋も宙へ現れた。
まるで磨き上げられた硝子のように美しい、魔力の刃。
それらは一直線ではなく、互いに軌道を変えながらサイクロプス達を取り囲み、一斉に襲い掛かる。
一本が肩を。
二本目が腕を。
三本目が脚を貫く。
あえて上位個体ではなく、その周囲を固めていた通常個体郡を狙った一撃だった。
「ギャアアアッ!」
魔力剣は急所を外している。
致命傷ではない。しかし、それで十分だった。
四体のサイクロプスが揃って大きく体勢を崩し、振り上げていた棍棒が次々と地面へ叩き付けられる。
「今だ! 全員下がれ!」
アステルの声が戦場へ響いた。
不思議と、その声には逆らえない力があった。大和達も騎士達も、反射的に後方へ飛び退く。
次の瞬間。
ドンッ!!
走る勢いのままに、クロムが大地を蹴った。
巨大な黒銀の魔狼が、土煙を巻き上げながら人々と魔物達の間へ飛び込む。着地の衝撃で、小石が四方へ弾け飛んだ。
「ヴルルルル……!」
先ほどまで草原で穏やかに寝転んでいた姿とは別人――いや、別の獣のようだった。
低く腹へ響く唸り声。
剥き出しになった牙。
青い瞳が獲物を射抜く。
その圧倒的な威圧感に、サイクロプス達でさえ一瞬動きを止める。
「ま、魔狼だ!」
「しまっ――」
騎士の一人が思わず剣を構えた。しかし、その動きもすぐ止まる。
クロムの背から、二人の青年が軽やかに飛び降りたからだ。
風に揺れる銀髪が陽光を受けて輝く。
二人とも腰には何も帯びていない。
「に、人間……!?」
二人が一歩前へ出た瞬間、淡い光がそれぞれの身体の周囲に渦巻く。
静かに胸元に右手をかざし、軽く横へと振る。
――その瞬間。
ひとつは、銀色が星屑のように静かに煌めく蒼い細剣。
もうひとつは、金色が刀身へ蔦のように走る、深紅の大剣。
まるで最初からそこに在ったかのように、二振りの剣が主の手へ収まっていた。
騎士達は思わず息を呑んだ。
見たことのない術式。見たことのない武器。
だがそれ以上に、二人が纏う空気そのものが、常人のそれとは異なっていた。
気負いもない、力みもない。ただ、目の前の脅威を当然のように討つ――そんな静かな確信だけがそこにある。
アステルは大剣を肩へ軽く担ぎながら、ちらりと後ろを振り返った。
「コーイチ」
「え?」
「ここから動かないで」
その声は、先ほどまでと同じ穏やかさだった。
「クロ、頼むぞ」
「グルルゥ」
クロムは短く応えると身を低くし、背に乗せた恒一を庇うようにサイクロプスを睨み付けた。その背中は、大きく頼もしい。
「――アステル」
「ああ」
短い言葉だけで十分だった。
二人は互いに頷き合う。
その姿は、何度も互いの背中を預けてきた者だけが持つ、揺るぎない信頼そのものだった。
クロムがゆっくりと大きく息を吸い込み、天を仰ぐように首を持ち上げた。
「クロ?」
コーイチが思わずその背を見つめる。
次の瞬間。
「――――ォオオオオオオオン!!」
高く、どこまでも澄んだ遠吠えが山々へ響き渡った。
それは獣の咆哮というより、鐘の音にも似た、不思議な響きを持っていた。
その声は谷を越え、森を渡り、空へと溶けていく。その余韻が戦場を包んだ瞬間だった。
「……え?」
大和は思わず目を見開いた。
張り詰めていた身体から、ふっと力が抜ける。胸を締め付けていた焦りが。喉を掴まれるような恐怖が。まるで暖かな風に溶かされるように、すうっと薄れていった。
隣では美琴も、ひまりも、玲司も、そして騎士達までもが驚いたように顔を見合わせている。
「な、何だ……今のは……?」
騎士の一人が呆然と呟く。
アステルはそんな彼らを振り返り、安心させるように笑った。
「大丈夫だ」
その笑顔は、先ほどまでの鋭い表情とは打って変わって穏やかだった。
「クロの応援だよ」
「応援……?」
「ああ」
アステルは誇らしげにクロムの首筋を軽く叩く。
「クロが『味方だ』って思った相手なら、勇気が湧くんだ」
その言葉に合わせるように、クロムが短く鳴いた。
「わふ」
先ほどまでの低い唸りとは違う、どこか優しい声だった。
「――逆に」
アステルは再びサイクロプス達へ視線を向ける。
「敵だと思ってる奴は」
口元へ、僅かに笑みを浮かべる。
「滅茶苦茶ビビる」
その一言が終わるのを待っていたかのように。
サイクロプス達の様子が変わった。
「グ……グォ……」
上位個体が一歩後ずさる。先ほどまで猛然と振り上げていた棍棒は、明らかに勢いを失っていた。
周囲の通常個体も落ち着きなく視線を彷徨わせ、足取りが目に見えて鈍くなる。
魔物達は、本能で理解していた。
目の前に現れた魔狼は、自分達よりも遥かに格上の存在なのだと。
――魔狼の咆哮。
魔力を宿したその遠吠えの意味を、この場で知る者はほとんどいない。
何しろ、神獣クラスとされる魔狼が人へ心を許し、更には共に戦うなどという記録は、この世界のどこにも残されていなかったのだから。
静寂が、一瞬だけ戦場を包む。
――そして。
アステルとオルビスは、ほとんど同時に地を蹴った。
――速い。
二人の剣士が戦場を駆ける。迷いどころか思考時間すら無いようなそれは、極限まで無駄を削ぎ落とした速さだった。
正確に動きを追えたのは、恐らくは『剣聖』の力を持つヤマトだけだろう。
「グォォォォッ!」
最初に動いたのは上位個体だった。
巨大な棍棒が唸りを上げ、オルビス目掛けて振り下ろされる。
まともに受ければ、人など一撃で押し潰される。
しかし。
「……遅い」
その一言と共に、オルビスの姿がふっと消えた。
いや、違う。最小限の歩幅で懐へ潜り込んでいたのだ。
足元を潜り抜け、蒼い太刀筋が閃く。
鋭い一太刀は、上位個体の膝裏を正確に斬り裂いた。
「ガァぁッ!」
巨体が大きく揺らぐ。
倒れはしない。だが、その体勢は完全に崩れた。
一方。
「そっちは任せたぜ!」
アステルは通常個体の群れへ飛び込んでいた。
左右から迫る棍棒を紙一重でかわし、その勢いのまま踏み込む。
赤い大剣が半円を描いた。ギィンッ!と、鈍い音と共に棍棒が弾かれる。
「ほらほら!」
楽しげな声とは裏腹に、その動きは冷静そのものだった。
一体目の腕を斬り、返す刃で二体目の足首を払う。三体目が横から殴り掛かれば、その攻撃を利用するように蹴り上げて跳び上がり、相手の肩へ着地して後方へ抜ける。
「そっち!」
声だけで十分だった。
「ああ」
オルビスが短く応じる。
踏み込みながら剣を振るえば、青い斬撃が一直線に走り、アステルを追っていた四体目のサイクロプスの棍棒を根本から真っ二つに断ち切った。
「サンキュ、助かった!」
「貸し一つだ」
「それ三日前にも言ってねぇ?!」
「何処かの誰かが返してないからな」
そんな軽口まで聞こえてくる。どちらも、まるで命のやり取りをしている最中とは思えない。
しかし、その息の合い方は異常だった。
互いの位置を見ていない。それでも、次にどこへ動くか分かっている。
だから背中を預けられる。だから迷いがない。
それを見ていた大和は、思わず息を呑んだ。
「すごい……」
剣聖の加護を授かった自分から見ても分かる。
二人は力任せに戦っているわけではない。
一歩。
一太刀。
一つひとつに意味がある。
必要最小限の動きだけで、まるで踊るように巨大な魔物を翻弄しているのだ。
「隊長!」
騎士の一人が叫ぶ。
「今なら援護できます!」
隊長格の騎士は、目の前の光景から目を離さぬまま首を横に振った。
「いや……」
その表情には驚愕が浮かんでいた。
「あの二人の動きを邪魔するな」
「!」
その判断は正しかった。
この戦場の主導権は、もはや完全に双子が握っていたのだから。
◇◇◇
戦いは、長くは続かなかった。
一体。また一体と。巨体を誇ったサイクロプスが、大地を揺らしながら倒れていく。
双子は決して焦らない。
互いの動きを妨げることもなく、必要な時だけ言葉を交わし、無駄のない連携で確実に魔物の数を減らしていく。
やがて。
「終わりだ」
オルビスの静かな声と共に、蒼い魔剣が最後の一閃を描いた。
上位個体の膝が崩れる。
巨体がぐらりと傾き――轟音と共に、大地へ沈んだ。
辺りを包んでいた魔物の咆哮が止み、土煙がゆっくりと晴れていく。風が草を揺らし、小鳥のさえずりが少しずつ森へ戻る。
静けさが戦場へ戻るまで、十分とかからなかった。
アステルは軽く息を吐き、魔剣を振って血を払う。刃は淡い光となって空へ溶け、そのまま跡形もなく消えていった。
オルビスも静かに剣を下ろす。こちらも同じように、青い光となって消えていく。
その様子を見ていた騎士達は、ただただ言葉を失っていた。
何だったのだ、今の戦いは。
圧倒された。その一言しか浮かばない。
そして、ようやく。大和は長く止めていた息をゆっくりと吐き出した。
「……助かった」
自然と漏れたその声は、誰へ向けたものだったのか、自分でも分からなかった。
視線の先には、銀髪の二人の剣士。
その傍らで悠然と座り込む巨大な魔狼。
そして。
「コーイチさん……!」
思わず声を上げる。
そこには、久しぶりに顔を合わせる同郷の青年が、少し困ったような笑みを浮かべて立っていた。




