第一試合 1.羽稲島
松浦譲二は木陰に寝転がっていた。下草と土は夏の日差しを浴びて温かく、頬を撫でる潮風は涼しかった。
譲二は瞼を閉じたまま呟く。
「あー……、いい天気だな」
「まったくだ」
隣で腰を下ろしている市原大輝が同意する。
「こんな日の体力トレーニングはさ、島をぐるっと一周走るとかじゃなくて、格闘兵科らしく相撲大会とかにしてほしいよなぁ」
「ジョギングがつまらないのには同感だが、相撲かよ……」
言外にそれはどうなんだと込めてくる大輝に、譲二は薄っすらと片目を開ける。
「おい、相撲をなめんなよ。国技だぞ。確かに総合格闘技での大相撲出身者の戦績はいまいちだけど、引退した力士じゃなくて全盛期の横綱とかがやれば、異種格闘戦でも強いはずだぜ。総じてボディバランス能力に秀でているし、ルールにもよるけどかち上げや喉輪などは強力だろ」
「違うって。座学でも解説されてるし、トレーニングに相撲の稽古が取り入れられているから、相撲取りの強さはよく知っているよ。そうではなくてだな……俺達、四期生って三十人以上いるだろ。個人戦の総当たりやトーナメントにしても時間内に終わらないぞ、ってことだよ」
大輝がそう返してき、譲二は考える。
「なら、個人戦ではなく、班毎に五人制のチームを組んでの団体戦トーナメントにするか。それなら結束力を高められる上、どのような順番でいくかといった用兵能力も問われて、現場で誰から戦闘に打って出るか決めるときの勉強にもなるだろ。うん、リングスの兵科にふさわしい練習じゃないか?」
リングスというのは、ここ羽稲島に建設されている新兵訓練用の施設及び基地の名称だ。そして、譲二達はその訓練兵である。
「譲二、その団体戦のルールって、星取り形式と勝ち抜き形式のどっちにするんだ? 勝ち抜きだと、強いやつが複数人抜きをしてしまうと味方の何人かは試合なしになるぞ。かといって、星取りの方も、早ければ中堅で三対〇と勝負が決まって、副将とか大将の試合が消化試合になってしまう可能性がある」
大輝が話に乗ってきたのを感じて、譲二は起き上がり、にっと笑みを浮かべた。
「星取り形式の方がいいだろうな。全員が一試合はできるし、勝ち抜き形式よりは時間もかからなそうだ」
「まあ妥当か」
賛同を得た譲二は勢い込んで言う。
「よし。そうと決まったら、食堂のおばさんに塩を分けてもらわなくちゃな」
伝統的な競技であり神事ともつながりの深い相撲は、四股踏みなどといった各々の動作に儀式としての意味が内包されている。塩をまくという行為もそうだ。
「いや、塩は兵糧としても貴重な物品だし、もらうのは無理だろ……。塩まきはなしでよくないか。時間も押すし」
古来より、塩は邪気を祓う力があると信じられている。そして、相撲はその昔、五穀豊穣を祈り、勝敗によって豊作を占う祭りの一環だったという。
大相撲の力士が塩をまくのは、祈願の場つまり神聖な場所である、土俵を清めるという儀式的な意味が込められているのだ。
「相撲の醍醐味は立ち合い前の塩まきと仕切りだと思うんだが、確かに、このご時世にそんな無駄遣いはできないな」
エア塩まきでいくしかないか、と譲二は意気消沈する。
数年前から続いているこの戦争に終わりはまだ見えない。そのような状況下で、備蓄をいたずらに浪費するような行動は褒められたものではないといえた。
「となると後は、番狂わせ時の座布団投げか。座布団、枚数足りるかな」
「大相撲で座布団投げは禁止されたはずなんだが、やるのか」と苦笑する大輝。
「あれも風物詩って感じで好きだったんだけどなぁ。まあ、他の客や審判員が怪我しないことの方が大事か」
「それで、リーダー。俺達F班の用兵はどう考えているんだい? ちょうど五人だ」
大輝が軽口で尋ねてくる。
「そうだな……。勢いをつけるために先鋒にポイントゲッターを据えるか、大将にどっかり座ってもらうか悩むな。趨勢を左右する局面が多い中堅も捨てがたい」
「次鋒や副将も結構大事だぞ。次鋒は連勝して王手をかけたり、もしくは流れを変えたりする必要があるし。副将も、勝敗が決まる一戦ばかりでタフな試合になりがちだ」
「うーむ、団体戦の五人ってのは結局、みんな重要なんだよなぁ」
譲二はあぐらをかいて腕を組み、得心した。すぐに、ばしんと腿を打つ。
「よし、決まった。先鋒はムードメーカーの健吾だろ。もし負けたとしてもあいつなら暗くならずに、次へつなげられるしな。そんで、次鋒は小兵が多いらしいから、敦かな。比較的プレッシャーも軽いと聞くし。図太さが要りそうな中堅は……俺でいいか。副将は星の状況を冷静に見て自分のすべき仕事を考えられるやつがいいというから大輝。そして、大将は安定感があってみんなから信頼されている幸進で決まりだ」
「その辺がオーソドソックスな人選だろうな。というか、リーダーのおまえが大将じゃないのかよ」
「うーん、俺は気楽にやりたい派なんだよな。幸進の方が緊張感のある試合にも強そうだし、任せるわ」
譲二は言葉を切り、振り向いて「敦はどう思う?」と、仰向けになって休んでいる沖山敦に聞いた。
「僕……は、できれば……補欠、が……いいかな……」
顔を覆っていた腕をずらし、まだ息を切らせていながらも敦はそう答える。
「おいおい、俺達F班は五人しかいないんだから、敦も出場するんだよ。なお、不参加者には園田教官とのエキストラマッチがあります」
すかさず譲二は冗談めかして言った。園田とは、譲二達F班の担当女性教官だ。
先週から空手の実技教官に着任してきたのだが、なんというかあまり遊びがない。要するに恐いのだ。
「うう、じゃあ……大将で」
敦の希望に、譲二はさも驚いたように口をすぼめる。
「敦、やる気満々だな。俺がメインイベンターだってか」
「ち、違うよ! 大将なら、その前に決着がついている可能性が高いんでしょ。それなら気負わずにできるかなと……」
「大輝、できるだけ二対二にして敦に回そう」
「そうだな。ギャラリー的にも盛り上がりは必要だ」
「や、やめてよ~」
肘をついて、首を起こす敦。その焦ったような反応に、譲二はぷはっと笑い出した。
「すまない、敦。冗談だ」
「もう……。途中からわかってはいたけど、本当にやるつもりなのかなとも思って、どっちがいいかちょっと真剣に考えちゃったよ」
敦が拗ねた風に言ってきて、三人で笑い合ってしまう。
と、遠くから重く唸るような機械音が聞こえてきた。譲二が目をやると、海の方向から黒い機影が飛んでくるのが見えた。
青空を滑るようにそれは近づいてきて、そのシルエットから軍の輸送ヘリコプターだと判る。
譲二は立ち上がりながら、敦に手招きをする。
「敦、もっとこっちへ来い。俺達ゃ一応サボタージュ犯なんだからよ。もしあれに基地の人間が乗っていたら、見つかるとまずい」
ヘリコプターがローター音を轟かせながら、譲二達の隠れている木々に影を落として通り過ぎていく。
ブレードの回転が生んだ風が草原を薙いでいった。譲二達は腕や手をかざして、舞い上げられた草や木の葉から顔をかばう。
去っていく輸送ヘリコプターを眺めて大輝がヒュウ、と軽く息を吹いた。髪を直している。
「駐留合衆国軍のヘリだったね」
髪や服に付いた草の葉を払い落としながら敦が言った。駐留合衆国軍というのは〈日鶴〉の各地に駐留している、日鶴軍と協定関係にある合衆国籍の軍隊のことだ。
譲二はヘリコプターが飛んできた方向を見やる。肉眼では見えないが、海を挟んで水平線の彼方に日鶴本土があるはずだった。
日鶴――“日出ずる国”、そして譲二達の生まれ育った国。
国際日付変更線で区切って平面に広げた世界地図の極東にあり、どこよりも早く最初に日が昇る国。世界の一日が始まる地とも言われている。
なお、国の長たる首相にはアゴのとがった壮年男性が納まっていて、演説の一発目に「皆さん、元気ですか!」という大声量の挨拶と、締めに「シャイッッ」という謎の掛け声及び両手を突き上げるポーズをかましてきたのは有名な話だ。
水平線に見入っていたら、大輝がそばに来て、肩に手を置いてくる。
「そんなに睨まなくたって、あと数ヶ月もしたら帰れるさ」
「大輝……」
微笑する大輝につられて、譲二も口元が緩む。
「ああ、そうだな。この訓練が終われば……」
譲二は腰に手を当てて、大輝と共にもう一度、海の向こうを見据えた。
このリングス基地での特殊格闘兵科の新兵訓練期間は三~四ヶ月となっている。訓練を修了したら晴れて兵卒になり、本土へ戻れるのだ。
譲二は否が応にも高揚を感じ、胸の前で右拳と左の掌を打ちつける。
(訓練が終わって正規兵になれば、俺らの手で、UFC軍の魔改造兵から日鶴を守ることができるんだ)
そう、日鶴はこの数年間、民間軍事会社ズッファのUFC軍の侵攻に対して防衛戦争を余儀なくされていた。