第四試合 2.欧州の稲妻
トレイがどけられて散乱し、食器が落ちて割れ、ご飯や野菜が大多数の足に踏まれる。
「ちくしょおぉぉぉ……」
譲二も、軽い疎外感と恥ずかしさがないまぜになった感情とどう向き合えばよいのかわからずに、涙目でテーブルの間を駆けた。
見せ場を奪われた不公平感をぶつけるべく、一人に跳びかかる。微妙に八つ当たり成分の混ざったテンションで。
勢い余って相手と一緒に床を転げ回った。譲二は上を取ることに成功するが、すぐに背後から羽交い絞めにされてしまう。立ってきた外国人兵に腹を殴られて、胃の中のものを戻しそうになる。
譲二は後ろのやつに頭突きを浴びせて、羽交い絞めを解いた。次いで、正面の兵士に踏み込んでパンチを伸ばす。
俗にいうスーパーマン・パンチだった。上半身を前傾させながらのパンチのため腰の回転や体重をあまり乗せられないが、素手の拳なら、それでも敵を怯ませるには充分だ。
加えて、このパンチはモーションが読まれにくく、前傾でリーチも伸びるので奇襲に向いている。完全によけるのは難しい。
「っ!?」
しかし、信じがたいことが起きる。相手は反射的に、スーパーマン・パンチを首の最小移動でかわしていた。
譲二はそのまま組みつき、互いに差しとクリンチのような体勢になる。差しとは相撲用語で、相手の脇下にこちらの腕を差し込むことだ。
(先ほどの回避動作……。こいつ!)
足をかけて横に倒す。首に腕を回されていて、服もつかまれていたので、一緒に倒れ込んだ。
上を取ったものの、依然として首ホールドを離してくれないため、体を起こせない。そうこうしている内に相手が、譲二の側頭部に木魚打ち的なパンチを振るい始めてきた。片腕を折り畳んで頭をガードしつつ、横腹に拳を落とす。
歓声と野次が飛び交っていた。不参加者は輪になって訓練兵と正規兵が喧嘩するためのスペースを空けている。
他の乱闘者がぶつかってきて、譲二はバランスを崩した。その隙に、下の奴に起きられてしまう。
慌てて膝立ちになった譲二だが、鼻先にパンチを入れられて、起き上がりながらもたたらを踏んでしまう。追いかけられて今度はバックスピンキックを振るわれ、ガードはしたものの、観戦者の壁まで吹っ飛ばされてしまった。
外国籍の兵士数人が譲二を受け止め、「ファイト!」という応援と共に荒っぽく押し返す。
「気をつけろ、譲二! 周りで見ている外人兵のヤツらが言ってたのが聞こえてきたんだけどよ、そいつ、K1軍への配属が内定しているキックボクサーらしいぜ」
健吾が自分の相手と取っ組み合いをしながら教えてくれた。ネームはゼバスティアン・“ブリッツ”・レコだそうだ、とも。
やっぱりな、と譲二は納得する。さっきのよけ方も、今しがたのキックにしても、立ち技の選手特有の動きをしてやがった。
ブリッツって電撃の意味だっけか、と考える。見れば、短く刈り上げている髪型の片サイドに稲妻のマークがデザインカットされていた(色気づきやがって)。
バックスピンキックを受けた譲二の前腕がまだ痺れている。ちくしょう、と悪態をつく。
スタンドを得意とする敵手と戦うときは、テイクダウンしてグラウンドの展開に持ち込むに限る。
が、先ほどもそうだったように、敵が複数いる場合に寝技は有効とならない。一人を極めたとしても、他のヤツらに無防備な側面や背面を哂すことになるからだ。
更に今は、床に椅子が散乱し、水や味噌汁も零れている。効果的なタックルが難しい環境だ。
そもそも、こんな喧嘩に寝技や関節技を持ち込むなんてズレているというか、バチバチじゃないというか……。とにかく萎える戦い方なのは間違いない。
「おい……いくぜ」
ゼバスティアン・レコがその場で数歩、ステップを踏んだ。キックボクシングの構え。
譲二は両手を前に突き出し、軽く開いた掌をレコに向ける。
グローブをはめて殴ってくるのであればブロックの形を作って構えるのがセオリーだが、素手のナックルに対してはよくない。グローブよりも面積や摩擦の小さい拳が、ブロッキングガードの隙間を易々とすり抜けて当たってくるからだ。
「しッ!」という掛け声と共に、左ジャブが飛んできた。譲二は右手甲で相手の手首を横に払って、パンチの軌道を変える。
連続で左ジャブ。今度は手刀気味に前腕部を叩いて下方向に流した。打ち返しの右ストレートは、バックステップで回避。
この方法ならば、素手ナックルにも有効で、かつパンチの威力を削ぐことができる。ボクシング用語でいえばパーリングという技術だ。
ローキックは、パーリングできないので、足を上げてカットした(カットしても痛い)。
そうして数瞬、膠着する。
さすがはキックボクシング出身者。距離を測ってのサークリングが絶妙で、譲二は攻撃をしに入るタイミングをつかみあぐねていた。
誘いが必要だ。譲二はわかりやすい右正拳突きを出す。当然、かわされた。
突きを引き戻しながら、踏み出していた左足を支点にして、右足でのローキック! 有効打となるか。
だが、これもよけられた。空振りしたキックに引っぱられて、譲二の体も横へ流れ、相手に半身をさらけ出してしまう。
“ブリッツ”・レコは見逃さず、間合いを詰める。
それはそうだ。譲二はもはや半ば背中を見せていて、この体勢から攻撃をするのは物理的にほとんど不可能。彼にしてみれば、反撃される心配はほぼない。
(かかった!)
譲二は、キックの空振りで回ってしまった体を、更に加速をつけて鋭く回転させた。同時に左拳を握って、遠心力を乗せる。
そうして繰り出した裏拳がレコの顔面にヒットした。
「ぐっ!」
元キックボクサーは一瞬腰を落とす。そして、追撃から逃れるべく、また回復の時間を確保するために、距離をとり始めた。
譲二は追いかける。牽制のジャブが放たれてきたのでダッキングでよけるついでに、進行方向を調整する。
すぐにレコの尻がテーブルにぶつかった。譲二は狙いどおり、とほくそ笑む。
食堂にはテーブルが所狭しと並べられていて、どこまでも後退できるわけではない。正拳突きとローキックをかわしていたレコは、既にかなりの距離をバックステップしていたのだ。
譲二は再度の組みつきに成功していた。レコの間合いは潰され、アウトボクシングはできない。
有利な展開。次はダーティボクシングに移行すべく、譲二は……
「やめな!」という一喝が場に響き渡る。
ヘレン・ヒーリング曹長の怒声だった。乱闘がぴたりと止まる。
続いて、数人の士官が割って入り、訓練兵と正規兵を押し分けていく。中迎克裕教官の姿も見えていて、まだ興奮の収まらない兵士を押さえつけていた。
譲二はさっきまでやり合っていたキックボクサー男とまだ睨み合っていた。その男、ゼバスティアン・レコは唇が切れて血が滲んでいた。
「……やるじゃねえか。日鶴にも伊達男はいるものなんだな」
と西洋圏言語で言い、キザなふうに口の端をつり上げて、戻っていく。
(……おまえもな。その稲妻のヘアスタイルも何だか、かっこよく見えてきたぜ)
「譲二!」と敦が駆け寄ってきた。「鼻血が出ているよ!」
「何てことないさ、すぐに止まる」
手の甲で鼻の下を雑に拭いて、譲二はそう強がった。
大輝と健吾、幸進も集まってくる。痣や傷だらけの顔を見合わせて、なんとなく「へっ」と笑ってしまった。
「戦果はどうだ」と鼻をすすりながら言ってみる。
「数えたらこっちの方が二、三発ほど多く殴れたのでよしとしようと思ってる」と、まずは大輝。
「くそ。喧嘩慣れしてねえから、かなりやられた。歯形が残るくらい腕に噛みついてやったけどよ」と幸進。
「俺もどっちかっつーとやられちまった。だけど、下になったときにまぐれで蹴り上げて一人のしてやったわ」
「よくやった。俺達ゃ紛うことなき日鶴男児だ」
譲二達は拳をぶつけ合った。ついでに、テンションがわからないといったふうの敦ともハイタッチする。
「またきさまらか!」
そら、ツヨコワ女王のお出ましだ。譲二達の担当教官、園田美紗少尉が大股で歩いてきていた。
既視を感じて譲二は、以前、敦にちょっかいをかけていた連中と取っ組み合いの喧嘩をしたときのことを思い出す。あのときも、美紗教官にいやというほど絞られてしまった。
それだけでなく、プロレス実技教官のサンライズマスク軍曹によるコーナーポスト最上段からのフライング・ボディプレスを受ける、という体罰もついてきたのだ。敦がびびって膝を立ててしまい、サンライズマスク教官がそれをもろに腹にくらって悶絶したのを覚えている(あれには「敦、掟破りはダメだって!」と皆で腹を抱えて笑ったんだよな)。
「これから戦地へ赴く兵士に怪我をさせるとはどういうことだ。松浦!」
美紗の怒号。名指しされた譲二は敬礼をした。
「はい! 仲間を侮辱されたので、手が出てしまいました」
「松浦に向こう一週間、柔術道場の床拭き掃除を命じる! 連帯責任でF班全員、サンライズマスク軍曹の、サイドロープをつかんでその間をくぐる体を水平に回転させながら戻ってくる反動を利用したドロップキックの罰だ!」
譲二は頬がひきつりそうになる(マニアックな技を指定してきよった!)。
忍び笑いが聞こえてくる。外国人の連中だろうかと考えて、譲二はくそ、と胸中で毒づく。
目を凝らすと、群衆の中に片桐理央がいた。笑いをこらえるあまり頬が膨らみ、目元も変な形になっている。「おまえかいィ!」とつっこみそうになった。
「園田少尉」
と、美紗の肩に手を置く人物がいた。
前髪をふんわりとアップにして額を見せている、ポンパドールと言うらしい髪型。ナチュラルメイク風の化粧。駐留合衆国軍から出向中というダリア・ヘンダーソン中尉だった。
「はっ! ヘンダーソン中尉、何でしょう」
美紗はすぐさま敬礼をした。譲二は軍の縦社会をかいま見たような気分になる。
「あちら側に先に非があったことがわかったようよ、ごめんなさいな。あまり怒らないであげてちょうだい」
「はい、わかりました」と美紗。
「格闘家に喧嘩はつきものよ。伝統といってもいい」
顔を傾けて美紗の肩越しに覗き込んできた中尉と目が合い、譲二はウインクされる。頬が紅潮してくるのが自分でもわかった。
「強い正義感と仲間意識、どちらも兵士には必要な資質だわ。多少の好戦さも、若者はこのぐらいでないと。実戦でも頼りにしているわよ」
ダリアは、まだ互いに睨み交している訓練兵と外国籍の正規兵達を見回して、手を叩く。
「はいはい、まだ続けようとする者は懲罰房に入れるわよ。掃除用具を持ってきて、みんなでテーブルの上や床を片づけなさい」
美紗がぐるりと向き直る。また何かしら説教される前に、
「よーし。食べ物や食器を粗末にしてしまった反省として、腕立て伏せ五十回やるかぁ」
大輝が先んじて言った。確かにそれは深く反省すべきことだ、と譲二も同意する。
「おう!」「はーい」
健吾が小気味よく返事をした。乱闘に関係していないはずの敦も応答してくる。幸進も異論なしと肩をすくめた。
そうして、F班のメンバー全員が食堂の床に手をついた。上から担当教官の溜め息が降ってきたが、もうこれ以上の訓戒はないようだ。
「栄養管理士や農家の人に、すいませんした! 一! 二! 三!」
譲二は号令をかけて腕立て伏せを開始する。
「六! 七!」
美紗はそんな彼らを、誰にもわからないように少しだけ誇らしげに口元を緩ませて、横目で優しく見つめていた。
「何をぼさっとしている、おまえらもやらないか。喧嘩に加わった者だけでなく唆すなどして助長をしたやつも皆、同罪だ!」
「は、はい!」
吉出秀人中尉の叱責。周囲にいた訓練兵の約半数が急いで床に手をつき始めた。




