第三試合 2.ビル屋上
邦彦がドアを開ける。びゅう、と風が入り込んできた。
十階ほどでエレベーターを降りて階段を上り、そうして連れられて来た場所は屋上フロアだった。貯水タンクが鎮座し、所々にエアダクトが走っている。
譲二はジャンパーの前をかき寄せる。時刻は昼をだいぶ過ぎているものの、高所のためか吹きすさぶ風もあって地上よりも寒く感じた。
「誰もこんな寒い屋上へは好きこのんで来ないだろう。密談するにはもってこいの場所だ」
上着のポケットに両手を突っ込み、顎をしゃくって移動を促す邦彦。
芙美香が、風に踊っているロングヘアーを右手で押さえている。のだが、それよりもスカートを押さえた方がいいのでは、と譲二は気になって仕方がなかった。先ほどからめくれ上がったりして、チラチラと絶対領域にあたる部分が見え隠れしているのだ。
「現在は、北行きの列車が運行を再開するまでの長い待ち時間のようなものだ。その間に下界を謳歌しておけ。ついでに考え直してもいいぞ。格闘兵を引退して現実を生きるか、我々〈アンチ・幻想〉と共に革命の道をゆくか、……友を助けるため夢想に身を投じるか」
譲二は少なからず衝撃を受けて、邦彦をまっすぐ見つめる。
……下界を、謳歌する? そんなこと、できるわけがない。
「遊び惚けろ、というのではない。自分が守り抜くべき民や愛する大地を目に焼きつけろ、と言っているのだ。兵士として戦い続ける理由を再確認しておきたまえ」
「……邦彦は、引き入れた特殊格闘兵一人一人に、このような……確認をしているのか?」
「ああ。格闘家生活は何も保障しないからな。矢面に立って戦うのは、結成時の初期メンバーだけでもよいと考えている」
結成時の初期メンバー……そう言われて、譲二は、彼につき従っていた人獣の大女を思い出していた。燃え上がるような髪をたなびかせた巨人を。
確かに、“力こそパワー”の彼女――レベッカ・サップさえいれば、どんな強者が相手だろうと蹴散らせるのかもしれない。邦彦の掲げている革命は、決して夢物語などではないのだ。
「いずれにしても忘れるなよ。格闘技を続けて駆け上がっていくということは、天頂を目指して登るのではなく、――奈落へ落ちるようなものだということを」
解放軍の指導者は縁に歩いていき、手すりに肘をかける。その向こうには、いくつかのオフィスビルと、黄金光が降り注ぐ幻想的な空が広がっていた。
「奈落へ……昇る?」
譲二の脳裏には、先ほどの展望用エレベーターで体験した浮遊感と、ガラス張りに見た地上の景色がよぎっていた。
「面白い表現をするな、それでもいいぞ。おまえ次第だ」
と、邦彦は手すり越しに、地上へと目配せする。譲二にはまだ、覗き込む勇気はなかった。
だが、この胸に抱いている意志は不変だ。何があろうとも必ずあいつを助けに行く。
この町に数ヶ月、滞在してわかったこともある。これは己の人生じゃない。
「……助言は念頭に置いておくよ。でも、列車が来たら俺は乗る。前から決めていたことなんだ」
「奈落は怖くないと?」
「どうだろう。……でも、大輝と約束したんだ。それに、渚から託されたものもある。知ってるだろ?」
重くならないようにと譲二は微笑み、同意を求めて邦彦を軽く指差した。邦彦と芙美香も、渚のあの言葉を聞いていて、覚えているはず。
『俺の代わりに飛んでみせてくれ。そして、誇らせてほしい。俺達の世代は内外の敵から国を、未来を守り通したんだと』
邦彦は虚をつかれ、一瞬だけ瞑目してから、困ったような笑みを浮かべる。
「……それを言われると、あの場に立ち会った身としては、何も言えないではないか……。まったく……」
「邦彦、彼の結論は変わらないわ。自分の使命を理解している」
芙美香の声に、邦彦はそちらへ首を動かす。意外な方向からの援護に、譲二も彼女を見やった。
「ふむ……。芙美香がそう言うのなら、そうであろうな。とすると、今日この話をしに来たのも余計な世話だったか」
「つれないことを言うなよ、邦彦。俺はおまえらと久々に話せて嬉しいってのに」
譲二は口角を上げた。邦彦もにこりと笑顔を作る。
「それは重畳。……では、来たるべきその日までしっかり鍛えておけ。火雲列島にはレベル4のチート兵がうじゃうじゃいるからな」
相づちを打つ。そんなことはわかりきっている。
火雲列島は本土の中でも、UFC軍勢の猛攻を浴びている場所だ。あそこはもはや、魔界に変容しているといっても過言ではない。
強化兵や魔改造兵のレベルというのは超人化の度合いを指し、レベル4がその最高指標に該当する。先述のレベッカもレベル4の強化兵で、その身体能力は千人力相当といわれているほどだ。
いずれにしても、生半可な力量で火雲列島に足を踏み入れたら即座に消し炭にされるだろう。努力や一生懸命というものではまったく届かない領域や次元の話なのだ、ということは十二分に理解している。
「おまえにプロレスのジムをあてがった理由もそれだ。無差別級の戦場で、それ以上の膂力を誇る魔改造兵に対抗するため、とにかく筋力をつけろ。火雲列島では何よりもパワーがものを言うぞ」
過去に、異種格闘戦という形で総合格闘技が競技として隆盛してきた時代、ヘビー級やライトヘビー級の外国人を迎え撃つ人材として主に白羽の矢が立ったのが、プロレスラーだった。体重及び体格で彼らに通用しうる選手を揃えていたのがプロレスだった、ともいえる。
リングスの新兵訓練でも、プロレスの実技ではやはりフィジカルをいの一番に鍛えられたのを譲二は覚えている。サンライズマスク軍曹という教官が、熱心に指導をしてくれたのも。
ちなみに、サンライズマスクは額から目元にかけて太陽がデザインされたマスクを常に被っていたため、その素顔を知る者は誰もいない。リングネームなのもそうだけど、軍人なのにマスクマンって許されるの?
「特殊格闘兵ではなく一般の格闘兵でありながらも、魔改造兵と堂々と渡り合っているプライド軍の藤間和貫や桜沢勝志……彼らもバックボーンはプロレスだ」
名前が出てき、譲二は、穂尾での最後の任務で引率役を担った藤間分隊長のことを思い出していた。レベッカ来襲の際、分隊長としての立場や責務もあったのだろうが、同僚や隊員をかばって前に出たのが藤間だった。歴戦の兵というのは、彼のことを指して言うに違いない。
桜沢勝志の方は面識はないが、邦彦が口にするということは、彼も相当の傑物なのだと予想できる。北部へ行くなら、もしかしたらどこかで会うこともあるかもしれない。
「力不足なのは自分が一番よくわかっているさ。一日たりとも無駄にせずトレーニングするよ」
譲二はそう答えた。邦彦がうむ、と頷く。
ブルームーンジムはウエイトトレーニングの器具に事欠かず、剣崎詠美という外部のトレーナーも練習を見に来てくれる。猫渕空太という同等の練習相手や、格上レスラーの美濃部育大だっているのだ。
脱走兵の身からすると充分に恵まれているといえる、この練習環境を一日でもサボるなんてことはありえない。軍組織から抜けたとしても、トレーニングの強度は落としたくないのだから。
「あとは……そうだな。くれぐれも憲兵には気をつけろよ。目をつけられるような真似は絶対にするな」
こんな沿岸部から離れたところに駐屯している軍隊は存在せず、近隣の市町村内に陸軍の基地などもないのだけれども、目下の脅威として憲兵が要所に配置されている。譲二らが指名手配されているという情報も憲兵隊に行き渡っているはずだ。
身分証明書の類の提示ができないため、職務質問であろうとも彼らに捕まってしまったら終わりだ。写真との照合ののち、捕縛及び連行されてしまうだろう。
「ないと思うが、万が一、知人に会ってしまったとしても人違いのフリをしろ。関わるなよ」
「その心配は杞憂だ。ここに知り合いなんていない」
地名を勾玉原という、穂尾から北東の方向へ数百キロメートルの地方部。その一つの町がここ、脱走兵に身を落とした譲二や鏡花が逃げ込んできた先、及び邦彦指定の潜伏場所でもある。
日の出の方角を向いている鳥の形状をした日鶴国土の下腹部にあたり、古代の宝珠のように緩やかに曲線を描いている外形が地名の由来とされている。
譲二が暮らしていた孤児院や住んでいた学区は、その勾玉原から新幹線や有料特急を何回も乗り換えなければ到達できない市町村の外れ、有り体に言えば田舎にある。よって、こんな遠方で旧知の人間に遭遇する可能性は極めて低い。
「ならばよし」と返してきて、上着の袖を少しずらし腕時計を覗き込む邦彦。
短い時間の気もするが、随分と話し込んだようだ。ちなみに、譲二の腕時計は、軍支給品なのでGPS発信機能が付いているかもしれないということで、逃走の途中で山の土中に埋めてしまった。
せっかく再会したのにと名残惜しい気持ちは勿論あるけれども、時間内にワックスがけを終わらせないと業務態度を疑われて今後の仕事に差し障りが出るし、夜の練習時間だって押してしまう。切り上げるには頃合いかもしれない。
それに、これきりで最後というわけじゃない。
「じゃあ、そろそろ仕事に戻ることにするよ。邦彦、鹿島さん、会いに来てくれてありがとうな」
「手配ができたら連絡する。それまで待っていてくれたまえ。あと一、二ヶ月ほどの辛抱だ」
譲二は後ろ向きにゆっくり歩いて、後は二人で屋上からの展望スポットデートを楽しんでくれ、とからかう。邦彦と芙美香が顔を見合わせた(あれっ、そういう関係じゃないのか?)。
「また会おう。この町を出た別のところで」
ドアの取っ手に手をかけた譲二は、邦彦のその言葉に振り向く。芙美香がさようならと手を上げてくるが、その手はスカートを押さえるのに使ってほしいと切に思った。
顔を上げて空を見る。太陽を覆い隠している雲の縁が、淡く光り輝いていた。
前途は上々で、今度こそ上手くいくのではないかという予感がしてくる。現実はそんなに甘くないことは痛いほどわかっているが、少しぐらいは夢を見るだけなら許されるだろう。




