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ついこの間なんだ。
桃と気持ちを確かめ合って。
桃と夜を過ごして。
お互いが必要としているって思ったはずだったんだ。
なのに、どうして?
どうして俺は桃から別れを切り出されなきゃならないんだ?
胸の奥が大きな手で握りつぶされているみたいだ。
息がうまくできない。
桃が何かを話しているのに、上手く耳が機能しなくて。
さっきの言葉が頭の中でぐるぐると回って何度も何度も繰り返される。
俺があまりの事に何も言えずにいると、桃は苦笑いを浮かべて首を傾げた。決意に固められたその表情は俺の話なんか必要ないって言っていた。
もう決めた事で、俺が割り込む余地がなくて。
桃が妊娠していて。父親が相楽で、子供には父親が必要だから相楽とよりを戻す?
待ってくれ。急にそんな話をされも理解が追い付かない。
妊娠してたってことは、このところ具合が悪そうにしてたのは悪阻だったっていうことか。
そんで、父親が相楽で………。
まて、俺が父親の可能性は?
ってさっき桃にそう言ったら馬鹿にされたじゃないか。昨日の今日で、妊娠がわかるかって。
だいたい俺、きちんと避妊してたし。
でも、あんな事をされたのに桃は相楽とやり直すのか?
俺の事を好きだって思っていたのは、俺の自惚れだったのか?
疑問符ばかりが俺の頭を支配する。
話は終わったとばかりに泣きそうな顔をした桃が立ち上がった。
そんな泣きそうな顔してるのは、俺が好きだからじゃないのか?
引き止めたいのに、声が出ないし、体が動かない。
「勝手なことばかり言ってごめんね冬馬。私、どうしても子供を産みたいの」
相楽との子供。
桃が、相楽と結婚するって事か?
俺の望みは?
俺は桃とどうなりたいのか。
どうしたいのか。
桃が部屋を出て行ってしまう。
俺はまだなにも言っていないのに。
そんな悲しそうな顔をさせたくなくて、俺が守りたくて。
その場所を手に入れたと思っていたのに。
もう、俺が桃の隣にいちゃ駄目だってことか。
「私、夏休みが終わったら、配置換えの申請だすよ。もう、顔を合わせなくて済むようにするから。許してなんていえないけれど、冬馬の幸せ祈ってるから」
・・・・・・・俺の幸せ?
桃が隣にいて笑ってくれる事が俺の幸せなんだ。
それなのに・・・・・・。
ゆっくりと桃が部屋を出て行く。
パタンと静かに扉がしまった。
俺はなにも言えずに、動けずに・・・・。
桃が扉の向こうに消える姿を見ていた。
引きとめたかった。
抱きしめたかった。
この腕の中に閉じ込めて、別れるなんて言わせないで。
今更、相楽とよりを戻すなんて桃が幸せになれるとは思えない。
グラグラと何かが煮立つような怒りと不安と苛立ちを胸に抱えて俺は顔を覆った。
夏休みの間に、桃とずっと一緒にいられると思っていた。
机の上に広がる旅行雑誌やDVDを苛立ちにまかせて片手で払いのけた。
大きな音を立てて落ちてゆく。
桃が笑っていればいいんだろ。
幸せならそれでいいんだろ。
桃が選んだ道を応援するんだろ。
それでいいって、付き合うまでは思っていたじゃないか。
相楽との生活を桃が選ぶなら、俺は親友として傍にいる事を望んだんじゃなかったのか。
なのに、なんだこの苛立ちは。
怒りは。
相楽への怒りが沸々と湧き上ってくる。
桃にあんな事をして、怪我をさせて挙句に妊娠だ?
そして、別れたはずの桃を引き戻すのか。
俺は桃に選ばれたはずだったんだ。
相楽じゃなく、俺の恋人になってくれるって。
やっと心も体も一つになれたのに。
桃が俺との関係を断ち切るほうを選ぶなんて。
桃が悪い訳じゃない。子供がお腹にいて父親がはっきりしている以上、親子が一緒に生活するほうが子供の為。桃ならそう考えるだろう。
なにしろ、相楽は桃と別れたつもりが全くないようだと秋也から聞いている。
すぐに桃が戻ってくると確信しているようだとも言っていた。
こういう事だったのか。
なぁ、相楽。桃を縛りあげて、奪いつくしてそれで満足か?
情けない事に、涙が零れてくる。
泣いたのなんて何年ぶりだ?
こんなんだから、桃にヘタレだって言われるんだ。
けれどそんな軽口も、きけなくなるのか。
俺の怒りや苛立ちは脇においておくとして、桃が幸せだと感じるために俺がしなくてはならないことはなんだろうか。
桃には幸せになって欲しいんだ。いつも笑顔で過ごしていて欲しい。
俺の我儘だけれど、桃にあんな表情をして欲しくない。
そっと財布を手に取り、中に入れてある桃の写真を取り出した。
カメラにむけて満面の笑顔を浮かべているのはカメラの向こうで秋也が湖に落ちたからだ。
格好良く魚を釣るんだと息巻いていたのに、湖に落っこちて濡れ鼠になって。
それで桃が本当に楽しそうに笑ったんだ。
この笑顔が好きなんだ。
輝いていて、心がほっこり温かくなるこの笑顔。
桃がとなりにいればなんでも出来てしまうような気になれた。
しっかりと外堀を埋めて、桃とお互いを確かめ合って。
俺の計画では、一年後にプロポーズする予定だった。
本当は付き合ってすぐに、約束をとりつけたかったけれど、流石の俺でも桃にそんな事で嫌われたら立ち直れない。
一年を目安に、大切な約束はとっておく事にしてたんだ。
今更一年ぐらい待てるはずだったから。
こんな事になるなら、待たずにさっさとプロポーズ済ませて婚姻届に印を押させるんだった。
相楽なんかが割り込んでくる余地がないようにしておくんだった。
俺は。
・・・・・・・俺は桃じゃないと意味がないんだ。
ソファに寄りかかって、体を沈める。
落ち着いて物事を考えようとしてもうまく考えられなくて。
あまりに突然の別れの言葉に冷静になんかなれないんだ。
桃の泣きそうな顔が頭から離れない。
【子供がお腹にいるの。拓海が子供為にもやり直そうって】
幸せそうじゃなかった。
涙を堪えていた。
思考はすぐに、ああすれば良かった、こうすれば良かったなんて。
過去を嘆くものへと変化してしてしまう。
俺が、桃を忘れられる?
冗談じゃない。
そんな事出来るなら、とっくに他の女の子を好きになっているだろう。
馬鹿みたいだけれど、高校の時桃と出会ってしまったから。
未練がましいと、いい加減にしろと家族に言われ続けても桃に会いたかった。
七年間ずっと。
きっと俺は頭がおかしくなってるんだ。
相楽の事なんか笑えないし、責められない。
俺たちは同じ穴のムジナだ。
桃に魅かれてやまない。
手に入れる為ならば、きっとなんでも出来てしまう。
だけど、俺は桃の意思を尊重するって決めているから。
俺に出来る事をする為に、涙を拭い書斎へ行くと便箋を取り出す。
けじめをつけるんだ。
今度こそ桃を忘れるんだ。
そう決意して。
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
桃に別れを告げられて半月。
俺は自堕落な生活をしていた。
俺に出来たことといえば、桃が会社で気まずい思いをしなくて済むように辞表をだすくらいしかなくて。
もともとあの会社には正社員っていってもヘッドハンティングされた時にいつでも辞めれるように話をつけてあった。
親父の会社を継ぐための修行みたいなものだったし、最初に約束した分の契約はとっくに済ませていた。
一億円分の利益をだせば、俺はいつでも辞めていいということになっていたんだ。
それは、俺の営業力をかってくれた向こうがだした条件だった。
その代わりに俺は結構いい給料貰ってたし。
あの約束がこんな風に役にたつなんて思いもしなかった。
ボンヤリと天井を見上げて、辞めていた煙草の煙を吐き出した。
机の上には吸殻が山になっている。
吸い始めたのが確か21歳のと時だったか。それで世の中の禁煙ブームに乗っかって禁煙したのが23歳の時だったよな。二年たたないで、吸い始めるとは思ってなかったな。
カチリ。
新しい煙草に火を点ける。
大きく吸い込んで、また天井に向って吐き出した。
親父の会社の手伝いは、だいぶ前からしていた。今も俺が一言言えばすぐに会社を継ぐことになるだろう。
けれど働く気力が起きない。
今まで夜も昼も働いたんだ。
一ヶ月ぐらい休んだっていいじゃないか。
そう自分に言い訳して、こうして昼間から煙草片手に、ボーとしてるわけだ。
なんの生産性もねぇよな。俺。
あぁ、ダルイ。
少し寝るかな。
やる事ねぇし。
短くなった煙草を灰皿に押し付けると、立ち上がって伸びをする。
今頃桃は、相楽と仲良く結婚式の日取りでも決めているんだろうか。
悪阻がアレ以上酷くなってなければいいけれど。
・・・・・・だから、考えるなって話しなんだってばよ!!
イカン、口調までおかしくなってきた。
寝よ、寝よ。
起きてるとロクな事考えないしな。まぁ、寝るとまた桃の夢見てロクなことないんだけどさ。
のっそりと階段を上ろうとしたところで秋也が大きな音を立ててリビングに飛び込んできた。
片手に、雑誌を持って息を大きく切らせている。
「兄ちゃんっ!!大変だっ!!大変な事になった!!どうしよう!」
兄ちゃんって、懐かしい呼び方だな。小さい頃しか呼ばれた事なかったのに。
「うわっ、煙草くさっ!なんだよ、せっかく禁煙したのにまた吸ってるのかよ。・・・・・・違う、コレっ!!コレ読めよ!」
持っていた雑誌を開いて俺の前にかざす。
ったく、何が大変なんだよ。
俺の傷心具合のほうがよっぽど大変だっつーの。
面倒臭いと思いながら、どうやら女性誌らしいソレを手に取る。
あぁこの雑誌はよく、おふくろが嘘ばっかり書いてって怒ってた奴だな。
でも主婦とかに人気あるんだよなぁ。
主に芸能人のスキャンダルやらをセンセーショナルな見出しで扱う雑誌だった。
記事を読んで、眠気が吹っ飛んだ俺は雑誌を握り潰した。
いや、引き裂きたいぞっコレ!!
それは、どうにもこうにも悪意に満ち溢れていて、あり得ないほど勝手な妄想といってもいいほどの記事だった。
読んで頂きありがとうございます。




