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キミがいて夢になる  作者: スパイシーライフ


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59/87

あなたへ

 北野は1人練習グラウンドのスタンドに座り、ただぼんやりと誰もいないグラウンドを眺めていた。

 今日の練習は既に終了し選手もコーチも全員宿舎へと引き上げている。夕日が沈んでいくのにも気づかず、北野はただただグラウンドを見つめていた。

 

「いつになったら投げられるようになるんだかなぁ……」

 

 故障したのが足なので、当然走りこみは出来ない。

 ならばと上半身だけを鍛え過ぎても身体的なバランスを崩してしまうし、それにいくらウェイトトレーニングをしたところで肩を鍛えることは出来ない。ピッチングに使う肩はボールを投げることでしか鍛えられないからだ。


(なにもできないから不安しかないんだよなぁ)


 もちろん骨折はいつか治る。だが治ってから身体を鍛え直してコンディションを整えて万全の状態になるまでに、いったいどれほどの日数がかかるだろうか。満足いく状態で投げられるようになる頃には、どう考えてもとっくにシーズンは終わってしまっているだろう。

 

(俺の今シーズンは、もう終わりかぁ……)

 

 春先こそボロボロの状態だったが、今は絶好調と言っていい状態だった。1軍入りの手応えもあったし自信もあった。今度こそという気持ちだったし気合も入っていた。チームの置かれた状況的にも彼には間違いなく追い風が吹いていた。


(間違いなく、無事なら1軍に行けてたよなぁ……)


 1軍に上がっていれば状況的に登板機会はあったはずだ。起用してくれれば結果を出す自信はあった。プロ初勝利だって手にしていたかもしれない。それだけの状態だったし手応えだった。

 

 なのに今自分はここでこうしている。何もすることが出来ず、ただただ骨折が治ることを祈るしかない。


(こんなに絶好調で状況も追い風なんてこと、もう一度あるのかなぁ……無いよなぁ……)

 

 今更そんなことを考えても仕方ないのだが、何もすることが出来ない今の北野はどうしても気持ちが後ろ向きになってしまう。

 

 休んでいる間に今まで鍛えた身体はどんどん衰えていき、自分がこうしている間に他の選手は鍛えられてどんどん成長していく。なのに焦るなといくら自分に言い聞かせたところで、それはやはり無理がある。こんな状態で焦らないわけがないのだ。


 それでも春先のように自分を見失うほど精神を病んでいるわけではないのが、せめてもの救いかもしれない。

 

 


 合宿所に戻ると、オマエ宛に届いているぞと封筒を渡された。裏返して出し先の名前を見ると、そこには椎名春香と記されていた。

 

(ん? 春香さんから?)

 

 打球が当たって足を骨折したあの日以来春香には会っていない。ラインもなんだか疎遠になってしまっている。

 原因はわからないが、おそらく気を遣っているのだろう。それにしてもいったい何を送ってきたのだろう。

 自室に戻った北野は早速封筒を開封した。中に入っていたのは1枚のCDと1通の便せんだった。


「なんだ、これ?」


 北野は便せんを開いて読んでみた。そこには綺麗な文字が並んでいた。

『北野さんへ』から始まるその手紙を北野は読み進める。



 北野さんへ


 あの日、病院で見た北野さんは凄く落ち込んでいましたよね。あんな北野さんを見たのは初めてだったから、あの時は私、何て声をかけていいかわからなくなってしまって何も言えなくなってしまって……いつも北野さんの力になりたいって思ってるのに、あの時は何もしてあげられなくてごめんなさい。

 ケガをして落ち込んでる北野さんを励ましたい。小春ちゃんと雪乃ちゃんにそう言ったら、じゃあ自作の曲を歌ってみたらって言われて、それから2人にも手伝ってもらいながら初めて作詞作曲をしてみました。何も出来ない私ですけど、でも私には歌があるから、歌で北野さんの力になりたい、そんな一心で作りました。曲のタイトルは 『あなたへ』です。北野さんを励まし勇気づけ、支えることが出来たらいいな、元気になってもらえたらいいなって、そんな想いで付けたタイトルです。演奏も何もないアカペラですけど、よかったら聴いてください。

 

 

 読み終えて、北野は自分が恥ずかしくなった。

 春香が謝ることなど何ひとつ無いのに、彼女はまるで総て自分の責任だと思っているかのように言う。

 

(そんなことを思っていてくれたのか……)

 

 あれからずっと落ち込んでいる自分なのに、彼女は何とか力になりたいと考えていてくれたのか。

 北野はありがたい、嬉しいと思う反面、年下の女の子にそんな心配をさせてしまった自分がただひたすら恥ずかしい気持ちだった。

 

 北野はふと思い立ち、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを1本取り出した。

 キャップを開けて一口二口飲むと彼はペットボトルを手にしたまま席に戻り、もう一度水を口に含んでペットボトルを机の上に置き、春香のCDをプレイヤーにセットした。

 

 

 もとより北野は音楽の専門家ではないし、特別興味があるわけでもない。流行の曲ぐらいは知っている……その程度の関心しかない。

 そもそも入団してからずっとひたすら野球に打ち込んでいたのだ。他の事には目もくれないで生きてきたのだから、歌が上手いとか下手とか曲が良いとか悪いとか専門的な知識からどうこう評価することなどハナから出来ない。


 しかし春香が歌っている曲は、春香の歌は、そんな北野にとって純粋に心から素晴らしいと感じさせるものだった。

 

 『支え合う喜びが明日を描く』

 『大丈夫だよ。1人じゃないから』

 『まっすぐで前向きなアナタでいて欲しい』

 『今は信じなくてもいい。それでもきっと綺麗な花が咲く』

 『私には歌しかないけれど、私には歌があるから』

 『いつでも私はここでアナタのために歌っているから』

 『今かけがえのないこの瞬間を、果てしないこの道をアナタと』

 

 様々な歌詞がことごとく彼の心に刺さり、胸を強く打った。

 鳥肌が立つほどに感情を揺さぶられた。

 

 ひとつひとつの歌詞はありきたりかもしれない。

 メロディーも、どこかで聞いたことがあるようなものかもしれない。

 だが、そんなことは北野にとってどうでもいいことだ。


 春香の歌を何度も何度も繰り返し聞いているうちに、彼の目からはいつの間にか涙が溢れ始めていた。


(あ、あれ? 俺、泣いてるのか?)

 

 今までの人生で誰かの歌を聞いて泣いたことなど1度もないけれど、いま彼は紛れも無く自らの瞳から大粒の涙をこぼしていた。

 自分ではどうすることも出来ず、ボロボロ泣きながら彼は、それでも何度も何度も繰り返し聞き続けた。

 この曲を、この歌を春香が自ら作り自分に送ってくれたというその気持ちが、本当に嬉しくてありがたくて……こんなに涙を流したのも、涙が止まらないという経験も初めてのことだった。

 

(そうか、こういうことなんだな。身体の震えが止まらないや)

 

 春香が前に言っていた、歌で人を励ますというのはこういうことなのだろう。

 陳腐だが、それはただただ感動したとしか北野には表現出来なかった。これこそが本当に心から感動したということなのだろうとすら思った。

 

(春香さんはこんなに俺の事を想って励ましてくれているのに、なのに俺は後ろ向きな事ばかり考えて……なんて情けないんだよ!)

 

 北野は春香に言われたことに激高して怒鳴ってしまった春先の出来事を思い出した。

 あの時だって彼女は俺の為を思って言ってくれた。


 いつだって彼女は元気と勇気をくれていたのに、なのに自分は与えられてばかりで心配をかけている。


(……なにやってんだ俺は。男だろ。このままでいいわけないだろ)

 

 自分が骨折してからまだ2週間も経っていない。それほどの短期間で彼女は曲を作ったのだ。自分のために、自分を励ますためにこんな短期間でこんな素晴らしい曲を生みだすなんて……。


(春香さんは、スゴイな)


 想像でしかないが、いくら友人の手助けがあっても作詞作曲が簡単ではないことぐらいは音楽に疎い彼でもわかる。簡単にできることのわけがない。

 

「俺のために作ってくれたんだよな……一生懸命考えて作ってくれたんだよな……」

 

 涙を流してる場合じゃない。落ち込んでる場合じゃない。ふさぎこんでる場合じゃない。


「俺のことをこんなにも考えて、励まして支えようとしてくれてる人がいるんだぞ」


 この人のために自分が出来ることはなんだ。自分には何ができるんだ。自分は何をすべきなんだ。

 

「そんなの決まってるだろ。早く復帰して1軍のマウンドに立つんだ。俺に出来ることはそれしかないだろ」

 

 春香のために? いや、少し違う。春香のためにじゃない。自分のその姿を春香に見て欲しいんだ。キミのおかげだよって伝えたいんだ。キミの支えで俺は立ち直れたんだと言いたいんだ。

 

「やるさ。こんな足の骨折なんかすぐに治してやる。絶対絶対絶対にだ」

 

 さきほどまで心がどんよりと重く沈んでいた北野だが、今はもう元気はつらつ気分爽快ともいえる状態になっていた。


 たった1曲の歌は、彼にとっておそらく一生忘れられない衝撃を与えていた。

 そしてそれは、春香が何よりも望んでいたものに他ならない。

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