刻むということ Ⅲ
☆
交差する杖と剣の紋章が掲げられた建物――私みたいな、サフィア教の(洗礼は受けてないけれど、心構えとして)信徒が立ち入る事の許されない禁足地。
信仰に歯向かいし者たちが集う場所、ギルド……なんだけど、私は止むに止まれぬ事情でパズでは普通に足を踏み入れたし、なんならファイア様も同じくパズで護衛を探していたわけだし、うん、今更ノーカウントだと思う。
レレントのギルドは、酒場を併設していて、ギルクさんも良く来るし、頼めば個室を使わせてくれるんだ、と説明された。
「はぁ……事情を説明してきましたよ。今すぐ、レレント中のリザードマンが隠れられそうな場所を総当たりするそうです」
疲れた顔で、個室に入ってきたのは、ルーバ・シェリテと名乗った吟遊詩人と、ギルクさんだった。
私を助けてくれたラッチナちゃんの保護者、と言っていたけど、冒険者ではないらしい。
「ごめんね、助けてもらった上に報告までさせてしまって」
申し訳無さそうに言うギルクさんに、ルーバさんはひらひらと手を振って。
「いえいえ、ヴァーラッドのご令嬢に取りなしていただけなかったら、爆散したリザードマンの頭が撒き散らかした被害を請求されていた所だったようなので…………おかげでプラマイゼロで済みました」
ギルドに来る前に、既に自己紹介は終えていて、ギルクさんは自分の正体を隠すことはなかった。
……んだけど、やっぱり、ラッチナちゃんがリザードマンの頭を蹴り飛ばしたのは不味かったみたいで、事後処理の口利きを頼まれたりしていた。
「ルーバ、これなんて読むの?」
そして、自分のやらかしたことはなんのその、疲れた顔をしたルーバさんに対して、ラッチナちゃんはねぎらいとかそういう言葉は一切なく、メニューを叩きつけるようにしながら言った。さっきから黙ってると思ったら、文字が読めなかったみたい。気がついてあげればよかった。
「本来は冒険者が報告して謝罪すべき事案なんですが……ええと、『シェフの特製ミートパイ』……五百エニー? ラッチナ、どうでしょう、隣の『野菜スティックの盛り合わせ』など。なんとびっくり二十五エニーです。あなたは健康になり財布には優しい、両者が得をする素晴らしい選択だと思いませんか」
「ねえねえ、このパイ、美味しい?」
「ラッチナ、ラッチナ、人の話に耳を傾けなさい」
「美味しいよ、ここのパイはアレンダさんっていう、元王宮勤めだったシェフが王都から持ち帰った秘蔵のレシピを使ってるんだって。スパイスとバターを混ぜて焼いたひき肉がたっぷり詰まってる。欠点は、大きすぎるところかな」
「チナ、それがいい!」
「ラッチナ、ラッチナ、あのですね、我々は今非常に予算が乏しくてですね」
「じゃあ、ルーバは何も食べないといい」
「ラッチナァァァァァァァ!!」
「大丈夫、ここは私が出すよ、命の恩人だもの」
必死にラッチナちゃんの食欲を止めようとするルーバさんに苦笑して、ギルクさんは給仕を呼んだ。
顔見知りのようで、気さくに一言二言話してから、注文を終えて、しばらくすると料理が運ばれてきた。
サラダに、果汁の水割りに、焼きたてのパン。すごく贅沢な食事だけど、テーブルの真中にどんと置かれた、直径二十センチ近くある、巨大ミートパイが一番の主役だった。
「いただきま」
す、まで言わないで、ラッチナちゃんが飛びついた。
「ラッチナ、切り分けてからにしなさい、ラッチナ!」
直接手でむしって口に運ぶ姿は、お行儀は良くないけれど、作った人が見たら大喜びしそうなほど、夢中になっていた。
「……ここ最近の私は命を救われてばかりだな……」
一息ついた所で、ギルクさんはぽつりと呟いた。
「改めて、さっきはありがとう、ラッチナ君。助かったよ」
「ん? ん」
言われて、口いっぱいのパイを飲み込み、
「チナ、えらい」
手を油でベタベタに汚しながら、胸を張るラッチナちゃん。満足げだった。
「私は驚きましたけどねえ、二秒目を離したらもう居ないんですから」
本当に、私からすると、いきなり現れたようにしか見えなかった。
まばたきの間に、なんてものじゃなかった。私は、一瞬だって目を閉じてなかったのに、ラッチナちゃんはもうリザードマンの首を斬った後だったのだ。
「ルーヴィ様と同じぐらい、速かったかも」
私の知っている中で、誰よりも何よりも速い人の名前。
「ははは、流石に【聖女機構】のトップと比較される程じゃあないですよ、ねえラッチナ」
「………………」
「ラッチナ?」
「チナのほうが……速い……!」
「ラッチナ、対抗意識を燃やさないでください」
「速い……かも……知れない……?」
「疑問形にすればよいといわけではないのですが……まぁこの子は速度と動体視力に尖った秘輝石をしているので」
「へえ、秘輝石によって変わるものなんだ?」
ギルクさんは、まじまじとラッチナちゃんの右手を見た。視線に気づくと、得意げに差し出してくれたので、私の視線も自然、そちらに向いてしまう。
「この子は『拡張魔刻』が多いので」
「チナはね、六つもあるの」
私とギルクさんは、同時に顔を見合わせた。聞いたことのない言葉がでてきたからだ。
ラッチナちゃんは、私達の反応に首を傾げ、ルーバさんはああ、と察してくれたようで。
「失礼、専門用語でしたね。秘輝石には事前に記録させた魔法の発動を手助けしてくれる機能があるんですよ。冒険者が魔法を使う時は、詠唱だの触媒だの面倒な手順を省いてるでしょう」
全然、知らなかった。初耳だった。
けど、そういえば、ルーヴィ様は、魔法を使う時、触媒を用意したり、詠唱を唱えたりしていなかったような気がする……。
ギルクさんは凄く複雑そうな顔をして、ぽつりと。
「だったら、神父様達も秘輝石を入れてくれればいいのにね。銀を沢山使うし、聖句も長いし」
「ギルクさんっ!」
もし教会関係者に聞かれていたら、大騒ぎになるようなことを言っちゃった。それは、サフィア教が事実上、ギルドの傘下に入ることを意味する事だからだ。
個室で良かった……ここはギルドだから、多分教会関係者は居ないはずだけど。
いや、私は一応、教会関係者だけど!
「あははははははとんでもねえこといいますね」
ルーバさんも同じ感想を抱いたようで、半笑いだった。
「でも、今回みたいな事態は特にそう思うよ。ファイア司教なんかは一言二言で治癒してくれていたけど、大半の神父は長々と聖句を唱えるだろう?」
「それはちゃんと意味があるんです! 触媒の銀を使いすぎないようにだったり、過剰に治癒を促進しないようにしていたり……!」
私も、まだ神学校に通っていた頃、基礎の基礎を教わったぐらいだから、詳しくあれが必要、これが必要と語れるわけじゃないけれど!
「おや、クレセンさんは神学校に通ってらっしゃるので?」
私が洗礼を受けた正式な修道女には見えなかったから、学生だと思ったらしい。
「一応、これからレレントの神学校に通う予定です……通えればですけど」
「推薦状付きで入学するんだ、凄いだろう」
何故か得意げなギルクさんだった。でも、現状のレレントの様子だと、しばらく厳しいかも知れない。というか。
「それは大変喜ばしい。ですが、肝心のヴァミーリが居なくなってしまったのに、ヴァミーリ神学校を名乗り続けて大丈夫なんですかねえ」
「…………痛い所を突くじゃないか……」
実は、それは私もちょっと心配だった。
〝竜骸〟ありきの権威が前提だった神学校なのに、その象徴が自分の翼で飛んでいったんだもん……。
「なんで神父さんは秘輝石を入れたらだめなの?」
さっきの私達みたいに、もっとキョトンとしているのが、ラッチナちゃんだ。見れば、あれだけ大きかったパイが、もう大皿の上には乗ってなかった。それぞれの皿に取り分けた分以外、全部ラッチナちゃんが食べてしまったらしい。いつのまに。
「サフィア教とギルドは、すっごく仲が悪いんですよ」
「なんで仲が悪いの? 仲良くすればいいのに」
「それは…………」
純粋に不思議そうに、何でだろう、という顔をされて、言葉に詰まってしまった。
「厳密に言うと、冒険者と仲が悪いと言うよりは『秘輝石を身体に入れること』が禁忌とされているわけですね、まぁ同じ意味合いになりますが」
助け舟を出すように、ルーバさんが補足してくれた。その間に、習ったことを思い出す。
「ええと、女神は人は持って生まれた姿であることが正しいと説いています、まして、魔なる力をその身に取り入れる秘輝石を身体に入れるなどと許されることではないと……」
私は、【蒼の書】で読んだ通りに、女神の教えを語った、けど。
「【聖女機構】のリーダーは秘輝石を持ってるのに?」
「う…………」
ラッチナちゃんの問いかけに、言葉は途中で止まってしまった。
そう、ルーヴィ様は秘輝石を持っているのだ、炎のように真っ赤な星紅玉。
実際、冒険者としても扱われているし、その権利を(あくまで、魔女を裁く為に)使ったことも一度や二度ではないけれど、私達はそれに対して、何で、とか、どうして、と尋ねたことはなかった。
【聖女機構】の少女たちは、みんなルーヴィ様個人を慕っていたから、というのもあるけれど、教会に務める、洗礼を受けた信者達は、だからこそ余計に、私達のことが嫌いだったんだろうか。
「チナも持ってる、クレセン、チナのこと嫌い?」
右手の甲を向けながら、ラッチナちゃんは私を見た。
透き通っているけれど、薄っすらと白みがかった月長石。
「嫌いじゃ……ありません」
昔の私は、嫌いだった。リリエットは、南方大陸ではサフィア教の勢力が大きな街で、ギルドは小さかったし、近寄らないよう教えられていた。
冒険者はみんな、乱暴で、不信心者で、ああはならないようにと教えられてきたし、大人達は、彼らを見るたびにヒソヒソと悪口を言っていた。
だから、そうするのが当然で、正しいことだと、私も思っていた。
今は、多分、違う。
冒険者でも、誰かを思って動ける人はいるし。
洗礼を受けた信者であっても、酷いことをする人だっている。
「ラッチナちゃんの事、嫌いじゃ、ありません」
もう一回、同じことを言った。
「……私の故郷のリリエットには、街の中心以外にも、いつでも女神にお祈りが出来るように、小さな女神像が、色んな所においてあったんです」
何でこんなことを思い出して、何で語ろうと思ったんだろう。
気がつけば、口が開いていた。
「……ある日、勉強が長引いて……普段は使わない、人通りの少ない裏道を通って、家に帰ろうとしたら……冒険者の人が、女神像に、お祈りを捧げてたんです」
女の人だった。つばの広い帽子を被っていて、右手には薄い青色の秘輝石があった。
その時の私は、義憤に駆られて、酷いことを口走ったと思う。
何で冒険者が女神様に祈りを捧げてるんだ、とか。
そんなの冒涜だ、とか。
言い返すこともせず、困ったように笑って、その人はお祈りをやめて、立ち去った。
その事を両親に話したら、正しいことをしたと褒めてもらって、私は上機嫌になった。
今思えば、それはあまりに傲慢で、乱暴だった様に思う。
「チナはね、教会の人、あんまり好きじゃなかった。チナのこと、嫌いだから」
足をバタバタさせながら、ラッチナちゃんは。
「でも、クレセンは、チナの事、嫌いじゃないから、好き」
えへー、と私に笑いかけた。
急に、胸がぎゅうっとして、喉の奥から、何かがこみ上げて来そうになった。
「ラッチナ、偉いですよ――――まさか貴女が【聖女機構】なんて固有名詞をちゃんと覚えているなんて!」
……そっちなんだ。
「チナ、えらい」
再び、えへんと胸を張りながら、ラッチナちゃんはギルクさんを、じぃっと見つめた。
「えらいから、おかわりもさせてもらえる?」
「いいよ、好きなだけ食べて」
「ほんと? じゃあ、パイもおかわり!」
ギルクさんは苦笑しながら、再度給仕の人を呼んだ。ミートパイは切り分けたものをもってこようか、と言われて、ラッチナちゃんが勢いよく首を横に振った。
まだ食べられるんだ……。
「いやあ申し訳ない……この子をお腹いっぱい食べさせてやれることなんてそうなくてですね」
「そう、チナはいつも空腹」
どっちも、あまり胸を張って言って欲しい言葉ではないけれど、ルーバさんはへらへらしていた。いいのかな。
「私は、あまり教会とギルドが仲が悪いってイメージがないんだけどね、レレントだと、ハーロット司祭とザシェさんなんか、普通に父様とこまめに会談したりしているもの」
……ギルクさんが問題発言をさらっとした理由は、偉い人達同士が、険悪ではない所を見てきたからなのかな。
「確かに、レレントやパズは、北方大陸では驚くほどギルドに友好的ですよ、ここから北上すればするほどギルドの権威が効かなくなります。サフィアス諸国連合はそれぞれの国家によってピンキリですが、それでもルワントン周辺にはそもそもギルドそのものが存在しません」
「へえ、詳しいんだ、ルーバ君」
「それはもう吟遊詩人ですので。未だルワントンを訪ねたことはありませんが、聖地ともあれば、人々から話を聞けますとも。嗚呼、人々の信仰の果て、荘厳なる大聖堂! 女神が最後に眠った地――――もしかしたらヴァミーリは、彼女の下へ向かおうとしているのかも知れませんね」
赤竜ヴァミーリ、女神サフィアのしもべ。どこかへ飛んでいってしまった。
「あの、ルーバさん」
「はい、なんでしょう?」
私の故郷であるリリエットでは、吟遊詩人は冒険者と同じ扱いをされていた。夜に酒場で冒険者の宴を盛り上げる、なんて、仕事をしている人たちだ。神学校の生徒が関わっていい相手じゃなかった。
でも今、こうやって話しかけることは、怖くない。
「何で、冒険者の中にも、女神様の信者はいるんでしょう。だって、絶対に洗礼は受けさせてもらえないし、嫌われるのもわかってるのに」
「ふうーむ」
私の質問に、ルーバさんは悩ましげな表情を見せた。
この人、悩んだりするんだ。
「まず大前提として、私が知っているのは、各地の伝承やら、伝聞と言ったものを再解釈したものです。人から人に伝わる過程で内容は少しずつ形を変え、場を盛り上げる為に独自の解釈や嘘が盛り込まれることもあります。それこそ聖典たる【蒼の書】と食い違う事も多々ありますので」
個室で良かったですねえ、と呟いて、それから、またへらへらとした笑い顔に戻った。
「まぁ、吟遊詩人の話など、与太話半分、ほら話半分だと思ってください」
言いながら、自分の皿に乗っている、手を付けられてないパイにナイフを入れて、適当に切った。
「真実なんて、せいぜいこのナイフにこびりついた肉片ぐらいのものです、それでもよろしければ」
「…………それでも、よろしいです」
ちょっと言葉が、変になっちゃった。
「では、僭越ながら軽い講釈を。神学校に入学しようという方に語るのはなかなか気が引けるところではあるテーマなのですが……そもそも何故、教会が教会たり得るのか。つまり、何故女神サフィアは信仰されるに至ったのか」
話が話だからか、弾き語ろうとはしなかったけど、語調が軽く、すうっと耳に入ってくるから、 言っていることは回りくどいのに、聞いていて疲れない、不思議な声だった。
「理由は勿論、奇蹟です。死すら覆し、汚染された土地を浄化するほどの力は、人々が彼女を〝神〟として奉るには十分でした。丁度、リングリーンの魔女が、魔王の封印を成し遂げた直後で、世界がそれなりに荒廃していたという諸事情もありますが」
「え?」
びっくりした。勿論、リングリーンの魔女、というおとぎ話位は知っているけれど、魔女が主役の話なんて、勿論リリエットでは好まれなかったし、私も詳しいわけじゃないし、それがいきなり、ここででてくるなんて思わなかった。
「今の時代では、どこでも見ることの出来るもの。洗礼を受けた信者が扱う、その根幹――女神の偉業とは、治癒魔法そのものをこの世界に生み出したことなのです」
治癒魔法。主に洗礼を受けたサフィア教徒が使用する、文字通り『傷を治療する』魔法は、教会が人々から頼られ、信仰を集める最大の理由だ。
それこそ、今のレレントみたいに、怪我人が出た時に、治癒魔法が使える神官は、凄く頼りになる。命を失うはずだった人が、助かるかも知れない。
ファイア様が女神の再来と呼ばれるのは、その教会に求められる力を、誰よりも強く、速く、発揮できるからだ。
「あの、私はちょっと心得がないんだけれど、魔法っていうのはそもそもどういう仕組みで、ああいうことができるんだい?」
ギルクさんは尋ねると、ルーバさんははっはっは、と軽く笑ってから。
「ラッチナ、説明を」
まさかの、ラッチナちゃん任せにした。
「外にあるのと、身体にあるのがあるの。それを変えるのが、魔法」
「………………」
案の定、何もわからなかっ…………あれ、ギルクさんが、こっち見てる。
「この流れで何で私を見るんですか!?」
「だって、さっき触媒とか詠唱とか、わたしに説明してくれたじゃないか、意味があるんだよって」
「そ、それは……」
しまった、迂闊なことを言ってしまった。
まさか、詳しいことは知らない、とは言えない。
「……ええと、蒼素と、というものがあって」
うろおぼえながら、私自身が教わった知識を並べていく。
世界の至るところには、目に見えない不思議な力が満ちていて、これをサフィア教では蒼素と呼ぶ。
蒼素は無垢な力で、それだけでは何にも使うことが出来ない。
だから、司祭は触媒を通じ、聖句を捧げて、蒼素に方向性を与える。
それをちゃんと作用させると、傷を癒やしたり、穢れを祓ったり出来る、という所までが、私の知っている『魔法』だ。
「ちなみに冒険者は同じ力のことを魔素と呼んでいますね」
ルーバさんの補足は、神学校では『絶対にそう呼んではならないもの』として教わった呼び名だったけれど、多分、こっちのほうが一般的だ。
「実際に扱うならともかく、知識としてならクレセンさんが語った内容で十分です、つまり『よくわからないけど、何にでもなる不思議な力』に『どんな形になるか』を指示するのが、魔法と呼ばれる技術の大雑把なくくりなわけです」
「ふうん……あまりピンとこないけど、ここにもあるのかい?」
ギルクさんが、空中を指でくるくるかき混ぜると、ラッチナちゃんは小さく頷いた。
「ある」
そして、パイを食べるのに戻った。おかわりした分が、もう半分なかった。
「えー、例えば、司祭が銀の十字架を手に持つことからわかるように、銀という〝触媒〟には魔素に『傷を癒やす』という方向性を与える力があるわけですね。炎を出すならルビー、水を氷にするならサファイア、と言ったように用途によって触媒も変わってくるわけですが」
だから、私達のような見習い修道女も、いざという時、居合わせた司祭に使っていただけるように、銀の十字架は持ち歩いている。
最悪、路銀に変えられるし……勿論、これはバレたら大目玉じゃすまないけれど。
「魔法を使うたびに触媒は目減りしますので、大変コストがかかる。クレセンさんが先程説明してくださったとおり、どれぐらいの規模で影響させるのか、どれぐらいの力をかけるのか、というのを都度〝詠唱〟を唱える事で調整しなければなりません」
まあ、要するに、とルーバさんは言葉をつないだ。
「我々素人がこうやって話しているだけでもよくわからないのですから、習得難易度の高さたるやというわけです」
「確かに、ちんぷんかんぷんだ、私は全然ピンとこない」
全然ピンとこないのに、魔女にはなろうとしてたんだ……とは言わなかった。
「そんな技術を、惜しげなく人々に使い、教え、導き、世に広めたのが女神サフィアです。とは言え、苦難は多くありました。当時は魔法という技術そのものが一般的ではないこともあって、魔女の呪いとの違いもわかりません。ですが、人々から時に石を投げられ、時に罵声を浴びせられながらも、彼女は人を救い続けました。『おお、サフィアリス、蒼き娘よ! 何故そこまでしてあなたは人を救うのか! あなたを拒むものの手を、何故取ることが出来るのか!』」
「『だって、あなたが傷ついているんだもの』」
ルーバさんが感情を込めて語ると、突然、ラッチナちゃんが応じて、演技がかった声を上げた。
どこか、ぽけっとしている彼女が、突然、はっきりした声色で言うものだから、びっくりした。
「――とまぁ、そのような姿に感銘を受け、その後ろについて来るものが現れ、奇蹟を受け入れる者たちも現れ、一つの集団になっていったのが、現在のサフィア教の前身組織ですね。彼らは傷ついた者たちを癒やし、救い、人々に感謝され、その信仰をさらに広げていきました」
ポロン、ポロンと楽器を鳴らしながら、語りに少しずつ熱が入っていく。
「ああ、心優しきサフィアリス。かの賢人イフェオレトは彼女の行いを女神と讃え、彼女の教えを広めんとサフィア教を立ち上げ、それ以前に存在した宗教は、ほとんどがサフィア教に駆逐されるか、飲み込まれていきました。何せ、信じればいずれ救われるといったふわっとした教えではありません。直接傷を癒やし、死んだ土地を蘇らせる物理的な救済です。そのあまりに直接的すぎるメリットを前に、仮初の神を信じ続けるのは困難だったでしょう――――いやまぁサフィアリスの死後に色々あったんですが、長くなりますので」
一方、ついに食べるものがなくなってしまったラッチナちゃんは、今度は喋り続けるルーバさんの皿からパイを奪って食べ始めた。早くおかわりがこないと、全部なくなってしまう。
「さて、時間を少し進めましょう。やがて時は流れ、色々あってギルドが誕生し、色々あって冒険者が生まれました。それまでは魔物と言えば不可避の災害であり、各土地、各都市が防壁を築き、場合によっては教会騎士達が多数の犠牲を出しながら追いやりつつ人類の生存圏を確保していたわけですが、冒険者の登場によって人類は魔物への対抗手段を得ました。最初の冒険者が登場してから、主要な支部が誕生し、全世界に広まるまで、ざっくり百年ぐらいですね」
そうやって聞くと、ギルドの成し遂げたことは本当に凄い。
教会はギルドを嫌うけれど、存在を認めざるをえないのは、ギルドがないと流通も街々の移動も、気軽に、安全には行えないからだ。
「まぁこの間にも色々な問題が生じたのですが、置いといて、と」
この辺りで、給仕さんが追加注文したパイを運んできてくれた。
目の前に置かれたラッチナちゃんは、ギルクさんを見て、私を見て、もう一度ギルクさんを見た。
「全部食べていいよ」
優しくギルクさんが言うと、目を輝かせながら、豪快にかぶり付いた。
「さて、ここまでの私が語った事を要約すると、教会の基盤とはサフィアリスがもたらした治癒魔法である、ということです。教会が洗礼によって信徒を選別するのは、勿論軽々に立場を人に与えないというのもありますが、何よりその技術が一般化しないように……したかったわけですね」
「ん……? それこそ、今回みたいな事態では教会の人達が総出で治療にあたってくれているけど、冒険者でも治癒魔法を使える人はいるよね。今も大分お世話になってる」
疑問を浮かべるギルクさんの言う通り、数はそんなに多くないけど、治癒魔法を使う冒険者は、私も見たことがある。
「ええ、それが一番の原因です」
だから、それそのものが、すぱっと、私の抱いた疑問の答えだとは思わなかった。
「……え?」
「教会の独占技術だった治癒魔法を、あろうことか、教会よりも上手く使える冒険者達が持ち出してしまったんです。だから教会は冒険者を」
ルーバさんの視線が、ちらりと、ラッチナちゃんの右手に。
その甲に輝く、秘輝石に向いた。
「彼らを冒険者たらしめる、秘輝石を嫌っているのです」




