第九試合 7.鳥かご
「雅紀」
そう声をかけたのは渚だった。それは場にそぐわず、平静な口ぶりで。
「……彼らの話は本当だと思う」
「な、渚……おまえまで……っ。どうして、そんなことが言い切れるんだよっ」
雅紀の追及に、渚はすぐに答えなかった。横切っていった風に瞑目している。
ややあって薄く目を開け、胸にあてがうように手を持っていく。その動作に、譲二はどきりとする。
「……なぜかって? そうだな……。俺も、心臓疾患を発症しているからかな」
「……え……っ?」
特大の事実に、皆が一様に動揺していた。レベッカまでもが、腕組みを解いている。
譲二は思い出していた。トーナメントの試合後、安堵するかのように胸に手を当てていた渚の姿を。思わず、呻き声が漏れる。
「俺にはもう、あまり時間が残されていない。邦彦や譲二の言うボンバイエ・モードの極悪な副作用というのは、この身が証明しているんだ」
打ち明ける渚に、雅紀はもはや反論することができなかった。まだ自覚症状がないだけで誰もが、功を焦る彼の中でも、自壊が進行しているかもしれないのだ。
「治療薬とかはあるのか?」
智也が邦彦に尋ねる。その声には焦燥が走っていた。
「まったくないわけではないのだけれど……。即効性があって完全に治せるような、都合のいいものは……」
まず芙美香が答え、その後を邦彦が引き継ぐ。
「いずれにせよ、今は持ち合わせがない。アジトまで移動しなければならないが、医師もいる。すぐ診てもらえるように手配しよう」
しかし、渚が静かにゆっくりと、首を横に振った。拒否の意思。
「……ありがとう、邦彦。でも、それには及ばないよ」
なぜだ、と譲二は喚きそうになる。
「渚、諦めるな。未来が拓かれたばかりじゃないか」
智也が望みはあると励ました。それでも、渚は「いいんだ、智也」と返す。
「……さっき邦彦が言っていた、GPSデバイス。それらは通常、ズボンのエッジ部分に付けられているんだけど……。俺のは、もう一つ、体内にも埋め込まれているんだ」
譲二は、体内という単語が何を意味するのか、咀嚼して理解するのに時間を要さなければならなかった。
……体の中にだって? そんな……まさか!
現実が突きつけるのは、冷酷で無慈悲な二重の檻。籠の中に捕らえられていた鳥は、羽根も切られていて、飛び立てない。
「軍は二段構えの対策を打ったのさ。確実に追跡できるようにと、末期の強化兵から順次、そのように手術されているんだよ」
目を伏せ、胸に当てていた手を握り締める渚。雅紀が打ちひしがれて、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
GPSデバイスの装着の理由を見抜き、壊しさえすれば問題ないと考えていたであろう邦彦が歯噛みする。おそらく、己の浅慮と、破壊されることを見越して非人道的な手段をとった軍の上層部に対する義憤で。
もし渚が言い出していなければ、この度の強化兵回収は最悪の結果になっていたかもしれないのだ。
「俺も一緒に行くと位置が筒抜けになって、みんなのことがばれてしまう。だから、行けない」
「なんということだ……」
邦彦の嘆きが皆の心を代弁していた。
まさか、この場でデバイスの摘出をするわけにもいくまい。切開と縫合の器具や消毒薬品、除菌剤の調達も、クリーン環境の構築もここでは困難だ。
彼を連れていくことはできない。ここに置いていくしかない……。
誰よりも、当の本人がそれを理解していた。達観めいた声音で、渚は言う。
「俺は飛べない。さあ行くんだ、雅紀。……鏡花、地を這うのは俺の役目だ。土にまみれて君達を見上げることにするよ」
「――渚ァァアッ!」
こんなのってないでしょ、と鏡花が声を荒げる。それは、彼らを分断しようとする世の理不尽さに対する憤激だった。
譲二は足と手が勝手に動くのを感じていた。渚につかみかかる。
「……なんで? なんでだよ……。ここまで来て……、どうしてそんなことを言うんだ……」
激情が体を突き動かし、相手の両肩を万力のように締め上げる。
こんな結末、認めない。認められるものか。否、断じて認めない。
神様、またこの展開か。芸がなさすぎるだろ。再び取り上げるなんて真似はやめてくれ、お願いだ。
「譲二……」
張り詰めていたものが溢れるかのように、渚の表情がわずかに歪む。だが、次の瞬間、それはいつもの柔和な顔を取り戻していた。
この期に及んでも、隊長不在時のF分隊をまとめるサブリーダーの、仮面を被ろうとしている。それが譲二にはわかった。わかって、しまった。
だって、その光景はデジャヴ――既視感に満ちていたから。
「……思えば、おまえが入隊してからのF分隊は変化の連続だったな。何かといえば、瀬々隊長の小言やおまえと鏡花の不和というように、いつも波風が絶えなかった」
ふっと笑む仕草はどこか、かつてのF班の長兄役をやっていたあいつに似ていて……。
「おまえの素行や勤務態度は、あらゆる意味で俺達と対極のところにあったと思う。でも……他者に、外界の事物に自分の運命を委ねないその生き方には、考えさせられるものもあったよ」
譲二は心が千切れ飛んでいきそうになるのを感じていた。彼とはどうあってもここで袂を分かたなければならない、という予感。
真に欲しい物を手に入れるためには、彼との全てを差し出さなければいけないのだ。あまりにも、酷すぎる現実。
「命令されるがままに出撃を繰り返すことに何の疑問を持たなかった俺達にとって……おまえの隊務違反や独断専行は新鮮に映ったんだ」
それは違う、仕方がないんだ、と譲二はかぶりを振る。疑問に感じなかったのは記憶障害の影響があったからにすぎないんだ、と。
命令されるまま、というのもそうじゃないだろう。兵士として、国を守るために必要なことなんだと信じて、戦ってきたんだ。
「心のどこかで憧れていたのかもしれない。おまえの、全て自分の意志で人生を歩いていこうとする強さに……」
穏やかな口調で、どこか遠くを見るような顔をする渚。
だから過分な評価も大概にしろよ、と譲二は唸った。それを言うならこっちだって、最果ての戦場でも希望を失わない渚の清冽さに、どれだけ助けられていたか。
いつも、挫けそうになったり折れそうになったりしたとき、彼の在り方に勇気づけられて、諦めずにやってこられた。
(そうとも、おまえこそが報われるべきなんだ。なのに……、最後は見捨てていくしかできないって……そんなのあんまりだろ)
「おまえと出会えてよかった……。最後の数ヶ月を少しはマシに、人間として生きられたような気がするんだ」
渚は薄目で、形の潰れていく夕陽を眩しげに見つめていた。その瞳から、涙が零れる。
嗚咽が聞こえてきた。それは自分の口から出ているのだと、譲二は気づいた。
もしも意味のある言葉を成したとしたら、己が宿業というものに対する悪態だったのかもしれない。自分に深く関わった友人は不幸になるのだという、呪われし業。
そんな救いようのない下劣なものに、彼を巻き込んでしまった。譲二は後悔と自責の念に溺れる。
これ以上は直視できず、顔が勝手に下を向いてしまう。アスファルトに、水滴の跡がいくつかできていた。
「なあ、譲二。俺の代わりに飛んでみせてくれ。そして、誇らせてほしい。俺達の世代は内外の敵から国を、未来を守り通したんだと」
両の上腕をつかんでいた手が段々と力を失い、譲二は膝をつく。




