刻むということ Ⅰ
☆
「ん――――」
目がチカチカして、眩しい。身体がふわふわする。
頭がぼうっとする、自分が何をしてたか思い出せない。
身体を起こそうとして、異様に重たいことに気づく。
「水………………」
のどが渇いた、とにかく、水が飲みたかった。
ベッド脇の棚の上に、水差しとコップがあったので、壁にすがりながら、なんとか体を起こした。ガラス製のそれには、なみなみと中身が入っていて、両手で支えないと溢してしまいそうで、悪戦苦闘しながらコップに注いで、中身が空っぽになるまで、何杯も飲み続けた。
冷たい液体が全身に染み渡っていく感覚が、気持ちいい。
「…………服…………」
そこで、ようやく、気づいた。私は服を着てなかった。
真っ白な薄手の毛布をかけられているだけで、下着も、なにもない。
いくらなんでも、裸で寝ることはない……むしろ、寝る時は沢山着込まないと駄目だ。テントを張っていても夜は寒いのだから。
「…………ん…………?」
よく考えたら、そもそも、ベッドで寝ているのが、おかしい。
「ここは………………どこ…………?」
羞恥心が湧いてくるより先に、疑問が頭を埋める。
「私…………ギルクさんの」
ふわふわとした思考に、記憶がだんだん、蘇ってくる。
そう、ギルクさんの、ヴァーラッド伯のお家にお邪魔して、そう、ご馳走をいただいて、一緒に眠って……。
「起きて…………起きて? それから?」
起きたのに、なんで私はまた寝てたんだろう?
とりあえず、何か着たい。部屋を見回す。真っ白な壁と、私が寝ているベッド。
とても高価そうな絨毯、棚の上の、私が飲み干した水差し。扉が一つ。窓はない。
私の着替えらしきものも、なかった。
どうしよう、扉が開いたとして、裸で外に出るのは、ちょっと考えたくない。
あんな惨めな思いは、もうしたくない。
「…………っ」
とりあえず、シーツを手繰り寄せながら、立ち上がろう、としたところで。
じくりと、胸が痛んだ。
「…………何、これ」
自分の身体を、今一度見下ろして、ようやく気づいた。
身に覚えのない、疵が、そこにはあった。
握り拳ぐらいの……身体に残っていると考えたら、とんでもなく、大きい。
「私……私、私…………?」
なにがあったんだろう。どうしたんだろう。
胸が痛い。熱い。どくどくする。
ひりひりが治まらない、何かが出てきそうになる。
「ひ……っ」
不意にこみ上げてきた恐怖が、口から零れそうになった。ひく、ひく、と喉の奥が痙攣し始めるのを、止められない。
「ひ、ひ……ぃ……っ」
怖い。自分が自分じゃなくなっていくような、そんな感覚。
「た、助けて」
その言葉は、もう、私の意思と関係なく、勝手にでてきた。
「誰か、助けて」
違う、駄目だ。
ルーヴィ様に、助けて欲しいなんて思っちゃ駄目だ。
私が、助けられるようになるんだ。
「はぁ、はぁ……はっ」
思い出した、その決意が、私の呼吸を鎮めてくれた。
「………………嘘です、こんなの」
それから、言い訳するように、私は誰に言うでもなく、呟いた。
助けて、と口に出してしまった時。
何で私は、あの白い髪の毛の、不信心な人の顔を思い浮かべてしまったのだろう。
その、直後。
ぱりん、と何かが割れる音がして、私は、反射的にそちらを振り向いた。
部屋の扉が開いていた。見覚えのある、茶色い癖毛の女性が、私を見ていた。
足元に、ガラスの破片が散らばって、絨毯が大量の水で濡れていた。
「クレセン君」
呆然とした顔で、ギルクさんは、私の名前を呼んだ。
「はい」
えっと、どうしたらいいのかわからなくて。
「おはようございます」
普通の挨拶を、普通にしてしまった。
「…………そんなことが、あったんですか」
ベッドの上で、体を拭いてもらいながら――私は、それはもう、すごく遠慮したのだけれど、ギルクさんは譲ってくれなかった――――丸一日、眠っていた間に、レレントは大変なことになっていたらしい。
何より、私は、ガラスを突き破って部屋に飛び込んできた矢が胸に突き刺さって、ファイア様が助けてくれなかったら、死んでいたって。
そして、そのファイア様は、今も……呼吸はしているけれど、目を覚まさないだなんて。
私なんかのために。
「私は、クレセン君が助かってくれて、嬉しいよ」
考えていたことが、表情に出ていたのか、ギルクさんはそう言ってくれた。
「私が……ヴァーラッド伯の娘が、ファイア司教に向かって助けろって言ったようなものだ。責められるとしたら、それは私であって君じゃあない」
「そんなこと……っ」
「だから、自分が助からなければ、他の人が助かったかも知れない、なんて思わないでくれよ、クレセン君」
「………………っ」
そう思ってしまった自分を、どうしたって否定できない。
私はまだ、何者でもなくて、何も出来ない小娘なのに。
こんなに良くしてもらって、こんなに想ってもらえて。
嬉しいけど、嬉しいと感じてしまうからこそ、何も返せない自分が嫌だ。
「疵、背中にも残っちゃってる」
ギルクさんの指が、矢が突き抜けた背中側に触れると、なんだかムズムズする感触がする。皮膚と言うよりは、爪とかを、歯とか、硬い所をなぞったような感じに、
「…………ひうっ」
こんな状況なのに、声が出てしまう。
本当に、もう、恥ずかしい。
「ああ、ごめん、くすぐったかった?」
「あ、いえ、大丈夫です……あの、前は自分で」
「ん、どうぞ」
お湯を浸してから絞った柔らかい布は、まだ温かくて、体に当てると、うん、汗を沢山かいていたみたいで、気持ちが良い。
「…………あれ」
首から胸の傷にかけて拭っている最中に、ふと、硬い感触を感じた。
「どうかした?」
「いえ……かさぶたか何かだと思います」
傷の中心に、なにか小さな異物感がある。軽く爪で触れると、カリカリとした硬い感覚が返ってきたが、感覚はない。
下手にいじるのは良くないな、と思って、それ以上は触れなかった。
「……そうだ、ギルクさん、ルーヴィ様はご無事でしょうか」
ファイア様が私の治療をしてくれたということは、ルーヴィ様も側におられるはずだ。〝竜骸〟が動いた、なんて大事件、ルーヴィ様が対応しないわけがない。
「…………」
「――ギルクさん?」
「……あ、ああ、ルーヴィ君は、ミアスピカに向かったよ。事態の報告と、収拾の為の判断を、大司教に仰ぐために」
「そう、ですか」
〝竜骸〟が飛び去ったなんて一大事、ミアスピカだって、早く詳しいことを知りたいはず。【聖女機構】という足かせのないルーヴィ様なら、どんな馬よりも速く駆けられるから、そういう指示がで出るのは、すごく、自然なことだ。
本当に?
「…………ねえ、クレセン君、髪を結わせてもらっていいかな」
「え……? あ、あの、自分でやりますけど……」
「いいからいいから、私に任せてみて」
「は、はぁ……じゃあ、お願いします」
流されて、髪の毛を纏めてもらう事になってしまったけど、ベッドの上で、裸のまま、シーツ一枚を羽織って、貴族のお嬢様に、髪の毛を編んでもらうなんて事、少し前の私には、想像もできなかった。
…………ううん、どんな状況の私でも、想像できない、こんな事。
というか、私の服はどこに行ったんだろう……。
「クレセン君、お腹は空いてないかい?」
「え? あ…………ええと」
聞かれて意識すると、くう、とお腹が鳴った。
身体が乾いてたのと同じぐらい、飢えている事に、この段階になって、やっと気づいた。
「…………空いてる、みたいです」
恥ずかしさがこみ上げてきて、顔が赤くなった私の頭を、ギルクさんの手が、くしゃりと撫でた。




