第六試合 7.魔改造兵
『――松浦! 松浦譲二! 起きないか!』
譲二はおぼろげに目を覚ました。土と草がぼんやりと見えてきて、自分は地面にうつ伏せに倒れているのだとわかった。
(そうか、俺はあのイカれた女の肘をくらって……)
鼻と顎がひどく痛み出し、倒れたときにしたたかにぶつけたのだと譲二は悟る。ノイズじみた音声が耳元でやかましくがなり立てていた。
「……き、教官……」
ヘルメット内の無線機から聞こえてくるその声は、我らがF班の担当教官、園田美紗少尉のものだった。譲二は急速に意識を覚醒させていく。
『おまえはF班のリーダーだろう! 班員の、いや仲間のピンチに何を寝ている!』
縦に一条のヒビが入ったフェイスガードを透かして、キャスリーンが軍靴の先で大輝を軽く蹴り上げて仰向けにさせているのが見える。
『ちょっ、何言ってるの? 松浦くんは頭を強打して、短い時間とはいえ失神しているのよ! 動かさせない方がいいわ。松浦くん、聞こえてる? そのまま横になっていなさい』
割り込んできた声は、森本叶恵先生のもの。
『そんな軟弱者に育て上げた覚えはないぞ! さあ立つんだ、松浦!』
骨が折れているはずだった。テイクダウンして抑え込んでやるという一縷の望みは断たれた。心も折れてしまった。何も残ってない。
そこからまた立ち上がれと言う。無理を通せと言う。
だが、鬼教官だ、と譲二は思わない。なぜなら、正論だから。己は兵士だから。仲間を絶対に見捨てるな、と教えられてきたから。
譲二にとって、大輝は親友だから!
『戦友を見殺しにするようなヤツを、私は兵卒とさえも認めたりしないからな!』
「わ……かって……ます……」
譲二は地面に手をついた。口の中に入っていた土をぺっ、と吐き出す。
『よし、そうだ。いつもの諦めの悪さ、あがきを見せてみろ!』
まだ頭が酩酊し、力が抜けそうになる。譲二は歯を食いしばった。腕と膝を立てて、体を支える。
『もう、根性論にも限度ってものがあるでしょ!』
マイクから離れたところで美紗と叶恵が言い合いをしているらしい。何だか、無線を通して耳に入ってくるそれが、この非日常感に現実の風を吹き込んでくれているような感覚があった。
『……松浦くん。もし……本当に大丈夫なのなら、お願い。大輝くんを、守ってあげて』
叶恵先生の切実な声。言われるまでもなかった。譲二は了承する。
「はい……大丈夫です。任せて、ください」
『でも、また闘おうなんて考えないで。数分したら人が来るはずだから、それまで時間稼ぎをして』
腿に手をついて立ち上がった。キャスリーンが振り返り、驚愕する。
「じ、譲二……」
多少は正気の戻ったらしい大輝も、肘を立てて顔をこちらに向けようとしている。が、譲二に目を合わせる余裕はなかった。
「……マゾが」とキャスリーンが憤怒の表情を作る。
さて、作戦の練り直しか、と譲二は呼吸を整える。誰かがが来てくれるまで、どれだけ攻撃されようと、もう二度と失神してはならないのが大前提だ。
『キャスリーン!』
「あー?」
またもや、キャスリーンの近く、ポールの上部に取り付けられた屋外放送機器から合衆国言語の音声が響いた。
『何度も言わせるんじゃない、これ以上の接触は許さないよ! “異能”は使うな!』
「うるせえ! こいつは今この場ですり潰してやらないと気が済まねーんだよ!」
キャスリーンは叫び返すな否や、逆手の手刀でアルミポールを叩き折って、飴細工のように曲げた。拡声器の一つが地面に落ちる。
聞き慣れない単語があったような気がするが、もう頭に入ってこない。譲二はまだ朦朧としていて、まっすぐに立っていることもままならない(これは、さすがにキツイかも)。
「よう、てめえ。二ラウンド開始といこうか。名は何てんだ?」
名を問われて、譲二は先ほどの夢を思い出していた。大輝との最初の交流。初めて名乗り合った、大切な記憶。
「俺の、名は……ダチに呼ばれるために、あるんだ……。おまえに、教えてやらなければならない理由は、ないな……」
「かはっ。いいねぇ。青春ごっこかよ。そういうのを見せられっと、潰してやりたくなってくるぜ!」
譲二は勘づいていた。おそらく、こいつが話に聞く魔改造兵なんじゃないかってことに。
この数年の間でUFC軍の中に見られるようになったという、人ならざる兵士。人間離れした筋力と体力を有し、銃火器での攻撃が有効となりにくい狂戦士。
なぜ日鶴に与してくれる駐留合衆国軍側にもいるのかは不明だが、そうだと考えれば、説明がつく点が多かった。
「……もしそうなら、こちとら対魔改造兵の格闘術を学ぶリングスの特殊格闘兵だぜ」
(園田教官やドラゴン教官らの教練を思い出すんだ。こんなヤツらを倒すために俺らは血の滲むような訓練を受けてきたんだ、そうだろ!)
仕切り直しだ。テイクダウンはもう狙えない。読まれ、対応されすぎている。
かといって、打ち合うのも論外だ。分が悪い。
ならば、アウトのキックボクシングで奴のリーチ外から、軍靴でのローキックやミドルキックで削る。
下半身にダメージが蓄積すれば、それは体を支える土台にヒビを入れることにつながる。蹴りは勿論、腰の回転が必要なパンチも、打撃を幾らか封じられるはずだった。
「だぁっ!」
譲二はまず、右足でのローキックを一発、八割の力で蹴る。
全力でやるとどうしても防御の備えが疎かになるし、空振ってしまったら背中を哂すことになってしまい目も当てられない。それらのリスク管理のための八割だ。
キャスリーンは煩わしげに前進してこようとする。譲二は近づけさせるかよ、と前蹴りを腹にくらわせて押し戻した。
「チッ」というキャスリーンの舌打ち。やる気をなくしたかのように、無防備にもガードが下ろされる。
何だ? と思っていたら、瞬時に踏み込まれて右フックを振るわれた。譲二は前蹴りが間に合わず、スウェーとバックステップでよける。
打ち返しの左フックが伸びてくる気配。譲二は更に後退しながら、がら空きになっていた左脇腹にミドルキックを叩き込んだ。
「げっ!」
ミドルキックはキャスリーンの左腕でがっちりと抱え込まれていた。にやり、と相手の口の端が歪む。左フックは餌で、誘い込まれてしまったのだ。
譲二は美紗教官の教え、「ズボンやシューズを履いてのミドルキックはつかまれやすいということを忘れるな」を思い出して後悔するも、既に遅し。
本命の右ストレートが迫ってくる。足をつかまれたままなので下がることができない。譲二は反射的に両の掌を交差させたものの、ガードは愚の骨頂だと理解していた。
やむをえず、スウェーを選択する。ストレートの射程からは逃れられたが、代償として背中から地面に倒れ込んでしまう。
キャスリーンのサッカーボールキックが腿の裏を直撃した。痛ぇ! と譲二は口走りそうになる。
続けて、こちらの脚を跨ぐようにしながら、キャスリーンが顔面への踏みつけを狙ってくる。
譲二は肘と上腕を支点に、腹筋の力で上半身を動かし、首もひねって間一髪かわした。顔のすぐ横の土がフットスタンプを受けて、めり込む。
踏みつけに失敗したキャスリーンの足首に両腕を回し、後転するかのようにして両脚も蛇の如く、その上の膝に絡ませる。
「うおっ!?」
キャスリーンが前のめりになり、地面に手をついた。譲二は足首関節を極めにいく。
「あっ……く、クソッ」
また失敗だった。脛の半ばまでを保護しているブーツ状の丈夫な軍靴の上から、足首をねじるのは容易ではない。
これも吉出秀人教官に言われていたことだった。しっかりしろ、と譲二は自分を叱咤した。
譲二はキャッチに拘泥せず、半ば走り出すようにして立ち上がり、振り向く。
もうキャスリーンが間合いを詰めていて、右腕を振りかぶっていた。早い!
(恐れるな。よく見ろ。パンチをはたき落して軌道を逸らすんだ)
そうパーリングするつもりだった腕をすり抜けてきたのは、顎を引っこ抜かれるんじゃないかと思わされるアッパーだった。木々の梢と青空が見えた。
失神だけはしてなるものかと気合を入れていたにもかかわらず、譲二は意識が半分飛びかけた。顎に裂傷ができ、血がしぶく。
(ドラゴン教官……、話に聞いていたのと違いすぎるんですけど……)
そこからは一方的だった。
次に腹を殴られ、意識が強制的に呼び戻される。譲二は悶絶したが、胃の中には何も残ってなかったようで、胃液だけが唾液と一緒に吐き出された。
(ていうか……。こんな強さの……魔改造兵を数人、倒したって……ドラゴン教官、凄すぎ……)
とどめにハイキックをくらう。ダウンもしまいという誓いが脆く崩れ、譲二は吹っ飛んだ。
だが、ずたぼろの体で、再び立ち上がる。すぐに同じように地を這わされ、土を舐めさせられる。その度に譲二は立った。
キャスリーンは「二ラウンド」と言った。だが、レフェリーはいない。一ラウンドにつき三回ダウンしたら負け、というルールが存在するわけでもない。
立ってファイティングポーズをとりさえすれば、試合は止められないのだ。それだけは、譲二にとって好都合だった。
「ははっ。何なんだ、そのタフさは。てめえからは特に何も感じなかったんだが、もしかしててめえも、オレと同じこっち側なのか?」
キャスリーンが可笑しくてたまらないかのように笑った。
……こっち側……? と譲二は疑念がよぎるが、すぐにかき消した。こいつの言っていることは意味がわからない。まともに聞くだけ無駄ってものだ。
また薙ぎ倒される。一ラウンド目のと合わせて五回目だか六回目のダウン。
「だがな、いいかげんうぜーわ。時間もねーしな。人が来ちまう」
キャスリーンに胸ぐらをつかまれて、強制的に起こされる。片手で持ち上げられて、踵やつま先が地面から浮いた。なんという筋力。
「ぐっ……」
「そろそろケリをつけようや」
なんとか、隙を作れば……と譲二は喘ぐ。起死回生の一撃をお見舞いするための、隙を。でも、どうやって?
「今度こそ死んでろ」
指が折り畳まれて拳をかたどった手が、弓の如く引き絞られる。キャスリーンのその拳が不吉な気を纏って硬化していくのを、譲二は幻視していた。
この攻撃をくらったらひとたまりもない。終わる。大輝を守れなくなってしまう。そんなのは嫌だ、と譲二は思った。
せめて、一瞬でいい、キャスリーンの気が削がれるような間隙が生じてくれたら……と、祈りにも等しい思いを抱く。
と、そのとき、奇跡が起きた。
一発の銃声が轟いた。キャスリーンの顔に茶色の液体が放射状にぶちまけられていた。キャスリーンは何が起きたのかわからず、固まる。
……ペイント、弾。まさか……。まさか、と譲二は首を回す。
そのまさかだった。大輝が、しゃがみ立ちで狙撃銃を肩に固定していた。
「ヘ、ヘッドショット、だぜ……。退場、しな……!」
(大輝――!)
構えた狙撃銃の銃口が、遠目にも小刻みに震えていた。集中するために噛み切ったのか、唇からは一筋の血が流れ出ている。そんななりでターゲットの顔面に当ててみせる技量、精神力。
譲二は自身の口元が勝手に笑みの形を作っていくのを感じていた(さすがだぜ、大輝。おまえ、本当に頼りになるヤツだよ……!)。
「何だ、こりゃあ!?」
譲二の胸ぐらを手放し、キャスリーンは顔に付着したペイントを拭おうとする。だが、簡単には落とせない。擦ったら余計に目の中などに入ってしまう代物なのだが、それを教えてやる義理は譲二にはなかった。
相手を前にしながら、魔改造兵は無防備の状態だった。視界がほぼ塞がれている上、気も逸れている。
死中の活――。これは、大輝が広げてくれた千載一遇の機だ。絶対に、逃さない! と譲二は最後の力を振り絞る。
半身を晒しているキャスリーンの背後に立ち、腰に両腕を回して左手で右手首をつかみ、がっちりホールドした。
「なっ?」
気づいたキャスリーンが、腹に回された譲二の腕を剥がさんとしてきた。だが、こっちには取ったバックの利がある。譲二は腰を落として踏ん張り、両手を離さない。
「歯ぁ閉じて顎引いてろっ! うおおおおおあああーーーー!」
キャスリーンが暴れようとするよりも一瞬早く、譲二は彼女の体を渾身の力で抱え上げた。
「くらえっ、サンライズマスク教官直伝の……おまえに一矢報いる、友情の〈サンセット・スープレックス〉‼」
譲二は勢いをつけたまま後方に反り返った。地平線に夕日が半分沈んでいるかのようなブリッジの体勢になり、キャスリーンの後頭部と背中が地面に叩きつけられる!
「が……っ」
抱えていたキャスリーンの身体が力を失って、弛緩する。譲二はKO(ノックアウト)したことを確信した。
(へへ……やってやったぜ。見たか、大輝……)
技を繰り出したところが下りの斜面だったため、譲二はそのまま、キャスリーンと共に転がり落ちる。
見たよ……。ありがとう、譲二……。譲二には、大輝のそんな声が聞こえてきた気がした。幻聴だろうが、それでもよかった。
もう力が入らず、どこも動かせない。斜面を転がる身を止めることも叶わない。人外の女との戦闘で、文字どおり死力を振り絞ったのだ。もう限界だった。
譲二は目を瞑り、落下に身を任せた。




