第六試合 10.医務室
模擬戦が終わった後の昼下がり。
譲二は謎の少女兵による襲撃で負ったダメージが芳しくなく、医務室のベッド暮らしを余儀なくされていた。
リングス基地に常駐する軍医の所見は以下のとおりだった。脳震盪、鼻の裂傷、上顎第一小臼歯欠損、顎骨ヒビ、右上腕骨にヒビ、右肋骨第六・七部位骨折、左足首捻挫、筋挫傷と内出血が数箇所。
最初は、疲労や炎症によるだるさが痛覚を和らげてくれていた。が、今では体中のありとあらゆるところが激痛に苛まされて、譲二は寝返りのために少し動くのすらも難儀という有り様だった。
医師曰く、こんなになるまでやられながらも、脳や内臓が結果的に無事だったのは不幸中の幸いとのこと。丈夫に産んでくれた両親に感謝するんだな、とさえ言われる。
「うっわ、ギプスをしてるってことは骨いっちゃったの? 痛そう」
見舞いに来たという片桐理央が、譲二の体の至るところに巻かれた包帯やガーゼ帯を観察し、眉を八の字にした。彼女について一緒に来てくれたであろう積木若菜も、口元に手を当てている。
「そりゃ痛いさ。だから触るな。おい、サインペンを取り出して何をするつもりだ!」
「え、青春ものの定番の、ギプスに『早く治してこいよ、待ってるぜ』的な応援メッセージを書いておこうかなと」
「いい! 断る!」
「まあまあ、遠慮なさらずに」
「くすぐったい! せめてこっちからも見えるところに書いてくれ! 気になって仕方がなくなるだろうが!」
「よしっと」
書き終えた理央の小悪魔的な笑みに、譲二はかのツインテール女とまみえたときとは違う種類の冷や汗が背中を流れ落ちるのを感じていた。これは放置したらやばい気がする。
「積木、頼む教えてくれ! あいつはどんなことを書いたんだ!?」
若菜は、しーっと唇に指を当てる理央をちらりと見やって、「あはは……」と困ったような微笑を漏らすだけだった。
「でもさ、模擬戦の最中にうっかり丘から転げ落ちたってドジだね~」
んなっ、と言いかけて譲二は口をつぐんだ。そういうことになってるのか。
「……移動中に被弾して、足を踏み外したんだっけかな。あんまり覚えてないんだけど……、誰から?」
「森本先生に。断りなく聞いちゃってごめんね」
と若菜が遠慮がちに答えてくれた。譲二はいいんだ、と動かせる方の腕で手を振る。
「『彼は勝利後にコーナーポストの最上段に登ろうとして落ちそうになるタイプねぇ』とも言ってたよ」
理央がそう付け加えてくる。勝利パフォーマンスを勝手に決めないでください、先生と譲二は心の中で毒づいた。
「先生と結構、親しい感じなんだな」
「うん。最近、よく保健室へ行くんだけど、悩み事とか何でも話しやすくて」
「女子は大体みんな森本先生のお世話になってるよね。生理が不順になってないかの確認も……」
「理央っ!」と若菜が顔を赤くして、理央の口を塞いだ。
譲二は別のことを考えるように努めた。そういえば大輝はどうなったのだろう、と思い至る。
研究棟の方なのか、こっちの医務室には見当たらない。理央と若菜も、何も知らない様子だ。
模擬戦中の大輝の状態を思い出し、譲二はわずかに身震いする。パニックと、右眼の充血。どういう症状なのかわからないため、よくない想像ばかりをしてはぞっとしてしまう。
それと、あのピアス跡女|(ツインテール女だと、ツンデレキャラなイメージがつくからやめだ)が見せてきた圧倒的な格闘能力も。達人の合気道のような体重移動や衝撃伝導などの類ではない。そんな高度な技術をあいつが持っているようには見えなかった。
純粋なパワーとスピード。あれが本当に魔改造兵なのだとしたら……、あと数ヶ月の訓練程度で勝負になりうるものなのだろうか。
譲二は弱気を振り払おうとして、場の空気に気づく。少しの間ではあるものの思い詰めていたのが伝播したのか、理央と若菜も一様に黙っていた。
誤解させてもいけないと思い、口を開こうとする。しかし。
「譲二くん」
若菜が先に言葉を紡いでいた。
それは意外なことだった。彼女はどちらかというと控えめな性格で、名指しで尋ねられでもしなければ自分から発言することはそう多くない。理央も驚いていた。
しかも、譲二は若菜とあまり個人的に話したことがない。いつもとは違う芯の通った声音に、知らず緊張した。
若菜は目を閉じて、胸に手をあてがった。胸元には十字架をかたどった質素な銀製のペンダントが揺れている。何気ない動作に崇高さがあった。
敦に劣らず、彼女も戦闘服が似合ってなかった。手芸部にでも入っているかのように、指にテープが何枚か巻かれている。今日の模擬戦では確か、大輝と同じく狙撃兵役を担ってくれていたんだっけか、と譲二は思い出すのに苦労する。
「……あなた達は、ここで袂を分かつ運命にある。それは避けられない。彼は自ら選んで、贖罪の炎の道を歩いていく」
若菜は顔を上げ、ゆっくりと目を開いて見つめてくる。穏やかな印象の下がり眉と、小ぶりな唇。格闘訓練兵にしては細い首元に、おさげの髪。
「ちょ……ちょっと、若菜」
譲二は、彼女のともすれば無機的だけどどこか吸い込まれそうな瞳の中に、小宇宙の幻を見ていた。
「だけれど、大丈夫……。星はめぐる……またいつか会えるわ」
なぜか戯言だとは思えなかった。雰囲気に呑まれているのかもしれない。だとしても譲二は、彼女が自分に何か重要な宣託をしているのだという気がした。
「あなたはつらく苦しい茨の道を行かなければならない。でも負けないで。あなたを待っている人がいる」
祈りを捧げるように組んだ両手を口元に持っていく若菜。彼女の背中に淡く光る天使の羽を幻視する。
「あなたの望みはきっと叶うわ」
最後に彼女はそう言い放った。譲二は沁み入るような感覚に襲われる。
と、予鈴が鳴った。校舎や武道館に響き渡る原始的なチャイム。次の座学や実技の開始時刻が迫っていることを知らせてくれるものだ。
若菜が一瞬たじろぐ。その隙に、世界が急速に色と輪郭を取り戻した。
「え、あれ? 私……」
先ほどまでの神聖さや没入感はもうどこにもない。ここは医務室で、目の前に立っているのはまぎれもなく譲二のよく見知った積木若菜だった。
譲二は口の中が乾いているのを感じていた。汗が顎を伝い落ちていく。
己の望み。待ち人。大輝。袂を分かつ運命。敦。星はめぐる。健吾、幸進。戦争。贖罪? つらく苦しい道。
「つ、積木……。いっ、今のは……」
「ああ~っと! 譲二、長々とお邪魔しちゃってゴメンね! 予鈴も鳴ったことだし、そろそろ行くわ。ほら若菜、しっかりして」
「えっ……う、うん」
理央がまだぼうっとしている若菜を半ば引きずる形で、その背中を押していった。そうして、医務室を後にしようとする。
「お、おい」
「またね。休んで怪我を治して。お大事に」
引き戸を挟んで向こうの廊下で、理央が手を顔の前に持っていって申し訳なさそうなジェスチャーをする。それから慌しく行ってしまった。
何なんだ、いったいと譲二が呆気にとられていたら、「こらっ、廊下は走らないの。……、まったくもう」という、おそらく理央達への注意が聞こえてきた後、入れ違いになる形で森本叶恵先生が医務室へ入ってくる。
「あ、先生……」
「鎮痛剤が効いて少しは元気が戻ってきたみたいね。それはそうと……あの子達、挙動が変だったんだけど、あなた何かした?」
「い、いいえ」と譲二はかぶりを振った。その動作で右上腕がずきっと痛み、顔をしかめる。
「まあ、その容体じゃ大したことはできないか。うん? その落書き何?」
叶恵は少し屈んで、譲二の右腕に巻かれたギプスの外側を覗き見る(あ、胸元が見えそう)。理央のやつがさっき書き残したメッセージのはずだ。
……沈黙の間。譲二は段々と不安になってきた。
眉根を寄せていた叶恵がやっと口を開く。
「……『元気があれば何でもできる!』。たぶん、首相の演説にあった有名なフレーズかしら」
「……なるほど」
どっと疲れが出てくる。それをごまかそうと、譲二は首相の顔真似をすべくアゴをとがらせてみた。ぎらついているような目つきも意識する。
叶恵先生が「上手ねぇ」と笑ってくれた。




