戸惑い
『今日もすごかったみたいですね。こっちのスポーツニュースでも北野さんが話題になってますよ。今年こそ1軍で投げられそうで良かったですね。私も嬉しいです』
オープン戦2度目の登板を終えたその日の夜、春香からそんなラインが届いた。
北野は時計を見て少し迷い、考えた末に電話をかけてみた。
5回コールして出なかったら切るつもりだったが、春香は3回目のコールで電話に出た。今大丈夫かと聞くと、大丈夫ですよと嬉しそうに弾んだ声で答えが返ってきた。
「北野さん、絶好調みたいですね。三振を獲りまくる凄いピッチャーが現れたって、あっちでもこっちでも話題になってますよ」
「みたいだね。こっちでも突然取材とかインタビューとかされるようになっちゃって戸惑ってるよ。今までそんなことされたことがないからさ。慣れないから余計疲れちゃって」
それは本当のことだった。たった2度の登板で一躍時の人となった北野の元には、取材の申し込みが殺到してした。彼は練習の合間にそういったことへの対応にも追われるようになっていた。
「それはそうですよ。奪三振率100パーセントのピッチャーなんて有り得ないって、向井さんも乙坂さんも言ってましたもん。それだけ凄いってことですから取材されるのも当たり前ですよ」
「向井さんと乙さんが? そう言ってたの?」
「はい。今日は番組の収録だったんでお2人にお会いしたんです。向井さん言ってましたよ。アイツはこれぐらいやると思ってたって」
「向井さんがそんなことを……それはちょっと嬉しいなぁ」
「別のチームになったから投げ合うことが出来るようになった。今からその時が楽しみだって。そう言ってました。乙坂さんに聞いたら、向井さんってエース対決とかするの大好きなんですって」
春香の声は弾んでいる。嬉しくて楽しくて仕方ないという気持ちが、電話の向こうからハッキリと伝わってくる。
「いやあ、でもまだ3試合投げて結果出しただけだから。ちょっと気が早すぎるって言うか、買いかぶりすぎなんじゃないかなぁ。開幕で1軍に残れるかもわからないのに」
「そんなことないですよ! 北野さん、今までずっと一生懸命やってきたじゃないですか。自分を過小評価しちゃダメですよ。色々あったけど挫けずにやってきたじゃないですか。きっとその成果が今表れてるんですよ。絶対マグレなんかじゃないんですから、もっと自信持ってください」
春香は優しくそう言って北野を励ました。
(挫けずに今やれているのは、キミの支えがあったからなんだよ)
そう心の中で思ってはいても、それを口に出すのはやはり照れくさくて気恥ずかしい。北野は喉元まで出かかっていたその言葉を、グッと飲み込んだ。
「あ、でも向井さん、北野さんと投げあうのが楽しみだって言った後に、でもまあ、そん時勝つのは俺だけどなって付け加えてましたけどね。ホント向井さんって負けず嫌いで子供みたいですよね」
春香はそう言ってケラケラと楽しそうに笑った。相変わらず可愛がられているんだなと北野は思った。向井が少し羨ましかった。
福岡に来てから早くも4ヶ月ほどが経つ。その間春香とは一度も会ってはいないが、頻繁にラインでやりとりをしているし電話をする機会も増えた。向こうから電話をしてくる機会も同じように増えた。
あの送別会の夜に春香の気持ちを初めて知った。そして自分も同じ気持ちであることにようやく気づいた北野だったが、だがそれを今は口に出せない。今の自分は色恋沙汰にうつつを抜かしている場合じゃないことくらいは自覚している。
(でも、じゃあ俺はいつ踏み出すんだ?)
春香は勇気を出して1歩踏み出してくれた。
その答えを返さないわけにはいかないが、いつ返事をすべきなのかがわからない。
春香は返事を求めている素振りを見せないし、むしろあの夜のことには一切触れないようにしている気がする。それが何を意味するのか北野にはわからなかった。
せめて1軍でそれなりの実績を残さないと、と漠然と考えてはいた。
根拠は何も無いが1軍でせめて二桁勝利、10勝以上あげるくらいの成績を残してからでないと春香とどうこうなんて言ってられないだろうと、自分なりに何となくそう思っていた。
しかし、それまで待たせるのは不誠実だろうか。
それはともかく、この2試合の自分のピッチングを向井が高く評価してくれているのは素直に嬉しい。そう春香に告げると彼女は「向井さんもですけど、若生コーチも広岡監督も、あと三原監督も同じように北野さんを褒めてましたよ」と答えた。北野は思わずウソでしょう? と言ってしまったが、春香はウソじゃありませんよと答えた。
「実は今日聞いたんですけど、三原監督はずっと北野さんに目を付けていたんですって。いつからですかって聞いたら、一昨年の春のキャンプの時からだって。あの時北野さん、初めて1軍のキャンプに参加しましたよね? あの時に実際に見て、これはって思ったらしいですよ。このチェンジアップは間違いなく通用する、それどころか下手をしたら誰も打てないかもしれないと思ったって、そう言ってました」
「三原監督がそんなことを……」
「あとこれはフロントの人に聞いたんですけど、北野さんがプロテクトされてないことを知って、三原監督は球団事務所に怒鳴り込んだらしいですよ。どうして北野をプロテクトしなかったんだーって。それはもう物凄い剣幕だったんですって」
「そんなことが? それは知らなかったな」
「三原監督、やっぱり出すんじゃなかったって苦笑いしてましたもん。これじゃ敵に塩を送ったようなもんだ、ウチとの対戦でこんなピッチングされたらかなわんなぁって。私が打てそうにないですかって聞いたら、ウチ相手に投げる時は手加減するように伝えといてくれって言われました」
春香は三原の口調を真似ながら、楽しそうにそう言った。
「そっか、みんな評価してくれてるんだ」
「そうですよ。だから自信持ってください。北野さんはマグレや偶然で抑えたんじゃないんです。実力で結果を出しているんですから」
相変わらず春香にそう言われると不思議とその気になる。不思議だなぁと思いつつも、まんまとその気にさせられる北野だった。
開幕を翌週に控え球界が盛り上がる中、一躍時の人となった北野のピッチングを実際に見てみようと、オープン戦にも関わらず彼の3度目の登板が予想される日にファンが多数押しかけた。予定ではこの日が北野のオープン戦最後の登板となる。
「驚いたな。これがオープン戦の客の入りか?」
観客席を眺めた福岡アルビオンの広報担当者がそう声を上げた。
所詮は練習試合であるオープン戦に足を運ぶファンは、当たり前のことだが公式戦よりも圧倒的に少ない。
だが彼の目の前のスタンドには、明らかに通常の何倍もの観客が入っている。
「これ、もしかして増えている分は、そのまま北野見たさに訪れた観客なのか?」
オープン戦でこれならば、この調子でシーズンに入ったらどれほどの客を呼べるのか。
「人的補償で獲得した時は半信半疑だったが、これはとんでもない拾い物だったかもしれんぞ」
そう、間違いなく北野のピッチングはファンに支持されている。それも圧倒的な支持だ。広報担当者としてこれを生かさない手はない。彼は早くも頭の中で、今後北野をどう売り出していくかを考え始めていた。
北野はその日も三振の山を築いた。水原はもう試す必要は無いと考え、この登板は調整目的だったので3イニングを投げたところで交代させた。3イニングを投げ切って無失点。奪三振9。
(計3試合で10イニングを投げて無失点。奪三振30で奪三振率100パーセントか……)
あらためてその成績を見直すと、その異次元さに声を失う水原だった。
まだバッターが調子を上げきっていない序盤ならともかく、開幕直前のこの時期になっても変わらぬパフォーマンスを見せつけ続けたのだ。
彼の開幕1軍入りを疑う者はもはや誰もおらず、ファンの興味はこれから北野が登板のたびに、いったいどんなピッチングを自分達に見せてくれるのかの一点となっていた。




