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決勝戦 上官の回想

 瀬々英里奈は意識消失と半ばまどろみの狭間で、夢を見ていた。


 それは、半年以上前の、内地の司令部へ出張していたときの記憶だった。


 真っ白な世界で、Yシャツの上に軍服を羽織った女性が立っている。厚ぼったい唇と口元のほくろが印象的な彼女は、英里奈に気がつくと手を振ってきた。


『久しぶりぃ。元気にしてた?』


『ええ。先生こそご健勝そうで』


『先生はやめてよ』


 白衣ではなくフォーマルドレスを着ている彼女がめずらしく、つい念入りに見てしまう。しゃに構えた雰囲気に似合っているとは言いがたい。


『馬子にも衣装ですね。白衣とは違うんですから、ポケットにタバコの箱やライターを忍ばせちゃダメですよ』


 そう冗談交じりに微笑むと、彼女は虚をつかれたような表情を浮かべた。


 予想外の反応を受け、英里奈はもしかして、と尋ねる。


『……タバコ、やめたんですか?』


『ん……まあね。……とても、そんな気分じゃなくなったというか』


 ヘビースモーカーを返上したらしい軍医は、神妙にそんなことを呟く。驚きだった。


 以前は医者の不養生を地で行っていた彼女に呆れていたものだが、しばらく会わない間に心境の変化でもあったらしい。


 これまでが吸いすぎだったのだ。理由が何であれ、禁煙に成功したのならそれに越したことはない、と英里奈は思う。


『その方がいいですよ。……で、どうしたんですか。ただ世間話をしに来たわけでもないんでしょう』


『……たはは、見抜かれていたかー。えっ、私そんなにわかりやすい?』


 英里奈は考える。どちらかといえばわかりやすいのかもしれない。


 兵士は常に、感情を排することが求められる。上層部から期待されているのは駒としての動き。命令は絶対服従だからと。死の恐怖に囚われないためにも。


 医官の彼女は、そんな軍隊の組織風土からほど遠いところにいる。よって、英里奈のような軍人と比べると幾分、人間的といってよかった。


『実はさ……頼みたいことがあって』


『面倒事はいやですよ』


『そこをなんとかぁ~。あんたと私の仲じゃん。ね、お願いっ』


 砕けた態度で、拝むように手を合わせる軍医。階級的には(歳も)上にもかかわらず、そんなそぶりはいささかも見せてこない。


『……はぁ……。内容にもよりますけれど』


 軽く嘆息しつつ、英里奈は引き受ける心積もりで、頼み事の中身を確認する。


『今度、そっちに配属される子がいるんだけど……。ちょっと……特殊な事情があって……。英里奈からも気にかけておいてほしいんだ』


『もしかして特殊格闘兵ですか? リングスの?』


 彼女は『そ』と頷く。


 ということは、特殊な事情というのも、そこで起こった前代未聞の事件に関係しているのだろう。英里奈は胸中でそう推測する。


 どう考えても、厄介極まりなさそうな案件といえた。やはり安請け合いするべきではなかったかと一瞬、後悔する。


 戦場では自分のことで手一杯だ。未熟な子供の手を引いてやるなんて余裕はない。


『見るだけなら。さすがに、特定の新兵の贔屓ひいきはできませんよ』


『それでいいよ。助かるっ! さすがは英里奈ちゃんだね!』


『まったく、調子いいんだから……』


 英里奈はわずかに覚醒していた。夢が溶け、意識が現実に引き戻される。


 力を込めることができずに開かれた手のひらから、小さな機器がこぼれて、地面に落ちる。それは、先ほど、部下の腕をつかんだ際に剥ぎ取ったGPSデバイスだった。


(約束は、守ったわよ……)


 今日までちゃんと見てきた。少年が一人立ちできるようになるまで、管理下に置いてきた。


 対魔改造兵の格闘術については、素人の身では、軍隊式の基本的な近接格闘術以上のものは教えようがない。だから、彼が頼った合気道のレジェンドに、英里奈からもお願いをした。


 独りで抱え込むことのないように、自棄やけになって暴走しないように、あなた達はチームだと口が酸っぱくなるほど言ってきた。分かち合える仲間がいるのだと。


 もしかしたら、新しい仲間は逆効果だったのかもしれないけど。本当にかけがえのないものの喪失は、代替物では埋めることができない。


『それにさ、あんたもあいつのこと、きっと気に入ると思うよ』


 輪郭が崩れていく夢の中で、彼女はおどけつつ確信めいた口調でそんなことを言った。


『どうだか。先生の紹介なんて、ろくでもない男でしょうし』


 英里奈は鼻を鳴らして取り合わない。小便臭いガキなど、ましてや不出来な部下など趣味ではないのだ。


 将来性のある男でなければ守備範囲外である。まあ、あの子達から未来を奪っている我々が、それを棚に上げて言えることではないのだが。


 ……ああ、だけど、今ならわからなくもない。


(確かに……手のかかる部下だったけど……。最後には、なかなかどうして……様になってきたじゃない)


 さっき、彼の親友だと聞いている名前を出した途端、少年は男の顔になった。悪くない顔つきだった。


 あれこそが彼本来の姿なのだ。かつて交わした友との約束を果たすべく突き進む、意志の化身。


(でも……もう、二度と……交わることはないでしょうね……)


 少年はこれからも更に経験を重ねて成長し、もしかしたら守備範囲の下限にぎりで入るいい男になるのかもしれない。けれど、いずれにせよ、英里奈にはもう関わりのないことだった。


 今日、互いの道は完全に分かたれた。今度まみえるときは敵同士だ。


(……次に会ったときは、私を撃つのよ……。どれだけ強くなったか……私に示してね……)


 まぶたの裏に映る世界が暗くなっていた。もはや形を保てなくなった記憶の夢が、閉じようとしている。


『……ありがとう……』


 安堵するように彼女はそう言い、両手で包み込むようにして英里奈の手を握ってきた。その瞳が潤んでいるのがわかった。


 いつもの先生らしかぬ行動だった。彼女を大きく変える何かがあったんだなと、英里奈は理解した。


 だからというわけではないが、手を握り返して、宣言する。


『はい、任せてください』


 白かった光景が黒く塗りつぶされていく。Yシャツに軍服の友人はもうどこにもいない。


 まどろみとつかの間の覚醒が終わる。


 最後に薄っすらと一目だけでも、彼らの姿を焼きつけておきたい気持ちもなくはなかった。が、そんな力さえどこにも残っていない。


 そもそも、自分にそんな資格はないのだと英里奈は自嘲する。


(さようなら……。……後は、がんばって生きなさい……)


 英里奈はこれまで、あの子達に何もしてやれなかった。


 だから、今日この日ぐらいは、彼らの巣立ちを見逃してあげようと……などと考えたわけではない。残念ながら、自分はそんなできた人間じゃない。


 ただ、これまでと同様に、この最後のときにも、一貫して何もしないことにしたにすぎない。邪魔をしないと決めた。それだけなのだ。


 それが、“鉄の女”と呼ばれた瀬々英里奈のつまらない意地。


 彼らのような子供達を通して見た世の中に疑問を持ち始めていた英里奈なりの、国や軍に対するささやかな反抗なのだ……。


(……さようなら……)


 闇に落ちていく世界の中で、背を向けて駆けていく彼が鮮やかに色をまとって見えていた。


 その背中を押してやる必要など微塵みじんもない。そんなのは思い上がりもはなはだしかった。


 世界が少年につらくあたるのは、彼がそれを乗り越えられる力を持っているからだ。


 彼らなら、もしかしたら世界を変えられるかもしれない。


 朽方曜一郎の言っていたあの慣用句に、英里奈は今なら同意できる気がした。“男子、三日会わざれば刮目してみよ”。

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