第19話 未来
「…アーク王子…?」
「…おい、どうなってやがる。これじゃあ、まるで魔獣じゃねぇか」
リエンとリーゼルは互いにアークの姿から目を逸らせず、こめかみから冷や汗が垂れる。
「申し訳ありません。お2人にはお伝えしておりませんでしたが、兄は…自分をも研究対象としていたようで、独房に入れてからこのように体が変化し始めました」
「変化…」
リエンは口に手を当て、1歩後退りをする。
「…ふっ…ははは、間抜けな弟や父上は俺のことを何も分かっていなかった。ただの女遊びが激しいだけと思っていたようだが、あぁ…そうだ、リエン。この前一緒に過ごした時間は、最高だったね」
アークが左手をあげると、手首には白い布が巻かれていた。
(…なに、白い…布…)
今までとは違う、ドクドクと頭の血管が脈打つような激しい頭痛に、リエンは顔を苦痛で歪める。
(…あの白い布は…私のお守りだった…そうだ…キルナンからもらって…それで…リーゼルとの合流場所に向かって…ブラックキャットと…戦って…それで…)
「あぁぁああ!!」
頭が割れるほどの激痛と共に、忘れていた記憶がドドドッと頭に流れ込む。
「リエン!!」
「あははははは!!」
床に前のめりに倒れ込むリエン。
リエンを、呼ぶキルナンとリーゼルの声と、高笑いするアークの声が、まるで遠くにいるようにボヤッと聞こえる。
床にうずくまるリエンは、リーゼルに捕まえられた網の中にくるまるブラックキャットと視線が合う。
大きく見開かれた黄金の目は、こちらを瞬きせずじっと見ている。
「君も僕らの仲間入りにゃ」
「うぅ……」
リエンは薄っすらと開ける目から涙を、口からは唾液をこぼしながら、うめき声をあげる。
そして、思い出していた。あのときのことを。
ブラックキャットとの壮絶な戦闘のあと、頭を戦闘中に打ちつけたことで、リエンは木の根本に意識なく横たわっていた。
気を失っていたのはほんの数分のはずで、リエンの元に近づいて来る負傷しているブラックキャットとアークの話し声で、すぐに目を覚ました。
だが、一瞬の隙を逃さなかったアークは、リエンの上に馬乗りになり、手や足を縛りつけリエンが動けないようにした。
抵抗したリエンだが、体を鍛えていたアークの力に叶わず、そのままアークがリエンの兵団の制服を脱がしていくのを防ごうと、身を捩りどうにか逃げようともした。
そんなリエンを見て嬉しそうに笑うアークに、リエンは絶望を感じ、脱がされていく服の感触と共に、このまま自分の身に何が起こるのかを悟ってしまった。
「リエン…!リエン!こちらを見てください…!」
キルナンの呼びかける声に、リエンは意識が呼び戻される。
目の前には、心配したキルナンの顔があった。
「もういいでしょう、リエン。…見ての通り、兄はもう人間ではありません。そして、ここから出ることも…二度とありません」
白い布が巻かれたアークの腕には、ジャラジャラと何重にも付けられた重い鎖が音をたてる。
「…リエン…?」
自分に向けられる、キルナンの真っ直ぐなグレーの瞳に、リエンは視線をそらす。
記憶を取り戻したことで、心も体も憔悴しきり動揺もしていた。
「こいつはどうする」
リーゼルは汚いものを見るかのように、ブラックキャットを網ごと持ちあげる。
「父上に見せたのち、処刑します」
キルナンは、アークへと視線を向ける。
「兄上、あなたが自分の命までをもかけた、研究結果の最後がこれです。…あなたが不法に成し得たものは、全て私がこの手でつぶします。一つ、残らず」
「そうしたらいい、キルナン。お前が望むようにな…」
アークは不敵な笑みを浮かべ、金色の瞳を愉快そうに輝かせる。
キルナンは、無言でリエンを抱き抱え部屋を後にする。
リーゼルはアークに一瞥いちべつすると、何も言わずに石扉を閉める。
だんだんと閉まっていく石扉の隙間からは、満足そうな笑みを浮かべるアークの顔が扉が閉まる最後まで見えていた。
◇◇◇
「ん〜!今日は天気も良いし、散歩に行こうかしら」
ベッドの上で、上半身を伸ばすリエン。
「体調が良さそうですね。あとで私と庭園を見に行きましょうか」
使用人から受け取った朝食の配膳をベッド脇のテーブルに置くと、キルナンはリエンの横に座り優しくキスをする。
「心配性ね。1人でも行けるわよ」
「だめです。医者にも言われたでしょう安静にと」
キルナンは優しい眼差しでリエンを見つめると、腕を優しくさする。
「キルナンが心配しているのは、それだけじゃないでしょ。また私が、剣を持って飛び回ると思ってる」
「それはっ…あり得なくはないでしょう?実際、ブラックキャットの処刑時に魔獣を倒したあなたですから」
ブラックキャットは、国王より下された判決により、結局断罪となり市民の目に触れない場所で処刑が行われたが、その際にどこからか多くの魔獣が現れブラックキャットの周りを取り囲んだ。
それを確認した途端、リエンはリーゼルや兵団員と共に討伐に飛び回ったので、キルナンはそのことを言っているのだ。
「もうこの城内には危ないことは…ないでしょう…?」
「…そうですね」
城の天辺付近、独房部屋にはまだアークが幽閉されていたが、2人はその話題はあえて触れないようにしていた。
「…キルナン」
「はい」
「心配してくれて、ありがとう」
「…いえ。愛するリエンのためなら、当たり前です」
キルナンは優しくリエンを抱きしめる。
「今度、リーゼルがリエンの様子を見にこちらへ寄ると言っていましたよ」
「そう、楽しみだわ。兵団の様子も聞かなきゃ」
アークとの関わりが発覚した兵団は存続の危機に陥ったが、キルナンからの強い後押しと、今後数年の間の活躍と状態によって処分を決めることとなり、現在は保留ではあるがそのまま活動できてはいる。
現在は、リーゼルが団長となり、兵団をまとめあげている。
「そうですね。でも様子を聞いたら戻りたくなりませんか」
「ん〜それはなるけど。でも…今は物理的に無理じゃない?」
リエンは大きくなったお腹を撫でると、キルナンは自分の大きな手をリエンの手の上に重ねる。
「この子もきっと、リエンのように剣を持って飛び回るんでしょうね」
「女の子よ、キルナン。そうなったら困るわ」
「私は、あなたに似てくれたら嬉しいですよ、リエン」
キルナンは愛おしそうにお腹を撫で、耳をあてる。
その様子を、リエンは静かに見守っていた。
「キルナン、温かい紅茶が飲みたいわ、あるかしら」
「妊婦でも飲めるものを、使用人に頼んできます。リエンは無理せず、横になって待っていてください」
「はいはい」
前以上に過保護になったキルナンに、リエンは困ったように笑う。
キルナンが部屋を出ると、リエンは枕の下から、あるものを取り出す。
取り出したものは、あの緑色のブローチだった。
指で掴んだ緑色のブローチが、窓から差し込む日の光に照らされ、キラリと光る。
(何が生まれてこようと、私は…)
ブローチを胸元でギュッと握りしめ、リエンは強い眼差しで窓から空を見上げる。
終




