第七試合 1.F班
森本叶恵先生の許可を得てやっと寮へ帰ってこれた松浦譲二を待っていたのは、東条幸進の口から出てきたいくつかの衝撃的な事実だった。
まず、宮前健吾が別班へ移ったこと。沖山敦も一時帰省していること。そして――
「何だって! 園田教官が!?」
驚きのあまり、譲二は腰かけていたベッドから立ち上がった。ふてくされた感じで椅子に片膝を立てて座っている幸進を見下ろす形になる。
譲二が幸進と話し込んでいるのは彼と敦の部屋だ。机や二段ベッドが面積の大半を占有していて、複数人が膝を突き合わせるにはやや狭い配置となっている。
さっきまで譲二が腰を下ろしていたのは幸進が使用している下段ベッドになる。上段は敦のだ。
「ああ。俺達の担当教官を外れたという連絡が来た」
「どうして!」
「知るかよ。事務の絹内さんに聞いても黙って首を振っただけだ。……別班の担当になったというわけでもねえらしい」
何があったんだ、と譲二は見当をつけようとする。まさかF班の管理責任を問われて? 模擬戦中の悶着とこの負傷で? もしくは食堂での乱闘?
考えてみれば確かに、これからK1軍及びプライド軍に合流する新兵に怪我をさせたというのはかなり問題な気がしてきた。しかもかなり高角度のジャーマン・スープレックスを決めてしまったし。
(キャンバスマットではなく地面に後頭部を強打させてしまったけど、あのピアス跡女生きてるよな? 後遺症とかも残っていませんように……いやいや、俺の方が殺されかけてたんだっつうの!)
それら以前の規律違反も含めると心当たりがありすぎて、どれに起因しているのか皆目わからなかった。全部が原因なんじゃないかとさえ思えてくる。
契約トラブルというのはないよなと譲二は考えて、とりあえず自分らは園田美紗教官のもとへ謝罪しに行くべきだ、と結論づける。
「……健吾の班抜けとも関係があるのか? 健吾の方はどういった理由なのか知っているか?」
前半の言葉は自問で、後半は幸進への確認だった。美紗教官の件に劣らず、健吾の離班も驚きに値するものだ。
班員の入れ替え自体はまったくないわけではない。各班人数の均整や一人一人の適性変化などの事情により、再配分がなされるということはある。
しかし、これは模擬戦の直後ということで急転の感が否めなかった。ゆえに、譲二はある種の疑いを抱いてしまう。
「さあな。でも、健吾のは模擬戦の出来が良かったからステップアップみたいなものだと聞いている」
それを聞いて譲二はとりあえず安堵する。健吾にも何かがあったわけではないのだ。
「そ、そうか。ちょっと淋しくなるけど、めでたいことだから喜ばなきゃな」
「それがなあ……健吾のヤツ、さっさと部屋の私物をまとめて『じゃあな!』と満面の笑顔で嬉しそうに言ってくるものだから、こっちも寂寥だとかの感情があまり湧いてこなかったんだぜ。ちぇっ」
「その気になればいつでも会えるんだからいいじゃないか。俺らF班の友情は不滅だぜ」
譲二のおどけた口調に幸進は少しだけ笑って、「まあ、そうだな」と頷いた。しかし、すぐに険のある顔に戻る。どうやらまだ何かあるらしかった。
「ただ……模擬戦が終わってから、早期編入が決まったやつが続出してな。どの班も人員が足りなくなって再編成を迫られている。健吾の転班にはそれも関係しているみたいだ」
譲二はそういえばと、退院を報告しようと足を向けた職員室で皆慌ただしそうにしてて、いつもとは違う様相だったのを思い出す。美紗教官が不在だったので、事務官の絹内蘭子が伝えておくということになって、譲二はすぐに辞去したため、そのときはあまり気にしなかったのだが。
思えば、あれは、選ばれた四期生のデータ送付や受け入れ先への連絡、本土までの輸送手段の手配等に追われているところだったのかもしれない。
「明日からは座学や実技に少しずつ復帰するんだろ? 見たらわかるぜ、教室や食堂とか空席が増えてっから亅
「そいつらは、新兵訓練はもう修了扱いになって、出立の準備をしたり最終の検査を受けたりしているってことか?」
養護教諭的な職務に就いている叶恵先生もこの数日間は医務室へ回診しに来なかったことに、譲二は今更ながら気づく。出兵が決まった訓練兵の診察に忙殺されていたのだろう。
「みてえだな。実際に見かけて話を聞いたってわけじゃねえけど亅
譲二は何となく焦りを感じてしまう。競うものではないとわかってはいるのだが。
「大輝はまだ具合よくならないのか?」
と幸進が尋ねてきた。譲二は渋面を作ってしまう。
「らしい……。俺が医務室で、大輝は研究棟と別々の場所になっちまったから、どんな状態なのかもわからないんだ。会いに行きたいって頼んでも、まだ安静にする必要があるからと。森本先生は大丈夫だから心配しないで、って言ってくれたけど」
「そうか。……大丈夫だって」
幸進は元気を出せよ、というように譲二の胸を軽く小突く。
「あいつのことだから、飄々とした顔ですぐに帰ってくるさ。できるやつだし、F班のサブリーダーは大輝でなくちゃな」
「……だな」
幸進と大輝の性質は正反対のところにあるといってよい。前者がいつも一生懸命なのに対し、後者はいつでも自然体だ。
早く正規兵になりたがっている幸進は、戦績や評価を気にする向きがある。ゆえに、大輝のそういった気負いがない様にもどかしく思うことも少なくなかったはずだ。
それでも、彼はこのように大輝を認めている。なぜなら、市原大輝が常に他者を気にかけている人間だということを知っているから。
例えば、幸進と敦は今でこそ周りが微笑ましくなるような関係にあるのだが、最初からうまくいっていたわけではない。
羽稲島にやってきたばかりの敦は、相部屋になった幸進のつっけんどんな外面に何度も目を潤ませていた。幸進もまた、格闘兵になるわけでなく、夏が終われば帰っていく敦に対しての態度を持て余していた。
そんな二人をフォローしてくれたのが大輝だった。『幸進はツンデレなだけで本当は優しいから、安心していいよ』『んなっ……! な、何言いやがる、大輝!』
譲二は天井を見上げながら、ぼやく。
「ということは、しばらくは俺らだけか。班単位の練習などはできなさそうだな亅
「二人だけじゃな」
と、幸進は敦の机を見やった。窓からの日差しが、主不在の机と椅子を淡く照らしている。
机の上は整頓されていて、いつもは立てかけられている家族の写真も今は見当たらない。引き出しの中にしまわれているのだろうと譲二は思った。
教官が部屋の見回りに来ることもあるため、私物は可能な限り収納しておくに越したことはない。のだが、もう基地がホームになっている譲二達と違い、敦は帰省したりできるのでそもそも物が少ない。
「それで……敦はどうして?」
「ん……敦は、そういうわけで俺達F班が再び機能するまでまだかかりそうだし、座学も実技も半分は自主練みたいな感じになっているから、それなら今の内に休暇を取って親に顔を見せたらどうかってことになったんだそうだ」
幸進が椅子から立って、敦の机をそっと撫でるように触った。その横顔には友愛だけでない複雑そうな感情が揺れている。譲二にとっては見知った表情だった。
彼だけじゃない。譲二も大輝も、美紗までもが敦のことに話が及ぶと、幸進が先ほど見せたような、上手く消化できない表情になってしまうことがある。
敦はリングスになじめていない。格闘技の訓練も彼にとってはつらく、苦しいだけのものになっている。志願して来所したわけではないのだから、それが普通だ。なのだが。
心ここにあらずのときの佇まいは稀に、見ている側が不安になるほどの希薄さと危うさがあった。敦はいつも何かを想っている。
以前よりは改善されているが、いじめもまだ続いていた。それが彼に影を落としている理由だと譲二は思っていたのだが、実は違うのではないかとも感じてきている。
「……俺としては、敦はこれで終いにしてもう来ねえ方がいいと思うんだよな……」
「幸進……」
「やっぱさ、あいつにこんなことは……兵士の真似事は似合わねえんだよ。課外活動だか社会奉仕だか何だか知らねえけど」
そう、敦は訓練兵ではない。足りない出席日数の埋め合わせと、もうちょっと心身を鍛えてほしいという両親の意向で、譲二達に混じって新兵訓練を受けているだけなのだ。
よって、前線に配属されることは絶対にないし、このリングス基地においても全過程の履修義務はない。
本人もしくは親さえその気ならいつでも抜けられるのだ。世間一般の夏休みももうすぐ終わろうとしている。
F班は五人揃ってこそで、大輝も、敦も、幸進も健吾も皆、誰一人欠けてはいけない必要な存在だと譲二は思っている。……残念ながら健吾が抜けてしまったが。
でも、その誰よりも沖山敦こそがいなくてはならない要なのだと、本人以外の四人が理解している。美紗教官までもがそう評価しているふしがある。
一般人の彼がいるからこそ、この戦争は日鶴VS世界や互いの団体の威信を懸けた対抗試合などではなく、自国を守るための闘いなのだということを譲二達は失念せずに済んでいるのだ。
自分達のファイトが築く平和への道を歩いていく人達の顔を思い浮かべられるかどうかというのは、友情と並んで、リングに上がることの恐怖に抗える術になりうる。
……でも。
「……俺も同感だよ。敦は元々、俺らとは違う世界で暮らしてきたんだ。もう来ないのならそれがいい。お互いに、F班も、在るべき姿に戻らないとな」
兵士は戦場で、敦は危険の及ばないところで、それぞれの人生を歩んでいくべきだ。譲二や大輝らが想像する“平和になった世界で暮らしていく人達”の中には勿論、敦も含まれている。
敦には自分らの分まで生きていってほしい、と譲二は願っている。友のために戦ったことで己の命に少しでも価値があったのだと思いたいのだ。
「……あいつと一緒にいると調子が狂っちまう。そんなんじゃいけねえんだよ。俺は早く一人前の格闘兵になって、国のために戦わなきゃ……」
幸進はそう呟いた。敦がF班に加入してからの日々、相部屋で共に過ごした時間は、戦争が遠くなってしまうほどに得がたい優しいものだったと。
だからこそ、決別しなくては。人問は弱い。安息の甘さを知ってしまうと、闘争の場へ足を踏み出すのが難しくなってしまう。
「俺達の本土投入も近そうだ。譲二、いよいよだな……。もうすぐ本番だ」
「ああ」と譲二は首肯する。
俺はこのときをずっと待ち続けていた、と幸進は言う。続けて、
「俺さ、実は父が剣道の有段者で、その上、陸軍の元士官だったんだ。父さんだけじゃなくて、祖父も警察学校の師範代をやってて、ちょっとした剣道一家だった」
「そうだったのか、知らなかった。じゃあ、おまえサラブレッドみたいなものじゃないか。なんだってこんな島に?」
「この島に来てからこれまで一度も口にしたことはねえから、知らなくて当然さ。……とにかく、俺はそんな父さんや祖父さんが誇りだった。自分も同じように、剣術を習って剣道家の正道を歩むものと思っていた。……でも、そうはならなかった」
そこで幸進はいったん言葉を止め、敦の机に両手をついて苦しげに顔を伏せた。呻くようにして、続きを絞り出す。
「俺の父は……父さんは……戦場で指揮していた部隊をUFC軍に壊滅させられて敵に捕まり、尋問に耐えられず情報を渡しちまったんだ。そのせいでいくつかの作戦が失敗して何百人ものの犠牲者が出たそうなんだ」
重い事実。譲二は思わず、机に手をついたままの幸進の背中を見つめていた。
「一時的な停戦のときの捕虜交換で父さんは戻ってこれたんだけどな、もう軍に居場所はないにも等しかった。事情を知る人達からの視線や態度に侮蔑が混じっていていたたまれず、父さんは後方勤務を断って除隊を申請したんだ」
一度ついた大きな傷は消えず、噂はすぐに広がる。俺達家族も町内の人から後ろ指差されたりして逃げるように引っ越したよ、と幸進は話す。
「父さんは離婚を言い出し、親族間で何度も話し合ったんだけど、頑として翻意をしなかった。結局、母さんは弟を連れて出ていって。俺は、ずっと尊敬していたから見捨てられなくて、父さんについていったんだ」
譲二は何も言えなかった。幸進の過去を聞くのはこれが初めてだった。軍人を標榜していた彼が、戦争によってそれまでの暮らしが崩壊した類の人間だったとは。
「でも……ある日、外から帰ったら、父さんは短刀を腹に突き剌して自殺してた」
家名を汚して、祖父の面にも泥を塗ってしまったことを恥じ、それらの詫びに代えての自害。
おそらく現場は惨状を極めていたはずだ、と譲二は想像しかけてしまう。それを目の当たりにしてしまった彼のショックや心的外傷は如何ほどのものなのか。
「……俺がリングスに入ったのは、そうするしか国に仕える手立てがなかったからなんだよ。風評のせいで入れてくれる士官学校なんかなかったし、お祖父さんにも反対されていたしで」
リングスの特殊格闘兵制度は、年齢以外は出身や学歴などの制限がなく、また入学金や受講料も不要とされている。道着やボクサーパンツ、座学テキスト等の備品代だってかからない。
求められるのは健康と基準以上の身体能力、そして面接の合格だけだ。
「俺は戦場で功績を上げて、父さんの名誉を挽回する。祖父さんや父さんの流派はやはり偉大だった、と再び知らしめるんだ」
そうか、そうだったのかと譲二は納得した。幸進があんなに、早く正規兵になることにこだわったのは。
父の汚名を返上するため。道場の再興。捲土重来を期してのものだったのだ。
物心がつく頃から、譲二は孤児院で暮らしていた。親というものを写真と手紙でしか知らず、彼の思いを完全に理解することはかなわない。……のだけれど。
譲二にとって孤児院の仲間や職員は家族も同然だった。大輝のことも兄弟のように思っている。だから。
幸進の肩に手を置いた。幸進が涙を少し浮かべた目で振り向く。譲二は頷いて、つかんでいる手に力を込めた。
「幸進……絶対に勝とうな。俺らリングスの特殊格闘兵で、この戦争を終わらせようぜ。俺らの手で、日鶴を救うんだ」
そして、あの世やどこかで見ている両親に自慢をさせてやろう。お父さんとお母さんの子は国や人の役に立ち、大きなことを成し遂げたのだと。
孤児院の面々を思い出していたからなのか、不意に大輝の顔が浮かんだ。
(大輝……早く、帰ってこいよ……おまえがいないと、調子が出ないぜ……)
なぜか一瞬、得体の知れない不安がよぎる。が、譲二はすぐに打ち消した。大丈夫だ。俺らは絶対に負けない。負けない負けない負けない……。




