13 年度末試験前(4)
試験勉強のために友だちと遊ぶのを控えるのはごく普通のことで、その週の日曜はしっかり家に篭るつもりでいた。だが試験シーズンにぶつかっているのは乙彦だけではなく兄と弟も家でごろついている。しかもあまりやる気が見えない。自分ひとりの気合が空回りするだけではなく、母もなにかれとなくお菓子やらなんやら誘惑を二階まで運んでくる。
──これはまずい。図書館に行くか。
高校生にとって図書館で勉強、いかにも定番のパターンだが今回は乙彦ひとりで繰り出すといった流れだった。いつもなら静内や名倉とわいわいやりながら過ごすのだがさすがにそれはまずいだろう。あいつらとは試験が終わり次第思い切りカラオケ三昧する予定でいる。誘ってはいないがすでに乙彦の中では確定していることでもある。
二月末、まだ花の気配は感じられない。
暖かい地域ではすでに梅も盛りを迎えているとテレビのニュースで観たけれども、青潟の木々には色づきある枝はどこにも見受けられなかった。コートも手放せない。手袋はポケットに突っ込んでおいた。風はさほど強くないので自転車で出かけるのに不便はない。
大学図書館は日曜も空いているけれども、さすがに今日はそこまで遠出する気になれない。家からだと青潟市立図書館のほうが比較的近い。ただ建物ががっちりしすぎていて、今ひとつ雰囲気がなじめないため単独で出かけることはあまりなかった。大抵は連れと一緒だった。
公園を通り抜け、位置としてはど真ん中に建っている図書館脇に自転車を留めた。学習道具一式が入ったかばんをぶら下げ入館する。一階を覗いてみると親子連れで賑わっているのが伺える。雑誌や一般小説中心の構成らしい。テーブルもすべて埋まっている。見た感じだけで、落ち着けそうにないということはよく理解できた。しかたないので二階に向かう。
黄色がかった大理石の階段を昇って行く。天気はわりといいのに入ってくる光はやたらと重たい雰囲気で、あまり長い時間いたい場所とは思えない。場所の選択を間違えたかもしれない。ただそれならそれでしかたないとも思う。大学図書館までひとこぎするのも悪くない。
二階は一階と打って変わってまず、子どもの気配そのものが一切ない。全くいないわけではないのだがみなおとなしく、周囲の来館者に迷惑をかけるような行動は一切していない。また二階の場合窓辺に席が設置されていて、みなそれぞれが勉強に専念できるようなスペースを保っている。ざっと見た限りほとんどが中年男性で、乙彦と同年代の高校生・および大学生の姿は見当たらない。若干だがひとり席も空いている。滑り込み筆記用具を用意し、一気に受験勉強モードへと突入することにした。
両隣の男性たちも乙彦に目をくれることなく、ひとりは読書、ひとりはメモ取りに専念している。適度な緊張感が流れている。
──大正解だ!
二時間、わき目も振らず四科目の問題集を解き続け、さすがに疲れも出たこともあり席を空けることにした。たった二時間というのに、家でだらだら鉛筆を握り締めているのとは違う進み方だった。しかも頭の回転が心なしか速くなっていくような気もする。予定していたより早く準備も進んだのが気持ちいい。片岡家で過ごした時も結局三人でばか話する時間のほうが長く、律せなかった自分に多少自己嫌悪を感じていたりもした。これで少しは遅れを取り戻せたんじゃないだろうか。目指せ、学年二十位以内。
かばんにノートを詰め込み振り返った時、書棚の陰からかすれた声で、
「関崎先輩」
呼ぶのが聞こえた。
──誰だ?
ぐるっと見回すが人気はない。幻聴とは考えにくいがそのまま立ち止まり耳を澄ます。
「関崎、先輩」
今度ははっきりと耳に届いた。聞き覚えのある声だが、トーンが弱すぎる。この声を持つ相手であればもっと高飛車な、きんきんするような響きを持っているはずなのだが。姿が見えないのが解せないが、あえて呼びかけてみた。
「霧島か?」
答えの代わりに乙彦の前へ歩み寄ってきたのは確かに霧島だった。改めてじっくりその姿を頭から足までじっと観察してみる。おそらくこの格好で青大附中の生徒会長として振舞う霧島真を想像することは難しそうだった。普段はきちっとそろえられたつややかな髪の毛も、人を見下すような眼差しも、整いすぎた狐面も、今の霧島には備わっていなかった。そこにいたのは、茶色のダウンジャケットに色あせたジーンズという霧島の普段着イメージにはそぐわないひとりの男子だけだった。乙彦と顔が会った瞬間、しょぼんと礼をした。
「久しぶりだな」
「お久しぶりです」
「この図書館にお前よく来るのか? 俺は本当に久々だが」
「僕もあまり来ることはありません。普段は大学の図書館に行くので」
青大附属生なら当然の選択肢だろう。
「そりゃそうだな。俺はひとりで集中して勉強したかったから来たんだが、いやあはかどる。図書館で勉強するってのは本当に効果があるな」
乙彦の言葉にもう少し食いついてくるかと思ったが霧島は何も返してこなかった。
間が少しあり、
「先ほど、関崎先輩のお宅に電話させていただきました。市立図書館にいらっしゃると伺いましたので勉強が一段落するまでお待ちしてました」
「それ、何時頃だ? 悪かったな。お前から電話くるのが分かっていれば俺も家を出なかったんだが」
「十一時頃です」
ちょうど乙彦が家を出た頃だ。何か気になって続けた。
「ここに着いたのはいつ頃だ?」
「十二時過ぎです」
──ちょっと待て、今何時だ?
乙彦は腕時計を覗き込んだ。文字盤にはデジタルで一時半と緑色に光っている。
「ということは、俺がここにいるのはかなり早い段階で気づいてたのか」
念を押す。裏づけの確認をする。霧島は頷いた。また間を置き、俯いたまま続けた。
「この辺の書棚で先輩の勉強が終わるのを待つつもりでした」
──こいつそんな奴じゃなかっただろ?
明らかにこれはおかしい。
霧島の性格上、わざわざ乙彦の勉強が終わるのをのんびり待っているような奴じゃないだろう。普段の霧島ならためらうことなく背中に声をかけて、ずうずうしいくらい張り付いてきて、勉強中断させて外に連れ出していたんじゃないだろうか。そういう奴だ。
「声かけてくれればよかったのにどうした」
「お邪魔でしょうから。それに」
顔を上げ、すっかり力を失った眼差しのまま訴えた。
「どうしても今日は、関崎先輩のお力をお借りしたいのです」




