表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/147

14 エスコート(6)

 疋田のピアノ伴奏はいつもながら歌いごこちがよい。

 あれから何度か周囲に乞われて歌わせられたりしたのだけれども、上手な伴奏と合わせるのはやはり楽しい。何度か無理やり合わせていくうちに相手のくせも飲み込めてくる。「モルダウの流れ」一番のみ勢いに乗せられて歌い終わると同時に疋田は。

「関崎くん、どうも。じゃ、私、用事あるから」

 すばやく荷物をまとめて出て行った。乙彦が確認する間もなかった。

「いや、どうも、おい」

「明日、詳しいことは彼に聞いて」

 さすがにあの場で杉本に種明かしをしたくなかったのだろう。同じく耳元でささやいて去っていった。

 本当はどうして立村に頼まれたのかを聞きだしたいところだが、杉本梨南が呆然とした表情で立ち尽くしているのを放っておくわけにはいかなかった。乙彦なりになぜ、と問われればそれなりの答えを出すことは出来るけれども。 

「素晴らしいお声でした」

 感情をどこかにおいてきたようなまっすぐな言葉。ちっとも褒めているように聞こえず、かえって馬鹿にしているようにすら感じられる。あきれたのだろうか。疋田にいつのまにか祭り上げられて歌っている間の杉本の顔をうかがうこともなかった。

「いったい疋田は何しにきたんだろな」

「たぶん、ですが」

 無理に説明しなくてもいいことを杉本は答えた。

「私に、立村先輩は歌が上手ということがどういうことなのかを教え込みたかったのでしょう。いやがらせに近い行為と思わなくもないのですが、もう立村先輩とお会いすることもないでしょうから何も言わずにおきます」

 杉本もすばやくコートを抱えると、もう一度頭を下げた。最敬礼ほどえはないけれども、礼儀を保った角度でだった。そのまま、波のない言葉遣いで続けた。

「お時間をいただき、感謝いたします。お伝えしたいことはすべて申し上げました。長い間、関崎さんにはご迷惑をおかけして申し訳ございません。それでは失礼いたします」


 ──いや、だめだ。

 不意に自分の中から声が出た。

「玄関まで送っていこうか」

「教員用玄関へということですか」

 少しだけ杉本の目線が揺らいだ。それまでの鉄火面のような表情とは打って変わって、

「無理なさらないでもかまいません。ご迷惑をおかけしたくありません」

「いや、伝えることがある」

 二人きりで過ごすことには息苦しさを感じる。かといってこのままさっさと挨拶して見送るのは人間としてどうかと思う。ある意味、罪滅ぼしに近い。

 杉本が入り口に静かに立っているのをちらりと見やり、乙彦はいったん止まりその上で、

「歩こう」

 とだけ伝えた。話すことはそんなにない。知り合いにさえ合わなければ。


 廊下にはほとんど誰もいなかった。三年クラスも卒業式を控えていてほとんどすれ違う人がいない。杉本梨南と肩を並べて歩いても、騒ぐ奴はいなかった。やはり、音楽室という選択肢は正しかったのだろう。まさか疋田が飛び込んでくるというサプライズは別としても。杉本梨南が語りたかった二点のことをしっかり聞くことができたのだから。

 もう水野さんの家で枯れているであろう葉牡丹。

 言わねばならないと思った。

「三年前、もらったあの花なんだが」

「葉牡丹はもう終わっているでしょう」

 言うより前に杉本に返されてしまった。

「葉牡丹は一年草です。もう枯れて当然です」

「ごめん」

 これしか言えない。杉本も未練がましいことは一切言わない。三階から二階、二階から一階と階段を下りていく。一階に向かう踊り場で乙彦は、

「言い忘れたことがあるんだ」

 呼び止めた。まだ日が残っている踊り場の窓辺で杉本が乙彦を見上げ、

「なんでしょうか」

 また無表情に答えた。想いを寄せてくれた女子に対してほんのわずかでも情がわくかと思いきや、すぐに断ち切られてしまうような口調だった。

「君が俺に頼みたいことがあるというのは理解した。約束する。立村と霧島のことは俺も注意する。だからそれは安心してほしい。ただ」

 あえて乙彦は杉本梨南の側に近づいた。横顔の能面に似た表情がふっとほぐれる。

「君が俺にしてくれたことに全く答えられなかったことは、本当に悪かったと思っている」

「だからそれはもう結構です」

 またかたくなな返答をする杉本に乙彦はあえて、強く出た。

「だから俺も反対にひとつ必ずしてほしいことがある」

「なんでしょうか。私に出来ることなら」

「出来る。しなくてはならないことだ。君は絶対にやらねばならないことだ」

 息を止め、一気に伝えた。

「立村にだけは、他の男子たち誰よりもやさしくしてやってくれ。それだけのことを立村は君にしているんだ。気づいたか、さっきのピアノ、疋田がなぜ来たかを」

「うすうすは」

 俯いた。目をそらした。強気で乙彦は語りかけた。容赦はしない。

「疋田は立村に頼まれたと話していたが、たぶん俺たちが音楽室に入っていくところを立村が見かけたかなにかしたんだろう。立村は俺がカラオケ好きなのも、疋田がピアノの名手だということも知っている。その他のいろいろなこともすべて把握している。たぶん、すべてを見越した上でしたことなんだろう」

「存じてます、そのくらいは仰らなくても」

 きっとした眼差しで杉本が乙彦を攻撃する。そこに葉牡丹の花をいじらしく差し出した瞳はなかった。ただの、軽蔑する男子を見据える眼差しのみ。もう花は杉本梨南の中でもとっくの昔に枯れてしまったのかもしれない。それが残念とは一切思わずかえって救いになる。

「君だけは、どんなことがあっても立村を憎むな。君のような話し方で語りかけられたら九割がたの男子は苦手意識を持つだろう。俺もそのひとりだ」

 ぴくり、と肩が動いたのを見た。

 

 傷つけてしまったかもしれない。

 最後に力を振り絞って告白してくれた一途な女子に止めを刺しただけかもしれない。

 乙彦もしょせん、杉本梨南を「苦手な女子」のグループに分けることしかできなかった。

 「だが、立村だけは違う。あいつは君のためにだったら自分のプライドや名誉もとことん捨てる。あいつの友だちとしてそこまでするべきではないと忠告したくなるほどにだ。約束してほしいのは、立村を好きになれとは言わないがせめて、ふたりでいる時だけでいいからやさしくしてやってくれ。それだけで立村はきっと、青大附高で復活していけるだろう。俺が願うのはそれだけだ。そうしてもらえない限り俺はきっと、君を、苦手な人としか見られない」

 まるで脅しだ。分かっている。でも止められない。

 

「関崎さん」

 ぐいと、全身の力を込めたような瞳でにらみつけられた。杉本梨南は返答した。

「私が立村先輩にやさしくすれば、これ以上嫌われずにすみますか」

「たぶん。嫌っているわけじゃないが」

「わかりました。お約束します」

 凍りついた表情のまま、杉本梨南は冷ややかな口調で答えると、

「お見送り結構です。私を苦手とする方にはもう近づいていただきたくありません。それと、お約束は守ります。失礼いたします」

 背を向けた。階段を下りていく杉本を見送りながら乙彦は踊り場で、このことがもし立村にばれたらどんな仕打ちを受けるだろうかとしばし考えた。

 





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ