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15 置き土産(2)

 しばらく立村は愛想良く振る舞いつつ乙彦の相手をしていた。いくら席が離れているとはいえ、学校の中ということもあるのだろう。なかなか本音を口にしようとしない。

「関崎の歌声はもううちの学校で知らぬものないからな」

 水だけちょびちょび口にしながら、

「あの時、たまたま帰りの週番が終わって少し他の人たちとしゃべっていたんだけど、わざわざ知らせてくれたんだ」

 要はすでに気づいていたということか。

「じゃあお前なんで来なかった」

「せっかく杉本が関崎といるんだったらあの伝説の歌声を聞かせない手はないなと思ったし、杉本は音楽へのこだわりが強いから中途半端な弾き手だとまずいかなって。それでたまたま疋田さんもいたことだし頼み込んだわけなんだ」

「疋田もいたのか」

「うん、規律委員だから。お互い貸しを返す機会でいいんじゃないかってことで」

「貸し?」

 あいまいに立村は笑って答えなかった。


 ──もしかしてあれか?

 ひとつ、思い当たる節がある。

「もしかして立村、宇津木野のことを言ってるのか」

 去年の二学期終業式から気になっていたことを尋ねてみた。

「俺も今まですっかり忘れていたんだが、そろそろ時効だろう。疋田とたくらんだのってあのことか」

「人聞き悪いな。たくらんだんじゃないよ。けど意外と関崎、勘がいいよな」

 立村の口調は変わらなかった。

「いきなり俺に歌わせてテープに録音するなんて発想、普通はないだろう。それもプレゼントにするなんて意味あるのか」

「あったよ。関崎にはぴんとこないかもしれないけど、宇津木野さんにはあった」

 ふっと素でまじめな顔に戻った。

「もう気づいてるだろうから言うけど、宇津木野さんは関崎の歌がたいそう気に入ってたらしいんだ。疋田さんから聞いただけだから伝聞だけどさ。宇津木野さんの音楽に対するこだわりは想像以上のもので、めったにおめがねにかなうものが見つからないそうなんだけど、関崎の歌だけは別だったって。それで、なんとしても関崎の完璧な歌と疋田さんの伴奏でもって思い出に残してあげたいってことで、規律委員会の合間に疋田さんと相談していただけなんだ」

「それならもっと早く言え。あの時いきなり引っ張り出されてびっくり仰天したぞ」

「悪かった。説明すると他の奴にばれてしまうしまずいかなと思って」

 もうとっくに過去になってしまっていることだからか、立村は微笑みながら頭を下げた。

「あとで聞いたことだけど宇津木野さんは大喜びしてたらしいよ」

 小さな文字で綴られた言葉を思い出す。立村は気づいていない様子で語り続ける。

「それが俺の言う疋田さんへの貸しってことになるんだ。せっかくだから今度は俺が手伝ってほしい時に頼みたいって前から頼んでて、今回疋田さんも気持ちよく引き受けてくれてさ」

「あのな、立村、肝心なことを確認してないんだが」

 一方的に宇津木野にまつわる思い出話でごまかされているような気がする。乙彦はあえて話を無理やり自分のほうに引き戻し尋ねた。

「お前、なんでそんなことした?」

「だから、お前に歌わせたら」

 言いかけた立村に乙彦は、テーブルから乗り出すようにして問い詰めた。引き気味の立村も、意を決したように、

「絶対、喜ぶと分かっていたからさ」

 ふっと表情を硬くして答えた。ずっと浮かべ続けていた柔らかな笑みが消えていた。


 ──違う。

 立村は気づいていない。

 どれだけ、どんなにあの、杉本梨南への想いを今こうやって向かい合っている間にも溢れさせていることを。

 色事に鈍感な乙彦が気づくくらいだ。いや、もしかしたら附属生はほぼ全員気づいているんじゃないか。いやいや、へたしたら全校生徒が立村の叶わぬ想いを見抜いているに違いない。

 ──これだけ気になってしかたない相手だったらなぜ、奪い取ろうとしないんだ?

 三角関係とかならまだわかるが、乙彦は前々から杉本梨南について一切気持ちを持っていないことを立村に伝えている。それどころか「苦手なタイプ」とまで匂わせている。あれだけ立村が杉本梨南を全身全霊思いつめているのであれば、正々堂々嫉妬に駆られてでもいいから駆けつけてしかるべきじゃないだろうか。

 なぜ、来なかったのだろう。

 なぜ、疋田を代わりにわざわざ伴奏のため送りつけ、自分は陰に隠れていたのだろう。


「俺が見た限り、彼女は喜んでいなかった」

「それは関崎が杉本のこと知らないからだよ」

 さらりと立村は言い放つ。無意識か。

「人前ではうれしいとかそういう感情めったに見せないからな。完璧な音楽のハーモニーと感じれば、ただでさえ関崎なんだから、そりゃうれしいよ」

「だから何度も言ってるが、全く感激してなかった。なんでいきなり俺が本能全開にして歌っているのか謎だという顔をしていた」

 立村がさらに話したそうなのを無視して乙彦はぶっちぎった。 

 はっきり言わないといけないのは、自分の方だ。幸い声が通る場所には誰もいない。

「お前が想像しているほど、彼女は俺のことに興味がないと思う。それに俺も、帰り際止めを刺した」

「止め?」

 声がきりりと締まる。立村の表情がきっと鋭くなる。

 賭けだ、すべてを言い放つことにする。

「彼女の気持ちには感謝したが、受け入れられないことはきっちり伝えた。同時に、俺にとって彼女は本能的に受け付けないタイプだということもだ」

「本能的に?」

 また、問いかける立村。表情はさっきと変わっていない。

「そうだ。ただ、俺が今まで彼女と接することで感じてきたことを一通り伝えはした」

「まさか」

 かすれた声で立村がつぶやいた。まさか、ではないことを乙彦は伝えた。

「あの、上から見下ろすような口調で話されたら大抵の男子は不快を覚えるということ。だが俺の知る限りひとりだけ、受け入れてくれる相手がいる」

「関崎、まさかお前」

 声が波打っている立村に、乙彦ははっきり述べた。

「その相手に彼女が優しく接する事がない限り、俺はこれ以上よい感情を持つことはない。少なくとも今のような口調でそいつに話し続けるのであれば、俺はずっと軽蔑し続けるだろう。まあ、そんなことを一階の階段踊り場で伝えた」

 付け加えた。

「その相手が誰かってことは、もちろん特定して伝えた」

「関崎、お前、なんてこと」

「そうだ、そいつは今俺の目の前にいる。彼女も約束してくれたと思う」


 突然、テーブルに両手を突いて立ち上がり、そのかっこうのまま乙彦をにらみすえ、

「関崎! よりによってなんてこと言ってくれたんだ!」

 頬を紅潮させ、目を吊り上げ、今にも食って掛かるがごとく、

「なんで、なんで杉本にそんな約束させたんだ!」

 立村がまくし立てるのを乙彦はなぜか冷静に聞いていた。

「杉本が一度でも約束したら、どんなに意に染まぬことだっても死に物狂いで守るんだ。たとえどんなに相手が嫌いでも、どんなに憎んでいても、約束は意地でも守るんだ」

「だったらどうなるんだ」

 乙彦の答えは決まっていた。

「あるべき形に戻るだけだ。俺はそれを願っている」


 

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