第三試合 2.不条理
ヘレンは事務室への廊下を歩いていた。事務に名簿や荷の管理表を提出して、滞在の手続きをするためだ。
と、廊下の先に、腕を組みながら壁に背を預けて立っている女がいた。ヘレンを待っていたようで、目線をよこしてくる。
やれやれと首を振ってから、ヘレンは「園田か」と声をかける。
「よう。まさかおまえが来るとは思わなかったぞ、ヒーリング」
園田美紗が相好を崩してきた。わずかに挑発めいた、だが裏表のない笑み。
「あんたこそね。こんなところに移っていたんだ」
ヘレンは久方ぶりの再会となった美紗を見据える。現場から離れているためか、女丈夫だった性格も幾分和らいでいるように見えた。
「このとおり負傷してな。退院後、復帰許可が出るまでここでコーチを兼ねてリハビリさ」
と、美紗はシャツの襟元をずらして肩を見せる。鎖骨の上部に銃創が一つあった。
「災難だったね。嫁入り前の体に傷をつけたそいつには、きちっと落とし前をつけてやったのかい?」
「おまえが上官をぶん殴ったようにか?」
旧友同士は互いに声を出して笑い合った。が、ブランクを感じさせるかのように不自然なそれはすぐに止まってしまう。
「……おまえは知っていたのか、これを」
美紗が表情を曇らせながら言った。おおよその見当はついていたが、ヘレンはあえて聞き返す。
「……どれのことを指してるんだい」
「魔改造兵と、やれんのかプロジェクトだ」
視線が交錯する。ややあって、ヘレンは大仰に両手を開いた。
「そりゃ私らの隊は先陣切ってUFC軍と戦っていたからな、魔改造兵のことは把握してたさ。でも、このプロジェクトの存在を知ったのは、この雑用をするようになってからだよ」
美紗は嘆息し、立ち方を直す。
「この兵計画は……あまりにも非人道的だ」
「ふん、戦場はそういうものでしょ。キックボクシングやMMAの興行でも、理不尽な契約や無茶としかいいようのないマッチメイクは往々にしてあった。そうとも、私ら選手はいつも不条理の中で戦っているんだ」
ヘレンは言ってて唾を吐きたくなってきたが、あいにくと屋内だったので飲み込んだ。
「……これでは、未成年のアマチュア選手に、ヘッドギアやレガースを着けさせず、打ち合えとだけ言付けてプロの試合に出すようなものではないか」
「だから何だってんだよ。あんたんとこの国では過去に、キックボクシング甲子園とかいう高校生の大会で優勝したガキを、大人のカテゴリーに混ぜて戦わせてたんだろうが」
美紗が非難がましく目を向けてくる。その眼差しを見、ヘレンは酷薄な笑みを浮かべた。
「前線にいた頃の面影が少しは戻ってきたんじゃないの」
美紗はふっと目を閉じてわずかに俯き、顔を上げた。その表情には、旧友に対する親愛の欠片と一抹の寂しさがにじみ出ていた。
「おまえは変わらないな、ヘレン」
「私が常に願っているのは勝利さ。格闘家だからね」
「おまえのそういうところが羨ましいよ。私は……割り切れそうにもない」
「あの子らのプロデビュー後も面倒を見ていくってわけじゃないんだから。感情移入してたらきりがないよ」
ヘレンは止めていた足を再び動かし、美紗の前を通り過ぎた。首だけを回して見やる。
「そうやっていつまでもくすぶってるつもり? あいつらを犠牲にしたくないってんなら、私らがやるしかないんだよ。相手が狂戦士だろうと魔人だろうと、ね」
それが大人の責務ってものだろ、と最後までは言わない。そんなことは美紗の方が痛いほどわかっているはずだった。
視線を切り、ヘレンは歩いていく。この期に及んでも立ち止まっている軟弱者につきあってやる義理は、これっぽっちもないのだ。




