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そして今、息を飲んで、大慌てで買ってきた妊娠検査薬を睨んでいた。
あと30秒。
・・・・・って待つ必要ないっつーの!
あぁぁぁぁ!!陽性反応でてるじゃん!!
これからの事は考えなくても決まっていた。
もう、妊娠しているかしていないかで答えは決まっていたから。
私にとって、私の手で命を絶つという選択はなかった。
例え、私が望んだ事でなくても。
父親が拓海だとしても。
両親と兄を亡くした時に、命の尊さを実感した。家族を亡くす事がどういうことかを身に染みて思いしらされた。
もっと生きたいと思っていたはずだ。生きたいと願ったって神様は容赦なく命を連れて行ってしまう。
せっかく宿った命をこの手で絶てる訳がなかった。
だけど、それは・・・・・。
冬馬と一緒にいられないってことだ。
旅行なんて行くんじゃなかった。
肌なんか重ねるんじゃなかった。
もう、冬馬の温もりを知ってしまった。
私から別れを切り出さなきゃいけなくなってしまった。
別れたくなんかないのに。
もう、あの手を離したくないって思っていたのに。
毎度のことながら、神様は不公平だ。
私の大事な物はみんなこの手をすり抜けていく。
そうかでも、命が残ったんだ。
小さなちいさな命が私の中にいる。
大事にしなければまた私の中からすべり落ちてしまう命。
それは、不思議な感覚だった。
親になることには、実感がともなわない。だけど、確かにここにある命は私が守らなくてはたやすく消えてしまう命なんだ。
頭を切り替えなくてはいけない。
一人で子供を育てるんだ。
頼れる親はいない。兄弟もいない。
多分私が想像しているよりも、大変な事だと思う。
会社だって、未婚で子供産んで辞めずにいられるか分からない。
体裁を気にする会社はそれとなく退職に追い込んでいくってこともあるという事も知っている。
考えれば考えるほど頭が痛くなりそうだ。
不安に駆られる。
世界に取り残されるような、不安。
現実的な問題は山積みで、目をそらしちゃいけないことも沢山で・・・・・・。
泣いてる場合じゃないから。
これは、おめでたい事なんだから。
泣くな、泣くな、泣くなっ!!
しっかりしろ!
そう思っているのに涙は頬をすべり落ちていく。
冬馬と一緒にいたかった。
これから会社で毎日顔を会わせなくてはいけないのに。
もう、冬馬を忘れるなんて無理だ。
七年間隠し続けた想いは、もう隠しきれないほど大きくなってしまっている。
もう会わないからと、思っていたのに。会ってしまった。また惹かれてしまった。
流れ始めた涙を隠すように両手で覆うとチャイムがなった。同時に扉を叩く音がする。
この鳴らしかたは一人しかいない。
今は会いたくないけれど、扉を開けないと後が面倒だと言うことを学んでいた。
涙を拭って扉を開けると思った通りの人が立っていた。
「こんばんわ。冬馬がなにかやらかした?桃の様子がおかしいから、見てこいって」
…………いくら弟だからって、超激忙しい俳優をパシリにしちゃ駄目だよ冬馬。
芸能人オーラを見事に消した春くんが困ったような笑いを浮かべて立っていた。
「やっぱり泣いてる。あんまり冬馬をバカにしちゃだめだよ。桃に関しては物凄い洞察力発揮するんだから」
苦笑いを浮かべてそっと私の頬を撫でた。
「涙の跡。バカ兄貴なにしたのさ。とりあえず入れてよ。人に見られると不味いしさ」
体をすべらせて春くんは玄関に入ってきてしまう。
止める間もなく、あがって行く春くん。ヤバいっ!妊娠検査薬出しっぱなしだよ。
青ざめて追いかけても遅かった。
目敏くみつけて、手に持ってしまう。
目を細めて眉間にシワを寄せた。何も言わない事がかえって怖いんですけど。
さっと回りに目を走らせて箱を発見すると、その箱をじっと睨みつけた。
どれくらいの時間そうしていたかは分からない。私はうつむいて春くんが話すのを待った。
大きなため息を漏らすと、ガシガシと頭をかきむしってもう一度ため息をつく。
「相楽?」
うわぁ、声低っ!!
うつむきながら頷くと、春くんはもう一度大きくため息をはきだした。
「あいつやっぱり、一度殴るか」
ボソッと恐ろしい事を呟く。
「ちゃんと冬馬には自分で話すから、大丈夫。心配しないで?冬馬に迷惑はかけないから」
春くんの雰囲気がさっと殺気だって私は思わず身をすくめた。怖いんだって、今日の春くんっ!
「だから、うちの長男を見くびっちゃ駄目だって。桃に関する事で迷惑な事なんて一つだってないんだから。ストーカーパワーなめちゃいけない」
ストーカーパワーってなんだそりゃ。
「むしろこのくらいで逃げるような甲斐性なし家じゃ勘当もんだよ。その顔じゃ、ボロボロだった時のだろ?桃にどうこう出来た問題じゃない」
・・・・・全く、なんでこう風間家の男は優しい事言ってくれちゃうんだよ。
そんな簡単な問題じゃない。
一人の人生を丸ごと背負うんだ。逃げる逃げないじゃない。
だって、冬馬の子供じゃないんだから。
そして私は中絶するつもりが微塵もないんだから。
冬馬にこの子供の人生を背負わせるなんて出来るはずもなく、そんな話をするつもりもなかった。
「春君、ありがとう。でも私が子供を産みたいの。私にはどうしても他の選択ができない。そうしたら、冬馬と別れる事しかできないんだよ」
春君の目を真っ直ぐに見つめて、私は笑った。大丈夫、笑っている筈だ。
「冬馬はヘタレだけど、優しいし、仕事も出来るし、めったに見かけないイケメンなんだから、いくらでも他にお似合いの人がいるよ。もともと私なんかにはもったいない人なんだし」
そう、昔から冬馬に片思いする女の子は山ほどいた。
今だって、秘書課の女の子や受付嬢たちから熱烈アピールを受けている。
冬馬だったらよりどりみどりってやつだ。
「だから、冬馬とはお別れする。なんか私の都合で春君も秋也も振り回してごめん。マンションを一緒にさがしてくれたりしたのに」
このところ、頻繁に春君や秋也と会っていた。忙しいっていいながら冬馬にかこつけてここにご飯を食べにきてくれていたから。
だけど、本当は嫌がらせをうけていた私を心配してくれて時間が空いた時に来てくれていたんだ。
風間家の男は、本当に優しい。
今も、納得いかないって顔して妊娠検査薬を睨んでいる。
「分かった。しょうがないから、冬馬には黙っとくから元気だしなよ。だけど本当にストーカーパワー信じてて?それに、桃が冬馬を捕まえててくれないと僕も困るしね」
春くんは検査薬を机におくと、私にむけて微笑んだ。
「疲れてるだろうけど、気分転換に食事にでも行く?僕の奢りで」
「ううん。具合が悪いからちょっと横になるよ。色々考えたいしさ。春君いつもありがとう」
「そっか、じゃぁ帰って冬馬の事宥めておくよ。秋也には当分顔出さないようにキツク言っておくから、来たら追い返していいからね?秋也はうっとうしいから」
天使の微笑みで秋也うっとうしいとか言っちゃうの?
まぁ、正直うっとうしいんだけど。だって凹みすぎて暗いんだもん。
「僕も、明日から海外ロケが入ってるから二週間か長引くと三週間ぐらい帰って来れないんだ。ちゃんと戸締りして気をつけてね?」
春君はそういうと私の頭を撫でてから帰っていった。・・・・・私のほうが年上のはずなんだけど。
なんであんなに落ちついているんだか。これじゃどっちが年上か分からないよ。
私は妊娠検査薬と箱をゴミ箱に放りこんだ。
そっとお腹に手を当てる。
ほんのりと心が温まってくる気がする。この子がいればきっと頑張れる。
私はもう、一人じゃない。
近い将来、二人になるんだ。
それまでしばらくの間、私の中でいい夢がみられるように。
そう願いながら、横になろうと寝室へ行こうとすると携帯が鳴りはじめた。
冬馬かな?心配してたみたいだから。これから伝えなくてはならない事を思うとさらに気が重くなる。
けれど、携帯に表示された相手はめったに電話などしてこない相手だった。
『遅いっ!さっさと出ろよ。』
あぁ、出たよ。この我儘大王がっ!
「五月蝿い。用件は?めずらしいじゃん」
智は不機嫌を装いながら、少し心配そうな声音を出していた。
その少しの声音が私を不安にさせる。
『まこは絶対電話しないから。流石の僕でもこんなのどうかと思うんだけど』
ホントに珍しく智が弱気な声を出している。
『S』になにかあったんだろうか?
『とり合えず、風間とはうまくいってるのか?』
なんだよそれ、とり合えずってそれが本題じゃないってことだよね。
まぁ、上手くはいってるけどさ、もうすぐ上手くいかなるってだけで。
「まぁね。で?なにその奥歯に物がつまったような物言い。智らしくないよね?」
猫をかぶっていない時はストレートすぎるくらいストレートな物の言い方するのに。
むしろ、ストレート過ぎてもうちょっとオブラードって言葉覚えろってくらいだ。
『今、風間と一緒か?』
「ううん。一人だけど。どうしたの?冬馬に聞かせたくない話し?」
『あぁ、というより。今から迎えに行くから支度しておいて』
???迎え?
あまりの唐突さに訳が分からず思わず携帯を耳から離してみつめてしまった。
いや、こんな事しても意味がないのは分かってるんだけどさ。
だけど、耳に当て直した携帯から聞こえてきた言葉は私の頭を真っ白にさせた。
今日は厄日か。智、今なんて言った?
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
私は早足で歩いていた。
事情を聞くのもそこそこに此処に連れてこられて智に腕を引っ張られている。
「速いって。もう少しゆっくり歩いてよ」
文句を言えば、青ざめて口をへの字に曲げた智が無言で私を睨みつけた。
だって、ホントは私なんの関係もないんだから。そんな目で見なくてもいいじゃないかっ!!馬鹿っ!!
気乗りはしない。
今は会いたくないから。
自分の中で処理がしきれてないのに張本人と会えって言われてもさ。
まぁ、智に事情を話した訳じゃないから、コレは本当に私の勝手な気持ちなんだけど。
夜といってもそんなに遅くない時間だから病院の中は明るい。
あちらこちらから僅かにテレビの音が聞こえてきたり、人のぼそぼそとした話し声が聞こえてくる。
漂う薬品の匂いに、正直吐き気をもようしてしまい、帰りたいって気持ちのほうが大きい。
智に連れてこられたのは、近くの総合病院だった。
やっと辿り着いた部屋は個室で、引き戸の前でまこさんと鉢合わせた。
私を見て大きく目を見開く。
「ばっ!!馬鹿野郎っ!連絡はするなって言っただろ?」
声は小さいけれど、ニュアンスは怒鳴っている。
「原因は桃だろ。コレ連れてこなきゃなんの解決にもならない・・・・・・」
智は声を潜めてそう言うけれど、途中でまこさんが首をふって言葉を止めた。
「違う。そうじゃない。会わせないほうがいいんだよ。桃、ごめん俺みんなにちゃんと話してなくて」
本当に申し訳なさそうにうなだれるまこさんに、首をふった。
「ううん。言わなくていい事もあるから。いいよ、ここまで来たんだもの、会って帰る」
覚悟を決めて、私は引き戸に手をかけた。
まこさんが止める前に私は病室に入ってしまう。
ベットの足元が見えて、少し進むと生気のない顔をした拓海が点滴をうってる姿が見えた。
片腕で目を隠して、苦しそうな息遣いをしている。
寝ているのだったら、顔色だけ見て帰ろうと近寄ると、急に拓海が飛び起きた。
「桃!!」
私の事を見てもいないのに飛び起きて叫ぶからびっくりした。
「うわっ。なんで分かったの?」
「桃の匂いがしたっ!」
動物かっお前はっ!!
信じられないものを見るように私を見る拓海は、テレビで感じたよりもやつれて痩せていた。
「情けない。せっかくデビューしたんでしょ。私と別れたぐらいでお酒に逃げ・・・・・・って拓海っ馬鹿っ!!点滴はずれるから危ないって」
拓海は点滴をしたまま私に抱きついてきてギュウギュウ締め上げるかの勢いで腕に力を入れる。
「桃だ。桃、桃っ!!俺別れないって言っただろっ!!何処行ってたんだよ!勝手に引っ越すし、携帯でねぇし!会社からは会うなって言われるし!」
この男はっ!!まだ、そんな事言ってるのか。
本当に情けない事に、拓海はここ最近ずっと食事を取らずにお酒に頼っていたらしい。
それでとうとう今日、栄養失調で倒れて私が呼ばれた訳だ。
こんな状態でよくテレビに出てるよ。まぁ、様子が変だとは思ってたけど。
もう、私には関係ない事だったはずなのに。
どこまで手のかかる男なんだ。
拓海は私の腰から離れる気が全くなさそうだし。
「拓海、離して。私は別れるって言ったでしょ。馬鹿みたいにお酒飲んでないでちゃんとご飯食べて歌を歌って、仕事しなさいよ」
突き放すように言っているのに、拓海は腰に回した手を解こうとはしなかった。
「あのねぇ、ゆいちゃんとの浮気だけは無理なの。どんな理由があっても、拓海が反省しても私はもう拓海を許すことは出来ないよ。それにもう、冬馬と付き合う事にしたし私の事は忘れて」
そこまで言っても、拓海は何も言わずに抱きついている。
弱り果てて、まこさんを見ると苦笑いを浮かべていた。
「ヤダ、俺が悪かったから。もう浮気しないし、殴ったり絶対にしないから」
子供じゃないんだからと思うけれど多分あまり病気をしないから心細くなっているんだ。
「だから、そういう話じゃないでしょ。浮気とか、殴られたとか。まぁ、それもどうかとは思うけど。ゆいちゃんは嫌って言ったでしょ?それは拓海が私の話をキチンと聞いていなかったし、軽く扱ってたってことだよ」
前ほどの怒りはもうない。時間が落ち着かせてくれている。それに冬馬がいてくれた。
だから諭すように、柔らかく拓海に分かってもらえるように言葉を選ぶ。
ピクンと拓海の肩が揺れた。
顔を上げない拓海の頭をそっと撫でた。
「ねぇ、本当の意味で拓海が私の事を想ってない事に気づいちゃったんだよ。拓海はただ、私を手元においておきたいだけ。冬馬に獲られたくない、それだけだったって」
「そんな事ない。ずっと桃が好きだ。まともに職についてないし、お金もないから約束できなかっただけだ。俺、デビューしたらすぐにプロポーズしようと思ってた。浮気したのは謝るから。俺と結婚しろよ。もう一度だけでいいから、俺を許してくれ」
・・・・・・・あぁ、ホントに人の話を全然聞かないんだから。
多分、子供の為には父親が必要なんだ。
ソレが分かっているから、こんな時なのに拓海と結婚の二文字に心が揺れる。
今なら、拓海との未来を思い描けるのだろうか。
情けない男だけど、ダメダメだけど。私に抱きついて格好悪いのに。
完全に突き放せないのは、子供の事が頭から離れないからなんだろうか。
何が正しいのかなんて、私にも分からない。
そっと溜息をついて拓海を見下ろしながら情で結婚生活は成り立つのだろうかと考えて
いた。
読んで頂きありがとうございます。




