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キミがいて夢になる  作者: スパイシーライフ


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30/85

勝ち得たもの

「実は昼間フロントから連絡があってな。オマエにとって喜ばしい話だ」

 

 支配下登録期限の7月31日を間もなく迎えようとしていたある日の練習後、北野は広岡2軍監督に呼び止められた。隣には若生2軍投手コーチもいた。

 

「支配下選手登録決定だそうだ。明日契約書を持ってフロントの人間が来るから、それにサインをしたら正式に契約完了だ。よかったな、北野」

「おめでとう、北野」

 

 一瞬この人たちは何を言っているのだろうと北野は思った。自分の耳を疑った。

 

「監督……コーチ……今……なんて?」

 

 恐る恐るそう尋ねた北野に、広岡は全く同じセリフをゆっくりと繰り返した。

 

「これでオマエも1軍を狙える立場に立てたわけだ。今ウチの1軍は先発ピッチャーが足りない。オマエにとって大チャンスなんだ。今年中に1軍に上がってやるっていうくらいの気持ちで頑張れよ」

「ハイ! ありがとうございます!」

「とにかくオマエの課題はスタミナだ。リリーフではからっきしなんだから、最低でも6回7回くらいまで投げられるスタミナをつけなきゃ話にならん。とにかく徹底的に走りこめ」

「はい! ありがとうございます! 失礼します!」

 

 広岡と若生に挨拶し宿舎へと戻る途中で、北野は自然と何度も何度もヨシッ、ヨシッ、と言いながらガッツポーズをしていた。プロ野球選手としてようやくスタートラインに立つことができた。ようやく自分が認められ評価されたのだ。気持ちが舞い上がらないわけがなかった。

 もちろん喜んでばかりはいられない。まだスタートラインに立てただけなのだ。これからさらに険しい道のりが待っていることはわかっている。だがそれでも……。

 

(まあでも、今日くらいは喜んでもバチは当たらないだろ。急いで実家に連絡しなきゃな。あとは春香さんにも連絡しなきゃ)

 

 連絡する相手の2番目に春香が挙がる、その意味を北野は気づいていない。

 


 その頃春香は仕事の打ち合わせの最中だった。打ち合わせを終えてスマホを開くと、北野からのラインが入っていることに気づいた。

 

(そっかぁ。北野さん、支配下登録選手になれたんだぁ)

 

 読み終えた春香はまるで自分のことのように嬉しくなった。彼女は今まで北野がどれほど努力を重ねてきたのか知っている。そんな人の努力が報われたのは純粋に嬉しい。

 

(お祝いに何かプレゼントしようかな……北野さん、何が喜ぶかなぁ?)

 

 しばらく考え込んでから春香は電話をかけてみた。だが北野は出なかった。

 

(どうしようかなぁ……)

 

 時計で時間を確認した春香はスマホを片手にしばらく思案したが、やがて意を決してタクシーを拾うことにした。


 北野は例によって夜のグラウンドを走っていた。支配下選手となれた喜びと興奮でいてもたってもいられず、身体を動かさなければとても眠れそうになかったからだ。

 どれほど走っていただろうか。ふと見たスタンドに人影があることに気づいた。近づいてみると、そこには見慣れた顔があった。春香だった。

 

「あれ? 春香さん? なんでここに?」

「北野さんに、おめでとうございますって言いたくって、来ちゃいました」

「来ちゃいましたって、それだけの為にこんな時間に? 明日も仕事じゃないんですか?」

「電話したんですけど出てくれなかったし。ラインだけ送って日を改めようかとも思ったんですけど、やっぱりどうしても今日お祝いの言葉だけでも言いたくなっちゃって。あ、プレゼントはまた別の日に持ってきますね」

「いや、プレゼントとか気をつかわなくていいですけど、気持ちは嬉しいですよ。ありがとう」

 

 少し照れながら北野はそう礼を言うと春香の元に歩み寄り、そのまま2人はスタンドのベンチに腰掛けた。

 

「夜のグラウンドって初めてなんですけど、何だか違うところみたいですね。ちょっと不思議な感じです」

 

 春香は月明かりと常夜灯に照らされたグラウンドを見つめながらそう言った。

 

「夜の学校とかと同じですよね。見慣れた場所のはずなのに、全然違うところみたいな感じがする」

 

 春香は大きく頷きながら「ああ、そうですね。そんな感じです」と答えた。2人はそのまましばらく黙ってグラウンドを見つめた。

 

「北野さん、支配下選手になれてよかったですね。おめでとうございます」

「ありがとう。でも春香さんも最近頑張っているみたいじゃないですか。仕事増えてるって聞きましたよ」

「はい、ありがとうございます。おかげさまで最近やっと少しだけお仕事が忙しくなってきました」


 春香は少しだけ照れているように北野には見えた。

 

「でも北野さんに比べれば私なんてまだまだです。もっともっと頑張らないと」

「あんまり頑張り過ぎるとパンクしちゃいますよ?」

「北野さんがそれ言います? 練習し過ぎだってコーチにいつも怒られてる北野さんが」

 

 北野は反論できず頭を掻いて誤魔化した。

 

「私、北野さんに聞いてみたいことがあるんですけど、北野さんは夢って何かありますか?」

「夢? またずいぶん唐突な質問ですね」

 

 北野は少し考え込んでから答えた。

 

「そうだなぁ……プロのマウンドに立ちたい、1軍で勝ちたい……ってのは目標か。夢は何かって言われると答えに困りますね。あ、そうだ、1つあった。俺、いつきさんと約束してることがあるんですよ」

「真鍋さんとの約束ですか? どんな約束なんですか?」

「俺が先発して、いつきさんがリリーフで、2人で1軍に上がって、それで試合に勝てたら最高だなって。絶対実現させましょうって。それが今の夢ですかねぇ」

「そうだったんですか。北野さんってホントに真鍋さんと仲良しなんですね」

「あの人ね、ちゃらんぽらんに見えるけど実はすっごい努力してるんですよ。育成でプロに入ってから今まで、お世話になりっぱなしなんですよね。俺は兄貴いないんだけど、いつきさん見てるとなんか、もしかしたら兄貴ってこんな感じなのかなって思うんですよ」


 春香は北野の話を真剣に聞いている。話している方が申し訳なくなるほどに。

 

「お兄さんが欲しかったんですか?」

「男の兄弟が欲しかったんですよね。ウチは姉貴と妹はいるけど男の兄弟はいないんですよ。春香さんは兄弟姉妹は?」

「私は一人っ子なんです。子供の頃はお姉ちゃんが欲しかったかなぁ」

「あぁ、そういえば春香さんって妹って感じがするなぁ」

「……それは、私が子供っぽいって言いたいんですか?」

「子供っぽいって言うか……幼い?」

「ひっどーい。北野さんって、けっこう口が悪いですよね。私、キズついたぁ」

 

 大げさに非難し嘆いた春香だが、表情は楽しげだった。北野はゴメンゴメンと謝りながら、やはり同じように楽しげな表情を浮かべていた。

 

「北野さん、なんだか楽しそうですね。イキイキして見えます」

「そう見えますか? まぁ、まだまだ先は長いですけど」

「私、北野さんが1軍のマウンドに立つところ見たいです。応援してますから、だから頑張ってくださいね」

「俺も春香さんのこと応援してますよ。2人ともプロの世界でもっともっと上まで行けたらいいですね」

「いいね、じゃなくて、行きましょうよ。もっともっと上に。一緒に行きましょうよ」

 

 真剣な表情で春香はそう訴えた。北野は黙って、しかし力強く大きく頷いた。

 

「そうですね。その通りだ。一緒に行きましょう。2人で」

 

 春香は嬉しそうにウンウンと頷いた。

 

「さあ、時間も遅いしそろそろ帰らないと。駅まで送りますから帰りましょう」

 

 北野はそう言うと立ち上がり、スッと自然に右手を差し出していた。立ち上がる春香に手を貸そうと差し出したその手に、春香は驚きと戸惑いを表情に浮かべた。

 

(あれ? 俺、なにやってるんだ?)

 

 一瞬の間を置いて気づいた北野は、慌てて差し出した手を引っ込めた。これでは真鍋と変わらないじゃないかと思った。

 そんな北野をしばらく見ていた春香は、やがてニコリと微笑むとスッと自分から右手を差し出した。

 今度は北野が驚き戸惑う番だった。初めて触れたお互いの手。嬉しいような気恥ずかしいような、そんな気持ちを互いに胸に抱く2人だった。

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