吉報
ようやく医師から全力投球の許可が下りた北野は、急ピッチで投げ込みを開始した。もちろんコーチや医師と随時相談しながら徐々に全力球数を増やしていくのだが、幸いなことに手首の違和感はもうほとんど消えていた。
(これならイケる)
まだ故障前の状態には遠いけれど、シーズンが終わるまでまだ2ヶ月近くある。ギリギリかもしれないが、何とか今シーズン中にもう1度1軍のマウンドに立てそうな手ごたえを感じ始めた北野は、少しでも早く復帰すべく慎重かつ熱を入れて練習に精を出した。
(もうこれ以上待てないし、春香さんを待たせられないしな)
初勝利を上げたら自分の気持ちを春香に伝える。そう決めた時から早くその日が来ることを誰よりも彼自身が待ち望んでいた。
1日も早く彼女に気持ちを伝えたい。春香がそれを待っているともうわかっているだけに、これ以上待たせるわけにはいかないという想いもある。なんとしても今シーズン中に初勝利を、というのが今の北野にとって最大のモチベーションとなっている。
北野は焦らず入念に、しかし急ピッチで調整を進めていった。しかしシーズンは1日また1日と過ぎていく。今シーズンに間に合うのかどうかは正直微妙なところだった。
「北野、来週横浜での最終カード、シーサーペンツとの3連戦に同行だ」
2軍監督がそう告げた時、北野の頭に浮かんだのは「間に合った」という思いだけだった。
「水原監督が言うには、最終カードのどこかでオマエを先発させるんだそうだ。まあ来季への見極めってところだな。春先の調子に戻っていることを水原監督に示して、来季の1軍切符を掴んでこい。そしてもうここへは戻ってこないようにな」
「はい!」
リハビリをしながら慎重に体調を整え、トレーニングを積んで調子を上げていき、それでもなかなか春先のピッチングを取り戻すことができなくて、一時はもう間に合わないかもしれないと思いもした。本当に最後の最後のギリギリで1軍に戻ることができた。
「ホントですか? おめでとうございます」
早速その日の夜、電話で春香にそのことを伝えると、彼女はいつもと同じように本当に自分のことのように喜んでくれた。何度もおめでとうございますと祝してくれた。
「じゃあ3試合のうちのどれかで投げるんですね?」
「うん、それは確定してる。ただどの試合に投げるかまでは、まだ言われてないんだけどね」
「じゃあ、もしかしたら私のライブの日に投げるかもしれませんね」
「最終戦だったらそういうことになるね」
年初にリリースした例のシングルがミリオンセラーを記録した春香は、その後矢継ぎ早に2枚のシングルをリリースし、そのどちらもが大ヒットを記録した。いまや彼女は紛うことなく本人が目指していた歌手だ。
北野が登板を予定しているカードの3戦目はシーズン最終戦でもあり、同時にその日はシーサーペンツの本拠地である新横浜スタジアムのすぐ近くにある新横浜アリーナで、春香にとって初めてのアリーナライブが開催されることになっている。
「とにかくまだ何も言われてないからわかんないんだよね」
「私はライブの準備で忙しくて試合は観られないかもしれませんけど、でも心の中で応援していますから。だから頑張ってくださいね」
「ありがとう。登板する日が決まったら連絡するから」
北野は1軍同行を伝えられた時に第3戦つまりシーズン最終戦で投げることを伝えられたが、しかしまだそれを外に漏らすわけにはいかない。
春香が他言するとは全く思わないが、それでも一応ルールはルールなので守らなくてはいけない。前日の夜に翌日の先発投手が発表されるので、それを待って春香に伝えれば済むことなのだから。
電話を終えた北野は壁に掛けられたカレンダーを見た。登板日まで後1週間。第1戦から彼は1軍に合流し新横浜のホテルに泊まる。
(試合前にどこかで会えないかな。いや、ライブの準備で忙しいって言ってたし、時間が合わないか)
それはそれで仕方がない。北野はさほどそのことに執着はしなかった。いずれにしても試合後にきっと会えるだろうから。
「それにしても、その日は俺の登板日で春香さんはアリーナライブか。それもお互い目と鼻の先にある場所でやるってんだから、偶然って面白いよなぁ」
自分は勝ってプロ初勝利を上げ、春香はライブを大成功させる。そんな日になれば最高だなと北野は思った。そして、もし勝つことが出来たらその時は……。




