アキュスコープ
8月に入っても、北野の状態はなかなか上向かない。キャッチボールを許されてから半月近くなるというのに、未だにキャッチボールから先へ進めていない。
(また今日もダメか……)
朝起きると左手首を動かす。痛みはない。だが練習でボールを投げると痛みが走る。
たしかにギプスを外した頃から比べれば格段に痛みは減っている。だが減っているのではダメなのだ。痛みが完全に消えてくれなければ試合で投げることなどできない。
もちろんリハビリはずっとキチンと続けている。トレーナーと医師と3人でその都度話し合いながら慎重にメニューを組み、それを寸分違わずこなしている。
もしかしたらもうそんな必要はないのかもしれないが、それでも北野は1秒でも早く復帰したい一心で黙々とリハビリを続けた。なのに手首の痛みは消えない。
「北野くん、アキュスコープって聞いたことあるかい?」
アルビオンのトレーナーである渋谷にそう尋ねられた時、北野の頭にはクエスチョンマークが盛大に浮かんだ。
「ああ、まあそうだろうね」
渋谷は北野の様子を見てすぐに察したようだった。
「とりあえず細かい説明は後々するとして、八方手を尽くしても良化しない今のキミに、最も有効なのはアキュスコープでの治療なんじゃないかと思うんだ。残念ながらウチにその治療器は無いんだけど、実は知り合いのところが導入することになってね。もしキミが望むなら紹介するけど、どうする?」
渋谷は決して積極的に推しはしないが、それでも今の状況を打破するためにはアキュスコープしかないのではないかと、言葉を選びつつ北野に説明した。
「えっ、いや、効果があるんだったら何でも試しますけど……でも、そもそもソレって何なんです?」
北野の最もな疑問に対してトレーナーの渋谷は、あらためてアキュスコープがいかなるモノなのかを丁寧に説明し始めた。
「アキュスコープはね、アメリカのNASAで開発された痛み治療の機械で、一般患者からトップアスリートまで数多くの回復実績をあげている治療器具なんだ」
それは今の北野にとって望み通りのシロモノといってよいだろう。この手首の痛みがそれで無くなるのなら願ったり叶ったりだ。
「アキュスコープのスゴイところはね、即効性があるってことなんだよ。つまり治療すればすぐに結果が出る。もちろん治療箇所の状態にもよるんだけど、早ければ1度の治療ですぐ効果が表れるらしいんだな。うまくすればキミのその手首も改善できると思うんだよ」
「へぇ、そんな機械があるんですね」
話の通りだとすればまるで魔法のような機械だが、本当にそんなに早く効果が表れるものなんだろうか。そんなスゴイ機械ならどうしてもっと普及しないのだろうか。
「そこはホラ、何しろ値段が値段なんでね。ポンと景気良く買えるシロモノでもないんだよ。導入してるところも予約でいっぱいだったりして、なかなか使うことができなくてね」
渋谷によると、どうやらかなり高額の治療器具らしく、それゆえ導入しているところが少ないのだが、近年その驚異的効果によって急速に普及してきているということらしい。
いずれにしろ北野にとっては一筋の光ともいえる情報であり、ぜひその治療を受けたいところだ。
「それで? 効果はどうだったんですか? あったんですか?」
電話の向こうで春香がそう問いかけた。
「それがさぁ、トレーナーの言う通りだったんだよ。たった1回治療を受けただけなのに、もう痛みがほとんど消えてるんだよ」
「ホントですか? 投げても痛くないんですか?」
「完全に消えたわけじゃないけど、昨日までと比べれば全然マシ、っていうかほとんど痛まないんだ。これならもう1回ぐらい治療を受ければ完全に痛まなくなっちゃうんじゃないかな」
「うわぁ、それは良かったですね。でも、ホントにスゴイ機械なんですね、その、アキ? アキュ? なんでしたっけ?」
「アキュスコープ。いやホントにビックリだよ。最初トレーナーから話を聞いた時は正直半信半疑だったんだけどさ、こんなに効くってもっと早く知ってれば、今頃とっくに投げ込みを始められてたかもしれないよね」
治療を受けた翌日、北野は早速効果を確認すべくキャッチボールをしてみた。そして1球目で驚いた。
「えっ!? ウソだろ? ほとんど痛まないぞ」
あの投げる瞬間、手首に最大限の加重がかかった瞬間全身にビリッと電流のように走るあの痛みが大幅に改善されている。
偶然ではなく何球投げても痛みはほとんどなく、それは変化球を投げた時も同じだった。
さらにもう少し力を入れてみても同じ。投げる距離を伸ばしても同じで、痛みはウソのように消え去っていた。これならば投げられる。そう思った。
「まさかって思ったよ。いくらなんでもこんなにすぐ、それもこんなに効くなんてやっぱり信じられなかったからさ」
「医学の進歩ってスゴイんですね。今はそんな機械があるだなんて」
「ホントだよね。でもこれでイケそうな気がしてきたよ。痛みさえなけりゃ投げ込みできるからね。そしたらすぐに復帰できるよ、きっと」
興奮気味でテンションの高い北野の話を電話越しに聞きながら、春香は1人ホッと胸を撫で下ろしていた。
北野がいつまで経っても完治の気配をみせない手首に不安を抱き始めていることに気づいていただけに、1日も早く回復しますようにと日々祈っていただけに、今の彼の喜びようは彼女にとっても好ましいし望んでいたものだった。




