第九試合 4.答え合わせ
凄まじい衝突音と共にコンクリートブロックの塀が破壊された。更に、敷地の地面が陥没して、家屋がわずかに傾く。
破片と砂埃が舞い上がり、譲二は思わず顔を手で覆った。規格外のパワーに慄く。
藤間隊長の安否は、と考える暇もなく、砂煙の中から英里奈が後ろ向きに吹っ飛んできた。大女の攻撃をくらったのだ。
譲二は手に持っていたヘルメットを捨て置いて、超速で飛んでくる上官を全身で受け止める。
衝撃を和らげるために小さく跳躍したのだが、それが仇になった。運動エネルギーを止めきれずに、譲二自身も持っていかれる。
ガードレールを越え、木々の枝をへし折りながら、譲二と英里奈は林の中に放り出された。背嚢がなければ背骨が折れてしまっていたかもしれない。
「ぐ……うっ……。げほっ……。た、隊長、大丈夫ですか……」
英里奈は腹を押さえて、苦しげに這いつくばっていた。顔が苦悶の表情に歪み、頬は地面に押しつけられて、土で汚れている。
譲二は慌てて這い寄り、戦闘服の中に手を差し入れてお腹にあてがう。分隊長の口から呻きが漏れた。
外傷と出血がないことを確認する。吐血も今のところは見られなかったが、だからといって内臓を損傷していないとは言い切れない。
「動けますか。楽な姿勢を教えてください」
英里奈が手と肘をつこうとしたので、譲二は上半身を起こすのを手伝う。足も捻挫しているようだ。
近くの木の幹に、尻もちをつくような姿勢でよりかからせる。それで痛みが幾分か和らいだみたいで、英里奈はふう、と息を吐いた。
譲二は振り向いて、さっきまで自分らが立っていた舗装道路を見やる。人獣の蹂躙は続いていて、今は智也が対応しているところだった。ついに強化兵同士の戦いだ。
小銃が見つからない。吹っ飛ばされた際にどこかへ放り投げてしまったかと、周囲を探す。
「松、浦くん……。加勢しに、行こうなどと……考えては、いないわよね……。無謀、よ……」
「しかし、だからといって、このまま手をこまねいているわけには」
「あれ、は……おそらく……レベル4、の強化兵よ……」
怖気づき、及び腰にならざるをえなかった。レベル3と推測しているヴァレリアやマリナ相手にもあれだけ辛酸をなめさせられたというのに、その一段階上のレベル4。
「……命令、する。あなたは、何も……、しなくていいわ。私のことも置いて、この場を離脱しなさい……」
分隊長にあるまじきその指示が信じられず、譲二はゆっくりと英里奈を見る。見上げてくる理知的な瞳とぶつかった。
「逃げなさい。……最後の命令よ」
彼女は逃げろと繰り返す。なぜそんなことを言うんだ、と譲二は思った。なぜ……。
「隊長、もうしゃべらないで。怪我はそんなに酷くないと思います。諦めちゃダメだ」
「そういう意味じゃ、ないわ」
英里奈はゆるゆると首を振った。腹部や足の痛みをこらえるように俯き、サイドの髪がさらりと流れ落ちる。
だったら何だというのか。譲二は、その先を聞くのを心のどこかで恐れている自分がいることに、気づいていた。
「あなたは、こんなところで死ねないんでしょ」
誰だってそうだろう。何を言っているんだという不服は、声にならなかった。
「だからずっと、無気力で不真面目な軍人を演じてきた」
譲二は目を見開く。一気に血の気が引くような感覚に襲われた。
これは、――答え合わせだ。穏やかな、ともすれば慈悲深さを内包した、断罪の双眸に見据えられる。
「そう、――――を助けるために」
彼女の薄い唇が柔らかく形を描いて、声を出さずに動く。決定的なその言葉を、描いていく。
「……おい……」
やっとのことで押し出したその声は、ひび割れていた。口の中が干上がっているのが自分でもわかった。
もはや譲二は、嘘と欺瞞で塗り固めた仮面を被り続けることができなかった。陰で進めてきた準備と、細心の注意を払ってきたこれまでの立ち回りが台無しになってしまうと理解していても。それらを強く上回る解の確認欲求に、抗えなかった。
「なんで、その名前を知っている」
瞬間、世界は真っ白になり、思い出が淡く弾けた。帽子を後ろ向きにかぶり、スケートボードをかついでニヒルに笑んだ親友の姿が浮かぶ。
「……やっと、本心を見せてくれたわね」
英里奈はわずかに、してやったりと軽く口角を上げる。目元に寂しげな色を残して。
「あなたをよく知っているある人から頼まれたのよ。……そのときに、彼のことも聞いたわ」
今度こそ、譲二は打ちのめされた。背伸びして、一足跳びに大人になろうとしていた男の子は、無力な少年に戻っていた。
「……全力の突きを打たないのは、拳を壊さないためね? 寝技のスパーですぐにタップするのは、靭帯や腱を傷めないのと失神癖をつけないため、かしら」
来たるべきそのときに万全の状態で臨めるように、日々の練習で、後を引きかねない故障のリスクを最小限に留めてきた。サボタージュ野郎と揶揄されようとも。
まだ約束の地に辿り着いてもいないのに、こんなところで足を引かれるわけにはいかない。だから、ヴァレリアやマリナとの試合でも拳を握り固めたパンチは極力、避けてきた。
「合気道にも、理由があるんでしょう?」
親友を助けに行く局面で必ず、チート兵との連戦があると譲二は覚悟している。それらの難局を乗り越える手段として、朽方流合気道に白羽の矢を立てたにすぎなかった。
五体満足で戦後を迎えられるように回避や防御に長けた合気道を、などというのは嘘八百もいいところだ。将来なんて、数年単位であろうと、露ほども考えてない。
落第生とはいえ、譲二もれっきとした特殊格闘兵なのだ。しかも、リングスの闇という深淵を覗いてしまった。ゆく先には、破滅しかないとわかっている。
朽方流合気道を指南してくれる先輩曹長も、譲二の表明した動機が建前であることを見抜いていた。それでもいいさと目を瞑って、惜しみなく教えてくれて……。
「だからこそ、披露演習のMMAトーナメントへの出場は、理解できなかったわ。まさか現実に圧し潰されて、諦めてしまったのかと」
あの、斜陽に染まる職員室でのやりとりが思い出された。『あなたは何がしたいのよ?』と、信念の所在を問われたことを譲二は覚えている。
部下の身の上を知っていた英里奈は、友を助けに行くという原点はそこにあるのか、確認をしていたのだ。そのことはもう、どうでもよくなってしまったのかと。
「でも、あんな過酷なトーナメントに出場を志願した理由が今日、わかったわ。……あなたは、この偵察場所変更が、狙いだったのね」
譲二が正道館グランプリに出場した真の目的は、その景品にあった。出場選手のリカバリー期間を考慮して穂尾諸島の監視任務を解き、後方のゴーストタウン方面の偵察任務と入れ替えるという参加賞が、はなから目当てだったのだ。
穂尾諸島と郊外の住宅地では、難易度が段違いになる。隊抜けと逃走の難度が……。
「……北部から補充されてきた歩兵達にも、彼を見なかったかと聞いて回っていたようね……」
ここにはいないというなら、別の戦場へ赴くのみ。しかし、末端の兵士は転属願いを出せる立場にない。かといって、上層部からの配置換えにも期待はできない。
譲二はリングスで深刻な機密情報に触れている。編入の際、所長や管理事務からの引き継ぎで、穂尾で消尽しろと言付けられたはず。
なればこそ、脱隊するしか道はないのだ。時間は決して止まってくれない。
「……不良軍人を装っていたのは……、脱走した後に、私やF分隊のメンバーが……、それほど大きな責任に、問われることのないようにするため……かしら……」
余計なお世話よ、と英里奈は結ぶ。
そこまで看破されてしまっては、譲二は肩を落とすしかない。仮面はとうに剥がれ落ちて、浅はかな少年が一人、突っ立っているだけだった。
無駄な抵抗だと知りつつも、ややあって口を開く。
「……違います。何のことだかわかりません」
「そうね……。証拠は、ないわ。私の想像に、すぎない……」
英里奈の目が段々と焦点を結べなくなってくる。瞼も下がり始めていた。朦朧としている。
「だけど……、身体は、嘘をつけないわよ……。服の上からでも、わかる。あなたが、毎日……、血の滲むような、鍛練を……続けてきたことが……」
彼女が手を伸ばした。譲二は腕をつかまれる。思いの外、強い力だった。
これは手向けだ、と思った。別れのはなむけ代わりの。
「さあ、行きなさい……。あなた自身で……、己の歩む道を、選ぶのよ……。自分の思いのままに……、……人生を決めるときだわ……」
目が完全に閉じられる。わずかに傾いだ美しい横顔に、梢の隙間から差し込んだオレンジ色の夕光が落ちていた。
息は、ある。意識を失っているだけだ。
袈裟斬りにされたような胸を抱えながら、譲二は振り返る。渚が大女の一撃で地に伏していた。
雅紀は相変わらず微動だにしない。智也も、更に半壊してしまったコンクリートブロックの破片に埋もれている。畑に投げ出されたらしい鏡花が膝をついて、立ち上がろうとしていた。
四ツ谷は塀の反対側の角でうずくまって、泣き出していた。近郷隊長を退避させているのか、ヴァレリアとマリナの姿がどこにも見えない。
譲二は放心しながら眺めていた。こんな……、こんな、崩壊していく各分隊を見捨てて行けというのか。
違う。あいつらはただの……、同僚隊員でしかないはずだ。一時の感情に囚われるな。
想定とはかけ離れた状況だが、転がり落ちてきた脱走の好機だ。譲二は己に動けと命じて、立ち上がる。
身の程はわきまえている。自分にはたった一人しか救えない。この手にまだ残っているもの以外は何も背負わず、独りでやっていくのだと決めたじゃないか。
(いや、違う! 渚、鏡花、雅紀、瀬々隊長も。皆、もう既に俺の中の一部なんだ……!)
譲二は自身の顔面を一発、ぶん殴っていた。近頃、随分と引っぱたかれたものだが、こんなにも愚かというならむべなるかな、である。
(俺はずっと間違っていた……。目の前の戦いに全力を尽くせないようなやつが、仲間を犠牲にするようなやつが、どうやってあいつに辿り着けるっていうんだ!)
少なくとも英里奈隊長は、一方ではそう考えていたはずだ。だから、あんなに辛辣だった。
当たり前だ。戦友を守ろうとしない男に何ができる? 国民のために戦おうとしない軍人に何の価値があるという?
己の責務を全うしてから行け、という話である。自分はまだガキだった、と譲二は自嘲する。
背嚢を下ろした。上着を脱いで引き裂き、拳にぐるぐる巻き付ける。怪我防止とまではいかないが、気休めにはなる。
彼女の言っていたとおり、あの規格外のバケモノを相手にするのは、無謀というものだろう。けれども、男には、例え負けるとわかっていても戦わなければならないときがある。
(今がそのときなんだ!)
譲二は走り出した。運命を二分する道路のガードレールを乗り越える。
その瞬間、譲二は奇妙な確信がよぎるのがわかった。自分は、別の未来へと分岐する道に乗り換えたのだと。
人獣が気づく。なぜか、驚いたような顔をしていた。理由は定かではないが、虚をついたのなら何だっていいと思う。
「だああぁぁぁッ!」
駆けた勢いのまま、譲二は跳び膝蹴りを敢行した。遠くから跳躍してくるヴァレリアとは違って、近距離から飛び上がるような形だがともかく、過日の宿敵の必殺技を借りる。
しかし、体格差によるリーチの違いは歴然としていた。伸ばされた手に胸を押されて、跳び膝は阻まれ、それどころか吹っ飛ばされる。
宙に投げ出されて、上下の感覚がなくなった。橙色に染まっていく空と、山の稜線が回転する。
(何だよ、この力は……。理不尽にも、ほどがあるだろ……!)
とっさに後頭部をかばった。譲二はアスファルトの上を滑り、電柱にぶつかって、止まることに成功する。
直に受けた圧倒的なパワーに、心が折れかける。立ち上がるべきなのだが、全身を打った痛みが気力を萎えさせ、動きが緩慢になってしまう。
顔を上げた。意外なことに、巨人の女は距離を詰めてこない。西日を浴びながら、同じ位置で佇立していた。
譲二は訝る。女から戦意が消失していた。
アマゾネスの如き長髪が風に舞う。夕光で、燃えるような髪の毛が輝いている。そこで初めて譲二は、不謹慎にも、凛々しく美しいと思ってしまった。




