第八試合 5.インターバル
譲二は自分のコーナーに戻り、雅紀が用意したパイプ製の丸椅子に座った。次のラウンドが開始するまで一分間のインターバルが与えられている。
「凄え、凄えよ、譲二。よく生きて帰ってこられたなっ。途中、何度もヤバいと思ったぜっ」
興奮した雅紀が場外からまくしたてる。インターバル中にリング内へ入れるセコンドはチーフセコンドの一名のみで、それは渚が担っていた。ゆえに、雅紀はロープ越しにしかセコンド行為ができない。
「雅紀、ちょっと静かに」
渚が雅紀を制して、譲二の頭にタオルをかけてくれる。尚且つ、対角線上の敵陣営から見えないようにと、立ち位置を調整した。
譲二にはその行動がありがたかった。顔を隠すように俯いて、マウスピースを取り、大きく息を吐き出す。体中の、特に肋骨の引きつれるような痛みに形相が歪むのを止められない。
タオルで口元を拭くと、その部分の生地が真っ赤な血痕で染まった。それを見て、気力が萎えそうになる。
雅紀が息を呑むのが気配で伝わってきた。
たかだか五分程度の戦闘でボロクズも同然だった。反則を連発して平然としていたのも、ただ虚勢を張っていただけだ。
「生身の体で強化兵と戦って無事で済むわけがない、というのは覚悟の上。そうだよね? 譲二」
作ったような冷ややかさで渚が言い放つ。ああそのとおりだよ、しかし……と譲二は酸素を求める肺の収縮に喘いだ。
これは予想をはるかに超えていてきつい。まさに、喉元過ぎれば熱さを忘れる、だ。チート兵はこんなにも強かったのか。すっかり失念していた自分が恨めしい、と譲二は思った。
後悔の念が押し寄せてくる。もう限界はとうに越えている。降参した方がいいかもしれない。
「……今は苦しそうにしても、しょげていてもかまわないよ。けど、第二ラウンドが始まったら、あのふてぶてしい面相をまた貼り付けていくんだ。いいね?」
裂傷を負っているという頬に、ガーゼを押し当てて圧迫止血を試みる渚。雅紀が頭頂部に乗せてくれた袋詰めロックアイスの冷たさに、譲二は呻いた。
「ヴァレリアは一流の捕食者だよ。こちらが心の折れた顔を見せたが最後、鮫の咢に捕捉された哀れな獲物のように、一気に喰いちぎられる。だから……」
再び闘争の海へと飛び込む前に、己を奮い立たせるべく自己暗示をかけて、相手を恐れさせ戦意を砕くような戦闘民族の相貌を取り戻すんだ。
ふざけろ、と譲二は胸中で悪態をついた。無茶を言う。無理を言うな。イノキ・ゲノム・ウィルスという魔の力を享受せし者とそうでない徒人の間に横たわる河の激流や広大さを知らないくせに。
だが、一方で、渚の助言にわかっているとも思う。もはや自分に残されたブラフという名の防楯はそれしかない。
「譲二、譲二っ。それに、あくまでも最終目標は勝つことなんだよな? このまま試合終了まで逃げおおせたとしても、アグレッシブネスや減点のビハインドを更に開けられて判定で負けてしまうぜっ」
雅紀が水の入ったペットボトルを差し出す。受け取って一口飲むと、鉄の味がした。譲二はバケツに、唾と共に血を吐き出す。
言われるまでもなかった。こっちからも仕掛けるしかない。守勢に回ってずっと受けていては活路を見出すことも困難だ。
どんな闘争にも共通する単純な原理原則。リスクを冒した者だけが、勝者の権利を手繰り寄せることができる。恐怖を乗り越えて、その先へと手を伸ばせ。
「勝負事の格言だよ。一歩前に踏み出した者だけが、勝利の女神からの宣託を授かることができるんだ!」
渚が胸の高さに掲げた右拳を握り締める。
譲二は口の端から笑みがこぼれ落ちそうになるのを感じた。渚よ、熱いことを言うじゃないか。おまえ、そういう性格なんだっけ?
(いや、違う。俺がこいつらのことを何も知ろうとしてこなかったんだな。今まで理解しようとせずに遠ざけてきたんだ……)
次ラウンドからは逆襲ということだ。シンプルでいいじゃないか、と譲二は思った。
おそらくこれまで以上に、戦慄の膝小娘の咢と牙に晒されることになる。一撃でもまともにもらったら骨が砕け散り、筋肉が千切れ、内臓がひしゃげるだろう。
だが、それしきのことで折れるような気骨しかないのならばこんな、過酷なトーナメントに志願などしてない。自分の選んだ道は誰にも曲げさせないと誓ったのだから。
セコンドアウトがコールされる。時間だった。
譲二は渚にタオルを返して、立ち上がる。雅紀が丸椅子を回収した。
途端に耳を聾する野次や罵声。「やる気ないんだったら帰れ!」「男らしく打ち合えや!」「日鶴人の恥さらし!」「タマついてんのか!」「ぶっ殺されちまえェ!」
前ラウンドでのロープエスケープとグリップロープの連発のせいで、観戦していた外国籍兵の大半を完全にアンチへと変えてしまったようだ。否定と敵意の塊がのしかかる。
「聞くな。気にするな。――おまえは真っ直ぐに自分の道を行け!」
臆病者と、卑怯者とののしられようとも、愚直に己の歩いてきた道を信じろ。本懐を果たせと。背中を押してくれる戦友の勇気づけるような手に、譲二はまた感情が揺さぶられそうになって……
骨が反り返るほどの反骨精神が体中にみなぎってくるのを感じた。気合と根性が再注入されて、肋骨や眼窩底部から痛みが引いていく。
リングの中央へと歩を進める。少年はもう、戦闘屋の顔をしていた。




