最終回
111話にわたった物語も、いよいよ最終回を迎えることとなりました。お楽しみください。
「ストライク! バッターアウト!」
審判のコールが高らかに告げられると、アルビオンファンからは歓声が上がった。
だが、その他の大多数のシーサーペンツファンたちは、どう反応していいのかわからず微妙な空気となっていた。
それも当然な話で、北野の奮闘は称賛に価すると誰もが思っているし、元シーサーペンツの投手がプロ初勝利をあげたのだから祝福してやりたい気持ちは当然ある。
だが北野が勝ったことで、彼らの愛するチームが悲願だった優勝を逃すかもしれないのだから、誰だってどう振舞えばいいのか悩んでしまうだろう。
当の北野は、もうファンの反応など全く気にしてはいなかった。と言うよりも、そんな余裕すらもうなかった。
試合が終わった瞬間、北野の脳裏にあったのは喜びではなく、ただただ安堵だった。このキツい試合を投げ切ることができた、終わらせることができた、そういう安堵感のみだった。
「北野! やったな! おめでとう!」
「よくしのぎ切ったな。たいしたもんだぜ」
「よくやったぞ、北野!」
マウンド上に集まった野手たちから口々に祝福の言葉をかけられ、なかば放心状態だった北野はようやく正気を取り戻した。
「おめでとう、北野。ほらよ」
神谷がウイニングボールを差し出した。それを見た瞬間、ようやく念願のプロ初勝利をあげた実感が湧いてきた。
「そっか……俺、勝ったんだよな」
「そうだよ。オマエは勝ったんだ。プロ初勝利をあげたんだよ」
「そっか……そっか……」
途端に心の奥底から爆発的な感情が噴き出してきた。気がついたら両手を高々と掲げながら雄たけびをあげていた。
「勝った! 勝ったぞ、春香さん!」
だが次の瞬間、北野は膝がカクンッと折れて、そのまましゃがみこんでしまった。
「お、おい北野! どうした! 大丈夫か?」
「まさかケガしたんじゃないだろうな?」
「あ、いや、ケガじゃないんすけど、なんか急に力が抜けちゃって……」
そのまま北野は、マウンド上で大の字になって寝転がってしまった。
「うぁぁぁ、疲れたぁ。もう無理! 起き上がれない! このまま寝たい!」
周囲から笑いが漏れる。そんな彼らのもとに2人の男が現れた。向井と小松だ。
「なんだ北野。9回投げ切ったくらいでそんなバテてんのか。まだまだだな」
向井は笑みを浮かべながらそう言った。
「まったくオマエは余計なことしてくれちまってなぁ。おかげでアウローラの試合が終わるまで帰れなくなっちまったじゃねぇかよ」
アウローラの試合ももつれにもつれていて、とうとう延長戦に入っていた。このまま引き分けならばシーサーペンツの優勝だが、サヨナラ勝ちを決めればアウローアの逆転優勝となる。
新横浜スタジアムのオーロラビジョンにはアウローラの試合中継が映し出され、皆が息を呑んでそれを凝視していた。帰る者など誰一人いない。
「まったく、今日のオマエには散々な目にあわされたよ。来年は必ず打ってやるからな。覚悟しておけよ」
小松も笑みを浮かべながらそう言った。
「で、オマエはいつまでそこでノビてるつもりなんだ? 春香ちゃんが待ってるぞ」
「えっ!? 春香さんが?」
ようやく上体を起こした北野がベンチを見やると、いつの間にかスタンドにいたはずの春香がそこにいた。胸の前で両手を組みながら心配そうにこちらを見つめている。
(あぁ、起きなきゃ……)
起き上がろうとする北野に神谷が手を差し出す。
「ベンチまで肩貸そうか?」
「いや、大丈夫だ。自分の足で歩いて戻りたい」
「そっか。そうだよな」
ゆっくりと北野が歩き出す。春香はベンチ前で待っている。一歩、また一歩と北野は歩く。
「北野さん……」
目の前までなんとかたどり着くと、春香が今にも泣きだしそうな顔をしているのがわかった。
「北野さん、おめでとうございます。私、信じてましたよ。北野さんは必ず勝つって」
「ありがとう」
今まで彼女と過ごした日々のことが急に思い出され、北野は思わず彼女を強く抱きしめていた。
「えっ!? ちょっ、北野さん!?」
「ありがとう、春香さん。春香さんがずっと励ましてくれたから、支えてくれたから勝つことができたよ。本当にありがとう」
「北野さん……」
「なんか上手く言えないけど、俺、いま色んな人たちに感謝の気持ちでいっぱいだ。諦めなくてよかったって、ホントにそう思ってる」
「……真鍋さんも、きっと喜んでますね」
「そうだね。そうだと思う。でもやっぱり春香さんが一番俺の力になったよ。本当にありがとう」
「……あのぅ、北野さん。そう言ってくれるのはホントに嬉しいんですけど……」
「?」
「ずっとみんなに見られていて、ちょっと恥ずかしいです……」
「えっ!?」
北野はようやく正気に戻った。周囲を見ると皆が生暖かい目で自分たちを見ていた。
「北野……オマエ、そういうのは誰もいないところでやるもんだぞ」
「まったくだ。お客さんもみんな見てるってのに」
春香を抱きしめたままベンチ周りのスタンドを見ると、確かに観客たちの視線が自分たちに向いているのがわかった。
「北野! よかったな!」
「北野さん! おめでとー!」
祝福しているのか、それともからかっているのかよくわからない声援が聞こえて、北野は慌てて春香から離れた。
「うわぁ、ご、ごめん春香さん。俺、嬉しくて思わず……」
「いぇ、だ、大丈夫、です、けど……」
顔を真っ赤にした春香が、口ごもりながら答えた。
北野と春香は球場内の医務室へと向かうことにした。
選手たちも球団スタッフも、報道陣までも誰もかれもが場内のオーロラビジョンに釘付けだったため、一時的に通路には人の気配が消えていた。
「北野さん、大丈夫ですか? 医務室まで歩けます?」
「うん、大丈夫。ちょっと休めば大丈夫だよ」
春香の顔には安堵の色が浮かんでいた。
「……俺さ、投げてる間ずっと春香さんの曲を口ずさんでたんだ」
「えっ? そうだったんですか?」
「うん。おかげで落ち着いて投げられたよ」
「そっかぁ……私の歌が北野さんの力になったんですね。嬉しいな」
そう言うと春香は、満面の笑みを浮かべながら北野を見つめた。その笑顔は、今まで見てきたどの笑顔よりも嬉しそうだと北野は思った。
「北野さん、本当におめでとうございます。念願の初勝利、私もすっごく嬉しいです」
「ありがとう。でもさっきも言ったけど、春香さんの存在があったから勝てたんだよ」
「そんなこと……ないですよ」
「試合中にね、何度も気持ちを奮い立たせてたんだ。春香さんは絶対にライブを成功させる。俺も負けられないぞってね」
「北野さん……」
「これからも、俺を隣りで支えてくれないかな……」
「えっ?」
突然の言葉に一瞬春香は戸惑ったが、すぐに気を取り直した。そして北野の言葉の続きを待つ。
「今日勝てたら言おうって決めてたんだ。春香さん、ずっと好きでした。これからも俺に力を貸して欲しい。付き合ってください」
待ち望んでいた言葉を、ようやく北野から聞くことが出来たのだ。断る選択肢などあるわけがない。春香はすぐに答えた。
「私も……私もずっと北野さんのことが好きでした。私でよければ、よろしくお願いします」
照れくささと気恥ずかしさで2人の会話がしばらく途切れた。すると突然場内からの大歓声が2人の耳にまで届いた。
「優勝、決まったんですかね?」
「たぶんね。しかもこの感じだとシーサーペンツが優勝したんじゃないかな」
北野の言うように、大歓声はまったく収まる気配をみせなかった。
「俺が勝ってシーサーペンツが優勝を逃したらちょっと心苦しかったから、まあよかったのかな」
「そうですね。向井さんも小松さんも初めてのリーグ優勝ですしね」
「全て丸く収まって、めでたしめでたし、だね」
北野はあらためて春香を見つめた。すると春香は何かを察知したのか、なぜか北野から少し距離を置こうとした。
「……春香さん……なんで離れてくの?」
「えっ!? あ、その……私ライブが終わってすぐここに来たからシャワーも浴びてなくって……だから汗臭かったらイヤだなって……」
北野は思わず笑いだしてしまった。
「なんで笑うんですかぁ!?」
「いや、だって、そんなこと言ったら俺だって汗だくだし」
「そうですけどぉ……女の子だし……」
本当に可愛らしいコだと心から北野は思う。こんなにも他人に対して愛おしいという感情を持ったのは初めてだった。
「今日だけは良いんじゃない。汗のにおいはお互いさまってことで」
それでも頬を赤らめる春香の顔を、北野はジッと見つめた。春香が静かにスッと瞼を閉じる。
2人の唇が優しく触れ合う。
抜き打ちのキスではない。お互いの心を通わせたうえでのキスだった。
遠くで歓声が聞こえる。だがそれも、やがて2人の耳に全く入らなくなっていた。
いかがだったでしょうか。自分の拙い小説に最後までお付き合いくださり本当にありがとうございました。次回作は鋭意執筆中ですが、できるだけ早く発表できるよう頑張りますので、その時はまたよろしくお付き合いください。




