第一試合 1.穂尾
春の日差しを浴びて、松浦譲二は寝転がっていた。
頭上にはどこまでも続く青空。雲はまばらで密度も薄く、太陽が我が物顔で白い光線を放っている。頭の後ろに回した腕には地面のざらついた土と砂の感触があった。
時折吹き抜けていく風は乾いていたが、肌寒いというほどではない。
総じて陽気な天気であり、おそらく大多数の兵士が起床の際に、大陸の古い詩の“春眠暁を覚えず”という一節に思いを馳せるような季節が到来していた。
しかし、下ろしている瞼と同様に、譲二は口を一文字に引き結んでいた。あたかも、格闘技の試合でホームタウンディシジョンにより判定負けを喫した外国人選手がおもしろくなさそうにリングを後にするときの表情のように。
こんな日は任務やトレーニングをさぼりたくなるものだが、さりとて代わりに何をするのかと尋ねられても譲二には思いつかない。
以前なら、格闘兵科の実技訓練のようなノリで、有志による相撲の大会とでも答えていたのかもしれない。しかし、現在の彼は、冗談めかして提案できる気分ではなかったし、面白半分で話に乗ってくれたりするような相手もいなかった。
仮に相撲大会を開催するなら、分隊毎に五人制のチームを作りながらの団体戦というのが各方面にも妥当な落とし所となるのだが、まず一つの問題がある。
譲二が所属しているF分隊には、彼を含め特殊格闘兵が四人しかいない。補欠など望みようもない少人数なのだ。
星取り形式だと一敗した状態で始めなければならず、これ以上の黒星が許されるのはもう後一回しかないというプレッシャーが重くのしかかってくる。
勝ち抜き方式にしても、敵チームが人数の利を生かして長期戦を狙ってくることが考えられ、その場合はスタミナの面で不利だ。ギャラリー的にも膠着の多発はしらけてしまう。
現実の中学校や高等学校の運動部で、部員が五人に満たないにもかかわらず団体戦にもエントリーするところは結構あるらしいものの、実際のところ一人少ないというのは大きなハンデだ。
数合わせで担当士官に五人目として入ってもらう案もなくはないのだが、F分隊の隊長を担っている彼女は一般兵であって格闘兵ではない。大将に座してもらって彼女に出番が回ってしまう前に勝負を決めるか、もしくはゲストでのエキストラマッチ出場に留めるべきだろう。
無意識にそこまで思いを巡らせていた譲二はふとバカバカしくなって、物思いにふけるのをやめた。
相撲の団体戦をとおかしな方向へ思考が逸れていったのも、担当士官のエキストラマッチなどと思いついたのも、全部この陽気のせいだ、と譲二は理由になってないような理由で無理やり自分を納得させる。
今度こそ惰眠を貪ろうと、両脚を四の字に組み直したそのとき。
遠くから重く唸るような機械音が聞こえてきた。譲二は眉根を寄せる。
その騒音は段々と近づいてきて、ひときわ強い風がベリーショート気味の前髪をなぶっていく。明らかに自然のものではない、人工的に撹拌されたとわかる風の出現に、譲二は薄っすらと片目を開けた。
太陽を視界の中心に捉えないようにして、不快な騒音の出どころを探す。青空に鳥かと見まがう黒い影が落ちていた。
軍の輸送ヘリコプターだった。寝転がって見上げている体では角度の関係で判別しにくいが、尾翼部分に日の出と鶴がデザインされたマークがプリントされている。
響くような機械音の正体はプロペラのブレードを回しているローター音だった。譲二は得心すると共に、神など信じていないが、この絶妙な采配に対して悪態をつきそうになる。
それでも、譲二は半ば意地で、春眠を妨害させてなるものかと外界の一切合財を追い出して、目を閉じた。
はたから見れば彼はまぎれもなくサボタージュ犯であり、輸送ヘリコプターに搭乗している軍の関係者に見つかったらただでは済まない可能性が高い。
もしも連絡を受けた担当士官が鬼上司だったならば、グラウンドの真ん中に立たせられてこれでもかというぐらい叱責された後に、腕立て伏せと腹筋とスクワットを各百回命じられるかもしれない。
だが、譲二は木陰に隠れもせず、むしろ口元に挑発的な色さえ浮かべて、堂々と寝転がっていた。
頭上をヘリコプターが通りすぎる。風に巻き上げられた草が譲二の顎や頬に貼り付き、すぐにどこかへ飛ばされていく。
もう一度譲二は薄く目を開ける。機影が空を滑るようにして遠ざかっていくのがわかった。
次いで上半身をわずかに起こし、先のヘリコプターがやってきた方向を見やる。高台から見渡せる景色は陽光にけぶり、疎開勧告されてほとんどが空き家という郊外の住宅地をいくつか挟んで、その向こうに地方都市の風景がおぼろげに見えていた。
逆方向に首を回せば、こちらもだいぶ距離はあるものの、大小様々な岬と沿岸が目に入る。
その先に広がっているのは鈍い色をした海だ。沖合には複数の離島が点在し、最も手前の群島は高台からということもあって肉眼で容易に目視できる。
離島は孔雀の長い尾を形成するかのように連なっていて、自他ともに譲二達の国と国家〈日鶴〉の領土として認識され、穂尾諸島と名づけられている。
南西に伸びる諸島は現在全て無人島であり、その内いくつかは、合衆国の民間軍事会社であるズッファの軍隊によって占領されていた。
不法占拠中のズッファ軍は橋頭保を築き、物資も運び込んで挑発的に本土への進軍をちらつかせている。定期的に上陸を実行してくる軍隊には生体兵器なるものが数十人ほど混在し、UFC軍と呼ばれているそうだ。
日鶴軍と駐留合衆国軍の混成団であるプライド軍の一つで、穂尾地域の防衛を命じられている譲二達は、その無礼な侵略者に対して武力を行使する役割を与えられている。
なお、ズッファ及びそのアスレチックコミッションである合衆国の国防省と事を構える宣言がなされたとき、国内からは「物量で勝る相手に無謀では」という批判も少なからずあったらしい。
だが、だいぶアゴのとがった野心的な印象の首相が「やる前に負けること考えるバカがいるかよ」と、世論をぶつけてきた記者を引っぱたいて出ていかせたニュース映像は、瞬く間に国民に受け入れられた。
譲二は引かれる想いも特になく海から視線を切り、再び腕に頭を預ける。
闘魂あふれる首相とは対極的に、寝転がっている少年は占領軍との睨み合いにあまり感情を刺激されなかった。どうにも空虚な感じさえしてくる。
軍人としての矜持や軍への忠誠心といったものは、戦場というリングの上で立ち回ったり転がったりしている内に摩耗してしまった。彼の中に残っているのは、ただ今日を生き延びるという意思だけだ。
腕時計を見るまでもなくF分隊の集合時間には遅刻だとわかっていたが、言い訳を考えながら譲二は再び目を閉じる。
未練たらしく風が通り過ぎていき、譲二の前髪に貼り付いていた草の葉を飛ばしていった。




