第12話 記憶
--コポコポコポ・・--
裸で膝を抱え、水の中に沈む…。
水の中だからか、自分の周りの音が濁ってよく聞こえない。
(あぁ…ここは居心地がいいわ…)
ぼんやりとした目で、自分の頭上に目をやる。
溢れそうなほどのたっぷりな水の上で、誰かが必死に何か叫んでいる気がする。
(だれ…?でもいいの…もう、がんばらないって決めたの…もういいの…放っておいて…)
大きな瞳が、力なくゆっくりと静かに閉じていく…。
◆◆◆
どっぷり日が落ちた暗闇の中、ポツンと佇む綺麗な2階建ての家。家の周りにだけ、ほんわかと電気がともっており、その家を見ているだけでなぜだか心が癒されるようだった。
「暗くなったので、皆さん足元に気をつけてくださいね!」
マハラは努めて明るく声をかけると、馬から降りた皆を家の前まで案内する。
が、マハラはドアの取手にグッと手をかけたまま動かなくなった。
「どうしたのですか。早くリエンに会わせてください」
キルナンが眉間シワをよせ険しい顔で、マハラに迫る。
「あの…みなさん、どんなリエンでも…受け入れてあげてくださいね」
「分かっています。どんな傷を負っていようと…私はリエンへの愛は変わりません」
マハラは視線を下に落としたまま、口の口角をほんの少し上げたが、反してその瞳は哀しげだった。
「〜〜〜すぅ。ただいま〜!」
マハラは口から息を大きく吸うと、元気に声を出してドアを開ける。
「おかえりなさい〜!」
ドアを開けた先に広がる、部屋の中央に立つ女性が視界に入る。頭の後ろにリボンを止め、長く赤い髪をなびかせながら笑顔で振り向いた。
振り向いたと同時に、着ている緑色のドレスがふんわりと広がる。
「リエン…」
ニコッと愛らしく笑うその女性は、リエンだった。
「きゃっ…!」
キルナンは、初めて見たリエンの女性らしい姿に一瞬驚き戸惑ったが、笑顔なリエンの姿に安堵し、急いでリエンに近づくと勢いよく抱きしめた。
「や、やめてください、皆さんが見てますよ…!ちょ…っと、本当にっ、もう!」
キルナンの腕をはがすと、リエンは顔を赤らめながら、少し怒ったような顔でキルナンを見上げる。
「急に来て抱きしめられると、驚いてしまいますっ」
「確かに…そうでした、申し訳ありません。気持ちだけが先走りました…ですが、リエンに会えて本当に、嬉しかったのです。私の気持ちも分かってください」
「もう、本当にキルナンは私のことを好き--」
「愛しています」
「…きゃっ!」
キルナンは、またも優しく両腕でリエンを包み込み、リエンは不意打ちでキルナンに抱きしめられる。
「あ、あのっ…あまり強く抱きしめられると、ちょっと…胸が…苦しいです…」
「あっ、す、すみません…!」
慌てたキルナンはリエンを離し視線を落とすと、そこにはふっくらとした、たわわな胸が視界にうつり込んできた。
驚くほど綺麗で大きな胸に、口元を手で覆い顔を赤らめ顔を逸らすキルナン。
そして、恥ずかしがり腕で胸を隠すようにするリエン。
「なんだ、女性のドレス姿を見慣れてないわけじゃないだろう」
リーゼルは、リエンのドレス姿を見ても変わらず無表情のままリエンとキルナンに近寄ってくる。
「マハラ、お前が心配していたことはこの服装のことか?」
リーゼルがドア近くで佇むマハラに聞くも、マハラはギュッと結んだ唇を少し動かすだけで、暗い表情のままだった。
「あっ、リーゼル〜!お疲れさまっ」
「リエン、いつここに戻ってきたんだ?」
「いつ?何言ってるの、私はずっとここにいたわよ」
「ずっとここにいた…?計画では、合流地点で落ち合うことになっていたが。オレはお前を待っていた」
「合流地点?待ち合わせの場所のこと?なんで、リーゼルがそこで待つのよ」
「あぁ?なぜって…」
「私、これからエルメルトとデートなの。その待ち合わせの場所のことを言ってるんでしょ?」
ふふっと照れたように笑うリエンは、両手でドレスを小さく掴み、左右に体を振りドレスをヒラヒラとさせる。
「なに…言ってるんだ、リエン…?エルメルトはもう亡くなっているだろ…?それに、これからって、もう夜だが…」
「えっ…あれ、そうだっけ?やだ、私ったら、またなんか…いろいろ頭がグチャグチャで…」
リエンの瞳に動揺の色が走るのと同じく、リーゼルの瞳にも不安の色が濃くにじむ。
「リエン、疲れてるんだよ、今日はもう休もう」
「ピリ…」
部屋の奥からリエンにそっと近付いたピリは、リエンの腕に手をやり、リエンを寝室へと連れて行こうとする。
「あ…そういえば、皆さん大勢でなんでここに来ているの…?」
キョトンとした顔で全員の顔を見渡すリエンは、本当に状況が分かっていないようだった。
「リエンに会いにきたのですよ。そのドレス、似合っています。今度、私とそのドレスで出かけましょう」
キルナンは優しく微笑みリエンに近寄ると、リエンの手を自分の両手で優しく包み込む。
「ありがとう、キルナン」
そう言うと、リエンは心配そうなピリに連れられ部屋を出て行き、バタンと扉が閉められた。
「…おい、どうなってる。亡くなったエルメルトが生きてると思っているのもおかしいが、兵団の計画を全く覚えてない、頭でも打ったか」
「リエンはここに戻ってから、ずっとあんな調子です」
マハラがドアから離れ、キルナンとリーゼルの方へ歩き出す。
「どういうことだ」
「それは俺から話すよ、マハラ」
部屋の奥にピリと一緒にいたルイが、マハラの方に近づく。
「今日、俺がこの部屋で料理を作ってたんですけど、急にリエンが帰ってきたんです。その時は兵団の制服を着ていたんですが、その制服はかなりボロボロで…。それで、おもむろにこの部屋で制服を脱ぎ出して、あっ、俺の前で脱ぐのは慌てて止めましたよ?!でも、俺の声が聞こえないのか、空な目で手を止める様子もなく…。それでシャワーを浴びに行ったと思ったら、2階にあがってあのドレスを着だしたんです。何をしているのか聞いたら、先ほど皆さんが聞いた通りエルメルトさんと出かけると…」
「そうか…それでリアンが着ていた制服は今どこにある」
「それが…」
ルイがチラッとマハラを見る。
マハラは小さく頷くと、リーゼルを見る。
「いいよ、オレが言う。リエンは制服を外で燃やしたんです」
「燃やした!?」
「はい、家の外に持っていって、それで…」
リーゼルは、リエンが兵団で並々ならぬ努力で、今の位置まで上り詰めたのをよく知っていた。
この制服こそ兵団としての誇りであるのに、燃やすとは信じられなかった。
「わかった。それで他に何かリエンに変わったところはないか」
「あ…あとは、あのリエンがいつも腰に刺している剣なんですけど…」
マハラが壁に立て掛けてあるリエンの剣に視線をやり話そうとしたとき、ドアの向こうでバサバサッという羽音と共にギャーッと魔獣の叫ぶ声が響き渡った。
リーゼルとキルナンは、ドアの方へ振り返り剣を構える。
「なに、今の声!?」
リエンとピリが2階から階段を降りて、皆のいる部屋に戻ってくる。
「魔獣だ。リエン、早く剣を取れ」
リーゼルはリエンの剣をリエンに向かって投げると、ドアを素早く開ける。
そこには、コウモリのような魔獣が数十匹ウジャウジャと空を飛んでおり、人の姿を確認した途端またギャーギャーと喚き出す。
「リエン、こいつらをしとめ--」
「きゃーーーーっ!!」
悲鳴に振り返った先で見た光景は、うずくまり手で耳を塞ぐリエンだった。
「…おい、どうした」
「こわい…こわい…無理だよぉ…」
床に転がった剣の前で泣きじゃくるリエンに、その場にいた全員が呆然としていた。




