1.ハーデンベルギア(運命的な出会い)
サクラ、フリージア、スイレン、ブライダルベール。この花だけじゃなく世界には約二十万種の花が存在し、その多くが花言葉を持っている。そして色や花の本数で花言葉が変わってしまうものもある。本来咲くはずのない時期にも花は咲いてしまうことがあり、これを返り咲きと言うそうです。
花に興味がなかった私がここまで詳しくなったのはきっと彼女のせいだ。そしてそんな花が好きだった彼女にはもう会えない。今はもう花言葉を贈ることしか私は出来ていない。
「今日の講義はここまで、お疲れさまでした」と大学教授の挨拶と共に皆が一斉に立ち上がり話始める。いつもより随分と周りが騒がしい。それもそうか、明日からは待望の春休みなのだから、こんなに盛り上がっているのも仕方がない。それなら周りと同じように私も・・・とはならない。
盛り上がれるのは何か楽しみがあるか、それともこれからその楽しみを作るかのどちらかがないと気分は上がらない。
生憎、私にはどちらもないしそれを一緒に決めようとする友達もいない。だから私にとって今日はいつもと何も変わらないただの一日に過ぎない。
教材とノート、忘れないように筆記用具もカバンに詰め教室を出ようとした瞬間、私の苗字を呼ばれた。
「樋口さん!」
名前を呼ばれると反射的に体が向いてしまうのは人間の性なのだろうか。私は咄嗟に振り向いてしまった。
「は、はい」
「今度、みんなでスノボー行くんだけど樋口さんも良かったら参加しない?」
そう言ってきたのはこのクラスの・・・あぁだめだ。名前が思い出せない。
普段から人のことを避けて生きている私は、自分のクラスメイトの名前すら覚えていなかった。
「私は大丈夫です・・・みんなで行ってきてください」
「えー行ってみようよ。きっと楽しいよ?」
「でも、私は多分楽しめないから」
「そんなことないって」
「ほんとに大丈夫ですから」
彼女の期待に応えられないのは申し訳ないが基本的に私は一人が好きなので誘いは受けないことにした。
すると輪の中にいた一人が口を開いた。
「香織ーもういいじゃん。来たくない人誘っても意味ないって。自分から壁作ってるやつに優しくしても時間の無駄だって」
そうだ、彼のおかげで思い出せた。彼女の名前は中村香織だった。
「ちょっと、裕太!」
「何、俺正論言っただけじゃんー」
彼の言う通りだ。一人で過ごすのが好きな私に大人数で旅行に行くから来て欲しい。そんな交わらない平行線の意見を並べたところで時間の無駄だ。ただ、だからと言って相手に正論をぶつけるのが正しいと思っている彼の内面には共感出来そうにない。
「ごめんね。樋口さん、裕太が余計なこと言って」
「全然大丈夫です。じゃあ、私はこれで」
そう言って私は、その場を立ち去った。
普段から一人でいることに対して私自身、焦燥感や劣等感を抱くことはなくむしろその方が気楽でいいと思っていた。周りから見れば、友達がいない寂しい奴と思われているのかもしれないが私はそれを望んでいる。
一人で過ごせる趣味として定番なのが読書だ。私も例外ではなく読書が好きだ。読書は私の感情を唯一刺激してくれる貴重なものだ。
フィクションの中に出てくる人物の感情は文字になっているためか割と読み取りやすく、分からなければまた読み返せばいい。
けれど現実は相手の表情や仕草で感情を読み取れても、心の中で本当は何を思っているのかまでは分からないし嘘をつかれてしまえば真実を知るすべはなくなってしまう。私はそんな現実が嫌いだ。
大学を後にした私はフィクションを求めて書店へ足を運んでいた。書店は大学から徒歩で約十分程度の距離にある。見慣れた景色に酔いしれるわけもなく、ただただぼんやりと道を歩いているといつのまにか書店の目の前にある信号までたどり着いていた。
ここの信号いつも長いんだよなと心の隅で思いつつも、好きなフィクションに会うための等価交換だと思い渋々待っている。
信号が青になり、丁度半分渡りきろうとした瞬間――
「ねえ!そこのあなた!」
突然大きな声がしたので一瞬身構えたが名前を呼ばれたわけでなないので振り向くことはしなかった。
「ねぇ!聞こえてる?ねぇ」
何度も同じ言葉が聞こえてくるので早く気づいてあげればいいのにと密かに思っていた。
「ねぇ!あなたに話しかけてるんですけど!」
そう言いながら彼女は私の前に立ちふさがった。
私は一瞬呆気にとられてしまった。まさかそれが自分に話しかけているなんて微塵も思っていなかったから。
「え、私?」
「そう!あなた!あなたに話しかけてる!」
そこに立っていたのは私と同じくらいの背丈で、自然な茶褐色の髪が肩まで伸びており、触れれば溶けてしまいそうな、透明感溢れる肌をしている女の子だった。透き通ったその瞳は辺りを気にすることなく真っ直ぐに私を見つめている。
「わ、私に何の用ですか?」
とまるで猫が見慣れないものに不安を抱くように、私は彼女に恐る恐る聞いてみた。
すると、彼女はそんな私の気など知らずにこう言った。
「あ、そのことなんだけど!その前に、信号渡らない?轢かれちゃう」
彼女の一言で、自分が信号を渡っていてその信号が点滅していることに今気が付いた。渡っている途中で止まるなんて、自分の命を手放そうとしないかぎりありえないだろう。それでも渡っていることを忘れてしまうほど彼女の存在感は強かった。
「いやー危なかったね!二人とも死んじゃうとこだったよ!」
「危ないって、あなたから・・・声かけたんじゃ・・・」
「ははっ、そう・・・だった!ごめん、ごめん!」
二人とも急いで信号を渡ったため息があれている。二、三秒息を整えてから彼女に問いかけた。
「で、私に何の用ですか?」
「あ、そうそう!突然なんだけど私と友達になってくれませんか?」
少しの間考えたが行きつく答えはどれも同じで、「この人は一体何を言っているのだろう」だった。見ず知らずの人にいきなり友達になって欲しいなんてそんな狂気じみたことよく軽々しく口に出来るな。仮に私が良からぬことを考えていたらどうするのか。利用されて人生お終い、なんてこともあるかもしれないのに。
「何を言ってるんですか?そんなの無理に決まってるじゃないですか」
「えーなんでー!友達になってよー!」
その様子はまるで小学生が母親におもちゃを買ってよとおねだりする光景にとてもよく酷似していた。
「だって、私あなたのことよく知らないし。急に友達になってって言われてもただ困るだけです。それに見ず知らずの人にそんなこと言わない方がいいですよ」
「いや、そうなんだけど!友達になってお互いの事知っていこうよ!私と友達になっても後悔なんてしないよ?」
「後悔とかじゃなくて、一人でいることが私は好きだから。それに私は友達なんていらない。友達なんか作ってもいいことなんて一つもないから」
「そんな寂しいこと言わないでよー」
「私、時間ないんでもう行きますね」
これ以上、怪しい人と会話をするのはよくないと思いその場を後にしようとすると、彼女は驚くべきことを言った。
「えー、一緒に本買いに行こうよ」
彼女の言葉を聞いた瞬間、背中を氷で撫でられたような感覚に陥った。
「え、なんで私が本買いに行くこと知ってるんですか?」
「いや、書店に向かって歩いて行ったからてっきりそうかなーって・・・」
書店の前をただ通り過ぎるだけかもしれないのに彼女は見事、私の行動を言い当てた。
「なんか怪しいんですけど・・・。私の事つけてたりしないですよね?」
彼女は誤魔化す様に別の方向に視点をやる。すると彼女は苦し紛れにこう言った。
「してない、してない!分かった、じゃあこうしよう!あなたが買うつもりの本を私が買ってあげる!」
「いや大丈夫です」
「いいって!遠慮しないで!」
「申し訳ないのでほんとに大丈夫です・・・」
「そこをなんとか!」
胸の前で手を合わせて少し前かがみになる彼女に私はどうしていいか分からなかった。
周りに目を向けるとちらちらと通行人の視線が私たちに突き刺さってくる。それもそうだ、歩道で手を合わせながら懇願する女の子をひたすら拒み続けているこの状況は、他の人の目に入らないわけがない。けれど、このまま彼女の事を何も知らずに一緒に行動を共にするのはさすがに不安だったので、まずは彼女がどんな子か知ることにした。
「じゃあまずあなたの素性を教えてください」
「分かった!えっと!私はね!」
そういうと彼女は自分のことについて喋り出した。
彼女の名前は吉野芽依というらしい。歳は私と同じ十九歳で最近この辺りに、引っ越してきたという。趣味は花を観ることで道に咲いている花を何時間も観ることがあるそうだ。彼女の振る舞いからも分かるように、天真爛漫で人懐っこく私とは正反対の性格の持ち主。そんな彼女がなぜ私と友達になりたいか不思議で仕方がなかった。
「はい!私はこんな感じ!次あなたの番ね!」
そういうと私の辺答を心待ちにしているかのような面持ちでこちらを見ていたので、さすがの私も答えないと心が痛む気がした。
「樋口真奈。あなたと同じ十九歳でS大学に通ってる。趣味は読書で目の前にある書店に本を買いに来たの。そしたら突然、変な人に絡まれて今とても困ってる状況です」
「人を変な人扱いしないでよー!悪い人じゃないって!」
悪い人じゃなくても、突然見ず知らずの人に友達になって欲しいと言う人を私は変な人だと思わずにいられなかった。
「でもあなた多分本読むタイプじゃないですよね?来ても楽しくないと思うけど・・・」
私は呆れながらそう言った。しかし、彼女は全く引こうとはしなかった。
「実は私も花に関する本が欲しかったんだ!だから一緒に行ってもいいよね!お願い!」
ただついてくるためだけの嘘か、それとも本当に花に関する本が欲しかったのか、私には分からなかったがここまで言われるとさすがに断るに断れない。幸い、彼女の振る舞いからも悪意のようなものは感じなかったし、今起きているこの状況から一刻も早く事を運びたかったので、渋々彼女の言葉に従うことにした。
「もう分かりました・・・そのかわり私の邪魔はしないでくださいよ」
「はーい!」
そんな活気ある彼女の声を耳に私たちは書店へ入っていった。
書店に入った彼女の第一声は、「はぁ~あったか~い」だった。
彼女がそういうのも仕方ない。三月前半は気温的にまだまだコートが必要だというのに彼女の格好ときたらジーンズにロングTシャツ、その上からカーディガンを羽織っているだけの春を先取ったような服装。実際もうすぐ春だが今日の気温を耐え凌ぐには少し物足りないようにも思えた。
「そんな恰好してるからだと思いますよ」
「だってもうすぐ春だよ!今日が寒すぎるだけ!それより、どう!」
「どうって何がです?」
「服だよ、服!可愛い?」
「いいと思いますよ」
「もう全然興味なじゃん!」
あまりに適当に返す私に、彼女はちょっとふてくされた様子でこちらをじっと見つめてきた。彼女の言いたいことはよく分かる。おそらく、とても似合ってるよ。素敵だね。この類の言葉が欲しかったのだろう。生憎、私は人が何を着てようと特に気にすることもなかったし、ましてやファッションを褒める機会などあるわけもなくすぐに言葉が出てこなかった。
店内は五階まであり、それぞれのフロアごとにジャンルが分かれ地下には漫画やライトノベルなども展開されている。町で一番大きな書店ということもあり店内には老若男女、様々な人がこの書店を利用していた。そんな書店のエスカレーターに私たちは身をゆだねた。
「で、どんな本買うの?雑誌?参考書?」
「どっちでもないです」
「え、もしかしてエッチなやつ・・・?」
あまりの突拍子もない答えに私は虚を突かれ、動揺せざるを得なかった。
「違います!なんでそうなるんですか、ただの小説です!」
全力で否定する様子の私がおもしろかったのか、彼女は必死に笑い声を抑えようと口に手をあてていた。書店の中だからという彼女なりの配慮らしい。
そんな会話をしながら私たちは三階の小説コーナーについた。
「じゃあ私こっちで小説探してるのであなたも花に関する本、探しに行ってきてください」
「分かった!探してくる!」
そういうと彼女は一目散に本棚の陰に消えていった。このまま彼女の事を置いて逃げ出そうとも思ったが、なぜか体がいうことを聞かない。それをしてしまうと、罪悪感のせいで眠れない気がしたからだ。
きっと彼女なら幽霊にでもなって「なんで置いて行ったの!」と問い詰めて来そうな気がした。そんな未来を想像すると余計に立ち去れなかった。
あれから十五分程経っただろう。一冊は面白そうな本が手に入ったが二冊目は中々巡り合えなかった。いい本に巡り合えるのは運命的なものと言った人に是非拍手を送りたい。
そんな二度目の運命的な出会いを求めていると、私が一番好きな小説を見つけてしまい気付けば二冊目を探すことをやめて一番好きな小説を読むことに没頭していた。街中で好きな曲が流れてくると耳を傾けてしまったり、CMに自分の好きな女優や俳優が出ているとつい見てしまう、あの感覚に近いのだろう。
物語はこうだ。平安の時代一人の男がいた。彼は上級貴族で、もちろん娶る相手も同じ上級貴族かそれ以上でなくてはならない。しかし、彼が心を寄せた相手はまさかの下人の女。当然そのようなことが認められるはずもなく周りの人間は猛反対した。自らの父にはどうしてもというなら己が身分を捨てろとまで言われた。だが、男は迷わなかった。身分を捨て女を娶ったのだ。そして男は女にこう言った。「叶わぬ願いはない。決意と覚悟さえあれば」と・・・
「決意と覚悟か・・・」
「私にはあるかな?」
「うわっ!びっくりした。脅かさないでよ」
そこには本を探しに行ったであろう彼女の姿があった。普通に喋りかければいいものをわざわざ耳元で言うなんて。
「ごめん!ごめん!脅かすつもりはなかったって!」
「脅かすつもりがない人は、後ろから喋りかけないです!」
「ははっ!確かに~」
「それにあなたの中に決意と覚悟があるかなんて私には分かりません」
「まぁ私も分かんないけどね!」
何故だろう、彼女と話していると調子が狂う。
「それよりその本好きなの?」
「え、これ?はい・・・」
「この本、有名だよね!私も読んだことあってすごく好き!」
彼女のその言葉に心の底から何かが湧き出るような気がした。
「え、ほんとですか?読んだことあるんですか?やっぱりいいですよね!自分の身分を犠牲にしても一人の女性を思う所とか!そのための決意と覚悟に何のためらいもない所とか!ほんとに素敵ですよね!」
しまったと思った。自分の好きな小説を共有できた喜びに胸が高鳴って、ついつい口早に喋ってしまったのだ。私の顔が赤面するのにそう長くはかからなかった。
「ははっ!真奈って意外とロマンチストな物語が好きなんだね。顔すごく赤くなってるよ」
「からかわないでください!それにあなたも自分でロマンチストって言ってるようなもんですよ」
「そうだよ!私ロマンチストだもん!」
私とは違い彼女は照れるどころか自慢げにそういって、照れる私を見て面白そうに口に手をあてて笑っていた。
花の本を探しに行った彼女だがどうやら気に入った物はなく、結局私だけが本を買うだけだった。
再び私たちはエスカレーターに乗り、一階にあるレジへ向かった。
「ほんとに買ってあげるよ?」
「大丈夫です。初対面の人に買わせるなんてさすがに出来ません」
もし彼女に本を買ってもらってしまったら、それを口実に友達になってと言われてしまうかもしれない。そうなれば、否が応でも友達になるしかない。それを断れるほど私は偏狭な人になりたくない。
性格も真反対だし悪気がないとはいえ人の事をからかうし、彼女と性が合わないなんて一目瞭然だ。
それにきっと彼女も、さやかと同じだったら・・・そう思うと余計に友達になろうとは思えなかった。
レジには数人程度しか並んでおらず、私はすぐにレジへ通された。店員が本のバーコードをスキャンすると画面には八百円の文字が浮かび上がり、改めて本が高いことを確認した。どうせなら、本当に買ってもらった方が良かったのでは。なんて魔が差したが、そのせいで一人の世界が壊れるのは嫌だったのでそのまま会計を終えた。
出口に近づくたびにあの寒い中をもう一度歩いて帰ると思うと少し気が引けたが買った本を早く読みたいという気持ちの方が大きかった。
外に出ると冬の厳しい風が容赦なく私の顔を撫でていく。それは彼女にも同じことで「凍え死にそう・・・」と何度も言葉を繰り返していた。
彼女との行動もこれで終わり。彼女が悪い人じゃなかったのは不幸中の幸いだが、もう二度と知らない人と行動を共にするのは止めようと心に誓った。
「じゃあ私こっちなんで、もう行きます」
「どうしても友達になってもらえないの?」
「気持ちは嬉しいんですけど、ほんとにごめんなさい」
ここまで私と友達になろうとする彼女を私は拒絶した。自分がしたことは彼女をきっと傷つけただろう。それでも私は友達を作りたくない。
裏切られるのはもう嫌だから・・・
「分かった、一緒に本を探せて楽しかった。ありがと」
そう別れを告げた私たちは、別々の方向へと歩き出した。
別れ際の彼女の表情は太陽に雲がかかったみたいだった。そもそもなぜ私なんかと友達になろうとしたのか、自分で壁を作る人間なんかと一緒にいても愉しいはずないのに。そんなことを考えると道を歩くたびに視線も感情も落ちていく。それが嫌で逃げるように私は今日の夕食のことを考え始めた。
S大学には自宅から無理なく通える距離だったが一人暮らしをしてみたいという好奇心にかられ、両親に一人暮らしをしたいと告げると、母は特に反対はしなかったが父はそうもいかなかった。
もう大学生にもなるのに少し過保護すぎるのではないかと思ったが、母いわく心配から来るものみたいだ。話し合いに話し合いを重ね、なんとか父の説得に成功することが出来た。しかし、一人で生活してみたいとはよく言ったものだ。料理に洗濯、掃除を全て一人でこなすのは中々の重労働で、ただの好奇心で一人暮らしを選んだ過去の自分を叱ってやりたいと思った。と同時に母の偉大さが身に染みるように分かった。そんな理由で私は今日の夕食の献立を考えざるを得なかった。
「はぁ、今日何作ろうかな。めんどくさいな」
考えたはいいものの億劫になりついつい独り言が漏れてしまった。
「うーん。今日は肉じゃがが食べたいかな~」
「肉じゃがかー。確かにありかも。えっ・・・」
耳を疑った。それはさっきそこで分かれたはずの彼女の声がすぐ横から聞えてきたからだ。
「いや、なんでいるんですか。あなた帰ったはずじゃ・・・」
「来ちゃいました!」
「来ちゃいましたって・・・」
「だってまだ友達になってないじゃん!」
「もしかして友達になるまでついてくるつもりですか?」
「もちろん!」
彼女を傷つけた罪悪感に悩まされていた私がばかみたいだ。傷つくどころか毅然とした態度で彼女は答えた。
「どうして私とそこまで友達になりたいんですか?それともただからかってるだけですか?」
何故だろう。俯瞰してみれば、こんな私と友達になろうとしてくれている彼女にかける言葉ではなかった。それなのにその場にいる私は、彼女の行動が理解できないばかりに棘のある言い方で彼女に当たってしまった。子供みたいに。
けれど、彼女は躊躇わずに答えた。
「違うよ。私はあなたに伝えなきゃいけないことがある。今はまだ言えないけど、あなたにとって大事なことなの。だからあなたと友達になりたい。お願い」
この時の彼女の表情は、今でも忘れたことがない。それは今までの彼女の笑顔とは対照的で、どこか悲しげで憂わしげな表情をする彼女に私は言葉を失った。そしてもう諦めるしかないとも思った。
「分かりました。そこまで言うなら・・・」
「ほんとに!友達になってくれるの?ありがと真奈!」
とは言ったものの、一人で過ごすことを選んできた私には、そう簡単にすぐに友達だとは思えなかった。
それからさっきの表情はどこへ行ったのか、天真爛漫な彼女の笑顔が帰ってくる。それと同時に、私の心にあの言葉が強く引っかかった。今日会ったばかりの相手に伝えなければならないこと。彼女があれほど真剣な顔で言うくらいだ、並大抵のことではないと思ったがいくら考えても私には分からなかった。
気付けば時刻は十八時を回っていた。本を買いに行っただけなのに随分と時間が経つのが早いと感じる。それもそう、突然現れた彼女に普段は乱れない自分のペースを乱されたのだから時間を気にする余裕なんてなかった。
周りには仕事を終えた人が足早に帰宅する様子が目に映った。それと自分の願いが叶った嬉しさで終始笑顔の彼女も。
「さっきから随分と嬉しそうですね」
「当たり前だよ!真奈と友達になれたんだから!」
「それはよかったです。それよりあなたいつまで付いてくるんですか?一様もう友達にはなったんですけど」
建前上、彼女の前では友達という体で話を進めることにした。
「そうなんだけど、一緒に肉じゃが食べようと思って」
何の迷いもなく彼女の口から放たれたその言葉は私の足を止める、十分すぎる理由だった。
「冗談ですよね?」
「本気だよ」
少しの間、私の思考が停止したことに気づいたのか「おーい」と私の顔の前で手を振る彼女。私たちの横を数人の学生が通り過ぎ、その話声で私は我に返った。
「それはだめ!」
間髪入れずに彼女の言葉を遮るように言った。
「えーーー何でよ!一緒に食べたい!」
彼女は本当に子供っぽい。いや私が言える立場ではないか。
「実は今喧嘩して、家出してるの。だから助けて!」
「絶対嘘ですよね?顔に書いてます」
「ねぇ、真奈お願い!」
明らかに嘘だとは思った。けれど私の悪い癖だ。フィクションに落とし込んでしまった。これがもし本当で、彼女が一晩この寒い夜に公園で野宿をして何か事件に巻き込まれでもしたら、少なからず私は人生で一生消えることのない後悔をすることになると思うと断りたいのに断れなかった。本を読み過ぎた弊害がこんな形で出るなんてと少しだけ後悔した。
「分かりました・・・そのかわり食べたらちゃんと家に帰ってくださいよ」
彼女は私の手を取りながら微笑んだ。
「分かった!ありがと!」
一人暮らしをしているからよかったけど、私が実家暮らしだったらどうするつもりだったんだろう。それでも構わず食べに来たのかな。彼女は遠慮と言う言葉を知らなさそうだ。
「それよりあなた、家出って喧嘩でもしたんですか?」
「まぁそんな感じかな!」
「あなたでも喧嘩とかするん・・・・」
そう私が最後まで話し終わる前に彼女は話の腰を折った。
「ねぇ!さっきからあなたあなたって私には芽依って名前があるんだけど!それに友達なんだから敬語はいらないよ」
なんだそんなことか。いや、彼女にとっては大事なことなのだろう。今のは心の中にしまっておこう。
「呼ばなくちゃだめですか?なんか恥ずかしいんですけど」
「当たり前じゃん!友達でしょ?ほれほれ~」
「絶対からかってますよね?」
「そんなことないってば!ほらはやく!」
「芽・・・・依・・・」
「はははっ!なんか初めて言葉を覚えたロボットみたい!」
「絶対からかってますよね」
「だって、ただ名前呼ぶだけなのにぎこちないんだもん!」
そうやって笑い転げる彼女に不満げな顔が少しの間収まらなかった。
それから私たちは、食材を買いに行くために近くのスーパーに寄った。書店から徒歩で、ものの十分程度でつく距離にある。いつも買い物をする時に利用するスーパーだ。といっても彼女に取っては初めてだろうけど。ついてすぐに彼女はカゴを取りカートに乗せ、あたかも人気なテーマパークに来たかのようにはしゃいで店の中に入っていく。「真奈も早く!」そう言われ私も彼女の後に続いた。
店内にはたくさんの主婦や家族連れで溢れており、レジにはお会計待ちの人で列が出来ていた。それもそうだ、時刻は十八時半になりそうでスーパーの混雑する時間帯といえば今ぐらいだろう。そんな店内を歩き始め私たちは野菜コーナーを物色し始めた。
「何買おっか!」
「とりあえず、じゃがいも、人参、玉ねぎは欲しいです」
「えー私人参いらない」
「嫌いなんですか?」
「変な甘み醸し出しててやだー」といいながら彼女は顔を歪めた。けれど、私の作る肉じゃがには人参が入っているので彼女の意見が通ることはなかった。
店内にはさらに人が増える。人が増える分店員もより一層、忙しそうにしている。そんな中を掻き分け私たちは精肉売り場で肉を物色していた。豚肉を入れるか牛肉を入れるかで私達は長々と議論した。このままだとスーパーの閉店時間が来てしまうと懸念した私は豚肉を入れることを諦めた。どうしてあそこまで牛肉に拘るのか。議論の最後まで彼女はお肉で一番おいしいのは牛肉、そう言っていた。性格だけでなくお肉の好みも彼女とは対照的になることが多いみたいだ。
材料はあらかた揃ったのでレジに向かう。タイミングが良かったのかそれほど並ばずに会計を済ますことに成功した。今のご時世、袋は有料になっているためエコバッグを持ってこなかった自分に少し後悔する。たった数円だが、ちりも積もればなんとやらだ。
スーパーを出た私達は、他愛のない話を繰り返しながら大通りを歩いていた。等間隔に並ぶ街灯が商業ビルを照らしており、都会らしさが如実に伝わってくる。
そんなビルばかりある交差点を少し行った先に花屋が見えた。最近出来たのだろう、初めて見る花屋だ。私はこれといって花に興味があるわけではなかったので、綺麗とはおもいつつもそのまま通り過ぎた。けれど花好きの彼女は違ったみたいだ。花屋を見た彼女は少し強引に私の腕を引っ張り花屋に駆け寄った。
「真奈見て!色んな花が売ってあるよ!」
「ほんとですね。結構置いてある。そういえば吉野さんって花を観るのが趣味なんですか?」
名前で呼んで欲しいと言われたが余りのぎこちない言い方に彼女から「言いやすい方でいいよ」と言われたので一定の距離を保てそうな苗字で呼ぶことにした。
「うん!花を観てると心が落ち着くし、季節が変わる度に咲く花も違うから飽きないし、何より花ひとつひとつに花言葉があるの!素敵だと思わない?」
「そ、そうですね。そんなに花が好きなんだ」
互いに読書と花の鑑賞、好きな物は違うけれど好きなものに対しての熱量は2人とも高かった。
「ちなみに私、どんな花の花言葉も言えるよ!」
「じゃあこのマリーゴールドの花言葉は?」
「健康とか、変わらぬ愛」
「これは?」
「クリスマスローズね!確か私を忘れないでっていう花言葉だよ!」
「なんかちょっと重いですね」
「えーそうかなー?私は一途ですごく素敵だとおもうけど!」
「吉野さんはどんな花が好きなんですか?」
「んー私は桜が好きかな!ちなみに桜の花言葉は優美な女性とか純潔って意味があるんだよ!どう、私にぴったりでしょ!」
「優美な女性に純潔。吉野さんにはいい意味で似合ってないですね。いい意味で」
「なんで2回も言うの!しかもそれ絶対ほめてないよね!」
店内に他のお客さんはいなかったため私たちの声がよく響いた。すると店の奥から店員らしき女性が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ、どんな花をお探しですか?良ければ何かお手伝いしましょうか?」
「あ、すみません。買うつもりはなかったんですけど、花が好きでついお店に入っちゃいました・・・」
彼女が咄嗟にそう答えた。
「そうだったんですね。是非ゆっくり見ていってください!なにかあればお手伝いするので!あ、そうだ!」
店員は何か思い出したかのように慌ててレジ裏の棚に走っていった。数分程待っていると奥から店員が走ってくる。
「これイベントで使った花なんだけどもう廃棄になっちゃうからよかったらどうぞ!二人にぴったりだと思って!」
店員の手には十本ほどの花束が握られていた。
「フリージアだ!え、いいんですか?あ、でもこれっていくらしますか?」
「いいのいいの!お金は大丈夫だから是非もらって!」
「ありがとうございます!見て真奈、めっちゃきれいな花だよ!」
言いながら彼女は私にその花束を見せてきた。花同士が揺れ合い柑橘系の爽やかな匂いやすっきりとした上品な匂いが鼻先を擽った。そこに刺激はなく、ただただ心が落ち着いていくばかりだった。
白、黄、オレンジ色の華やかな色合いでそよ風のような優しい花だ。花に詳しくない私は、フリージアという名前を聞いてもピンとは来なかったけれど、どんな人が見てもその花が放つ華麗さについ見とれてしまうほど、綺麗に咲いていた。
私も例外ではなかった。私ですら見とれていたのだ、彼女はというと。顔はほころび幸福感に溢れ普段の彼女の笑顔にさらに拍車がかかっている。
そんな花を店員の女性は丁寧にラッピングをしてプレゼントしてくれた。受け取るとき彼女はそっと優しく抱きしめるようにフリージアの花束を胸の中に引き寄せた。まるで我が子を抱きしめるかのように。
私たちは改めてお礼を言い花屋を後にした。一つだけ疑問に思ったのは店員が放った「二人にぴったり」という言葉だ。何を思ってぴったりだと言ったのか私には分からなった。その花が持つ華やかさなのか、いやそれはないだろう。少なくとも私には華やかという言葉はお世辞にも似合わない。花に詳しい彼女なら何か分かると思い聞いてみた。
「あのー吉野さん」
呼ぶと「んー?」と一言だけ返事が返ってきた。
「このフリージアっていう花が私たちにぴったりって店員さんは言ってたけどどういう意味ですか?」
「あーそれはね!多分花言葉だよ!フリージアの!」
「どんな花言葉なんですか?」
「親愛の情とか友情って意味があるの!」
彼女の言葉に私は驚いた。
「周りからみたら私たちってそんな風に見えてたんですか?」
「みたいだね!」
「本当は今日あったばかりなのに・・・」
「ははっ!じゃこれからはもっと仲良くならないとね!この花の花言葉が似合うくらい!」
なれないよ・・・。だって私はそれを望んでいないから。
時刻は十九時を回っており太陽は自分の仕事を終えその仕事を引き継ぐかのように空に月が昇っていた。住宅街の夜道に月の光が差し込んでくる。同時に私の側にいる彼女からは、沈んだはずの太陽のような輝かしい笑顔が溢れていた。彼女といるといつでも太陽と月を同時に見れそうだ。
私が住んでいるアパートはもう目と鼻の先であと数十メートルの距離だった。
手前にある信号を二人で待ちながら私は不意にあの言葉を思い出した。【私に伝えなきゃいけないこと】。この言葉がどうしても頭から離れない。いっそのこと直接聞いてみることにした。彼女なら誤魔化して答えてくれないかもしれないが。
「ずっと気になってたんですけど【私に伝えなきゃいけないこと】ってなんですか?」
「ん?何、何、気になるのー?」
「そりゃあ、まぁ一様・・・」
「・・・実はね」
彼女の真剣な眼差しが私を貫く。私も固唾を呑んで見守る。
「私、実は真奈のお姉ちゃんなんだ!」
「私一人っ子ですけど・・・」
「実は腹違いの姉妹で小さい頃に分かれちゃったから真奈は覚えてないんだけど!お姉ちゃん、久しぶりに会いたくなってきちゃったの!」
「嘘ですよね?」
「ほんとだよ」
「え、ほんとなんですか?」
衝撃の事実に私は一瞬その場で立ち止まり歩みを止めない彼女に視線を向け続ける。
すると立ち止まった私を気になったのかゆっくりと振り返り彼女はこう言った。
「ごめん、今の嘘」
笑いをこらえているのが目に見えて分かったので、私は彼女に冷たい視線だけを浴びせるともう一度「ごめんってば」とあどけない様子で笑って答えた。
「でもそんなに気なるー?」
「気になりますよ。今日あったばかりの人に伝えなきゃいけないことって並大抵の事じゃないと思いますし」
「確かに並大抵の事じゃないんだけど。でもごめん、今はまだ言えない。真奈が気になるのもすごく分かる。けど、もう少しだけ待ってくれないかな?」
まただ。ずるい。彼女の笑顔からかけ離れた、悲しげで憂わしげなその表情をされるとこれ以上聞くことをやめてしまう。
「分かりました。なら話したくなったら話してください。あとその表情、吉野さんには全然似合ってないですよ。笑ってた方がいいと思います」
なんでそんなことを言ったのかは自分でも分からない。「似合ってない、笑っていた方がいい」なんて友達みたいなこと、言う必要がないのに。
けれど、彼女の笑顔が曇ってしまうのはなぜか嫌だった。
私の言葉を聞くと彼女は「ありがと」と一言だけそう言った。
それから程なくして私たちはアパートについた。私が住んでいるアパートは学生向けに作られたもので家賃もそこそこに抑えられているが、その割に内装も綺麗で中々いい物件に巡り合えていた。
階段に足をかけると私はふと我に返った。今日会ったばかりの女の子と一人暮らしの自分の家で夕食を共にしようとしている。私はじんわりと冷や汗をかいてきた。それもそうだ、普通なら初対面の人を自分の家に上げてさらに食事を共にするなど恐怖以外のなにものでもない。
「あの、やっぱりやめませんか?ご飯一緒に食べるの・・・」
「え、なんで!」
「なんか、ちょっと怖くなってきたというか・・・」
「あ、もしかして私が真奈に変なことすると思ってるんでしょ!」
私の考えていることを見透かされ言葉に詰まってしまう。それを見た彼女は私の不安を取り除こうと必死に言葉を繋いだ。
「そんなことしないって!ほら、危険だと思うならボディーチェックでもなんでも受けるから!」
手を横に大きく広げ危険なものを持っていないと十分にアピールする彼女の様子は少し可笑しかった。
階段を登り切り部屋の鍵を開けドアノブに手をかける。ここまできたらもう覚悟を決めるしかない。それに幸い彼女からは危ない匂いはしなかったので大丈夫だろうという自分の勘を信じ、念のため神頼みもしておいた。
「ただいま、ただいま!」
玄関に入ると彼女もその言葉を放った。心の奥底で「そこはお邪魔しますだと思うけど」と一人で彼女に突っ込んだのは内緒にしておこう。
リビングに入る前に彼女には洗面台で先に手を洗うように促し私はリビングへ入った。ドアを開けると私はその情景をいつの間にか忘れていたことに気が付いた。椅子の上にはベランダから入れたであろう洗濯物の山が出来ており、机の上は大学で貰ったプリントや教材で溢れかえっていた。自責の念に駆られていると後方から手を洗い終えた彼女が走ってくる。
「これはなんというか、すごいね・・・」
「そういえば忘れてました・・・」
「ふふっ!真奈もそういうとこあるんだ!なんか安心した!」
私にどういうイメージを持っていたのかは分からないけど普段から几帳面なタイプではないし基本的に家事は向いていないのだと一人暮らしをして気付いた。そのせいか家事を後回しにする癖がつき今の現状に至るわけだ。
「じゃあ一緒に片づけよっか!私洗濯物畳むから真奈は机の上片づけてよ!」
「そんなことしなくていいですよ。私がやってないのが悪いし」
「いいって!私が急に押し掛けたのも悪いし、二人でやった方がはやいでしょ。あ、もしかして洗濯物見られるの恥ずかしいとか?」
「そういうわけじゃないんですけど・・・」
「じゃあ、手伝うよ!」
申し訳ないと思いつつ微笑みながら言う彼女の優しさに甘えることにした。
机の上を整理しながら、洗濯物を畳む彼女の方をちらりと見る。そこには、綺麗に畳まれていく服の様子が私の目に映った。
日頃からやっているのか、中々の手際の良さだった。てっきり家事とは無縁の人だと勝手に思いこんでいた。人は見かけによらないとはこういうことだろう。二人で分担したためそれほど時間はかからなかった。私は改めて彼女にお礼を言った。
夕飯を作る前に先に花屋で貰ったフリージアが枯れないように水を入れた花瓶に飾っておく。せっかく頂いたものだ、すぐに枯らしてしまっては勿体ない。
ドアの向こうのキッチンには既に肉じゃがを作る準備をしている彼女の姿が映った。
「真奈、早く作ろうよ!もうお腹すいて死にそうだよー」
「とりあえず野菜洗って切らないと・・・」
「じゃあ私切る!まかせて!こう見えて上手いんだか・・・」
「ちょっとまってまってまってまってまって!」
「え、どうしたの?」
「とりあえず洗ったほうがいいかと。それにその包丁の持ち方・・・」
彼女の右手を見ると包丁の柄をすべての指で握っており、安全な包丁の握り方とは到底言えなかった。
「私が切るんで吉野さんは野菜洗ってもらえると助かります」
「分かった!適材適所ってやつだね!」
「洗濯物手際よく畳んでたんで料理も出来るって勝手に思い込んでました」
「服を畳むのと料理は全然違うよ!真奈は料理は出来るの?」
料理は・・・と言われた時点で家事が得意じゃないと彼女に認識されてしまったようだ。けれど、料理は別だった。これは母の影響が大きいのだけれど、子供の頃から料理が得意な母に教わっていたので、ある程度は自炊が出来るようになっていた。
「一様それなりには作れます。自炊した方が節約にも繋がりますし」
「え、すごい!私、料理はからっきしだめだからなー。羨ましい」
肩を落としながら言う彼女に「練習すれば吉野さんも出来るようになりますよ」と声をかけ、料理に取り掛かった。
じゃがいもの芽にはソラニンという毒があるため取らなければ食中毒になる。じゃがいもが外敵から身を守るために手にした唯一の武器だろう。その唯一の武器を綺麗に取り除き、乱切りにしていく。人参も同様に乱切りにする。人参を見る度、彼女は不服そうな顔をしていた。余程嫌いなのが伝わってくる。
玉ねぎを切った際には自然と涙が流れて、彼女に「悲しいことでもあったの?」とからかわれた。反論すると彼女に笑われるのでそのまま何も言わずやり過ごした。
玉ねぎを炒めていくとあの甘い匂いと香ばしい香りが空腹の二人の鼻腔をすり抜ける。そこに人参とじゃがいも、牛肉を加えるとさらに空腹が加速する。
味付けは濃い目がいいと彼女は言っていたが、私はどちらかと言えば薄味が好みだ。スーパー同様ここでも議論しあったが、肉を譲ったと強めの切り札を切ったため薄味にすることに成功した。
肉じゃがを煮ていると彼女が上目遣いをしながら聞いてきた。
「ねぇちょっとぐらい味見してもいいよねー?」
肉じゃがから醸し出される甘辛い醤油の香りに彼女の空腹は耐えれなかったみたいだ。小皿にお出汁と少量の牛肉とじゃがいもをよそい、引き出しにある割り箸と一緒に彼女に渡した。
「熱いからふぅふぅしたほうがいいですよ」
そう助言したにもかかわらず、彼女はすぐさま口に肉じゃがを運び入れた。息をかけて冷ませばいいものを勢いよく口に入れたせいで、美味しいと言う前に「アチッ・・・」という分かり切った反応を見せた。
「だから、熱いって言ったじゃないですか」
「ん~でも美味しい~!ねぇ、はやくご飯にしよ!」
彼女の空腹さは見ての通りだが、私の空腹も限界が来ようとしていた。
今夜の献立のメインは肉じゃがだ。健康面を意識して冷蔵庫にあったレタスやキュウリなどでサラダを作り、レタスの切れ端を捨てるのは勿体ないのでそれでお味噌汁も作った。
普段の自炊と何も変わらなかったがひとつ違うとすれば誰かと食事をするということだ。いつもは一人だが、今夜は目の前に私と同じ年の女の子がいる。
家族以外の人と食事を共にすると思うと少し緊張してくる。フィクションの中でよく目にする異性との食事は少なからず緊張する、とはこういうことだろう。彼女は同姓だが私には大した差はなかった。
「じゃあ手を合わせて!いただきます!」
誰もが一度は聞いたことがあるその掛け声にどこか懐かしさを感じ、私も「いただきます・・・」と続いた。
「ん~めっちゃ美味しいー!真奈の味付け優しくて好き~」
「お口にあってよかったです」
「真奈って料理上手だよね!いいお嫁さんになりそう!」
「そんなに褒めたって何も出ないですよ」
人に料理を褒められるのは案外嬉しいものだ。
「お味噌汁もサラダも美味し~。料理出来る女の子ってポイント高いらしいよ?」
「そうなんですか?でも性格がこれだから結局マイナスだと思います」
「えー真奈可愛いし、料理出来るから絶対モテると思うのに~」
「可愛いなんて初めて言われました。それに私より吉野さんの方が絶対モテるでしょ?愛想いいし」
「そりゃもう、ありとあらゆる世界中の男性を魅了してきたよ!」
「・・・男性ってこれで騙されるんですか?」
「これって言うな、これって!」
この後も夕飯を食べながら、会話は続いた。二人とも食べ終わるころには二十一時を優に回っていた。彼女と共にした食事は自分が思っていたよりも有意義な時間だったと思える。
ただ彼女はこれからどうするのか。家に帰るのか?はたまた・・・どうしてだろう、なぜか嫌な予感がする。
「真奈、今日泊めて!」
心の準備をしておいてよかったと思う。そうでなければまた私の思考が停止したに違いない。
「何言ってるんですか、約束が違います。ちゃんと帰ってください」
「そんな冷たいこと言わないでよ~。真奈お願い~」
そういいながら泣きついてくる彼女から距離をとる。一度捕まれば「いいよ」と言わない限り離さしてくれなさそうな勢いだったから。
「お願いって・・・ご両親は心配しないんですか?」
「さっき友達の家に泊まるってこっそり連絡したから大丈夫!」
相談もせずに勝手に話を進めないで欲しい。
「急に言われても困りますよ」
「そこを何とか」と頭を下げながらお願いする彼女。
「こんな寒い夜空の下にぴちぴちの十九歳を放り出すの?世の中物騒だって言うのに・・・」
なぜ彼女はこんなにも私の弱みにつけこむのがうまいのだろう。そんなことを言われれば断れない。私が従順すぎるのが原因なのか。
「吉野さんは本当にずるい」
そう答えると「えー?なんのことかな?」と彼女はとぼけた。
そして私はまたもや狂気じみた選択をしてしまった。今日だけで何度同じ過ちを繰り返せば気が済むのだろう。その日、彼女は私の家に泊まることになった。もちろん今日だけという約束をして。
泊まることになった彼女をとりあえずお風呂場に連れて行った。潔癖ではないといえど、お風呂には入ってもらいたい。
「真奈は入らないの?」
「吉野さんの後で大丈夫です」
「一緒に入らなくていいの?」
にやけながら言う彼女に「追い出されたくないなら早く入ってください」と辛辣な言葉を投げかけると慌てたように入っていった。
それから少し経った後、彼女はお風呂から上がってきた。
「真奈ーお風呂あがったよー!ありがと!」
「どういたしまして」
「服まで借りちゃってごめんね!」
彼女の手持ちには、俗に言うお泊りセットなどは持っていなかったので代わりに私のパーカーやらスウェットやらを貸してあげた。身長も体型も私とさほど変わらなかったためサイズの心配はなかった。
彼女と入れ替わりで私もお風呂に入り、就寝するための準備をした。
洗面台で歯を磨く。彼女の歯ブラシはもちろんないのでいつしか旅行の時に貰っておいたものを使ってもらった。歯磨き粉はどうやら彼女が使っているものと同じじゃないらしく、磨くたびに「この歯磨き粉、苦いよ」と愚痴をこぼした。
家にはベッドが一つしかないため一人は床で寝ることになる。もちろん彼女は客人なのでベッドを使ってもらおうとしたが彼女は頑なに断った。「背中が痛くなるから吉野さんがベッドで寝てください」と言ったが「それは真奈も同じでしょ?」と言い返された。
結局押し問答の末、私がベッドで彼女が床で寝ることになり、風邪をひかないように毛布と枕の代わりに少し厚めのタオルを渡すと「ありがと」と言って朗らかな笑顔を見せた。
目を閉じると今日の事を思い出す。昨日まで平穏だった日々が彼女が現れたことにより、体験するはずのない経験をたくさんした。誰かと一緒に本屋に行ったり、買い物をしてそれから料理も一緒にした。出来るだけ人と関わりたくないのに彼女はやけに私に関わってくる。彼女は一体何者なんだろう。そんなことを思っていると彼女がささやくように話しかけてきた。
「真奈ーまだ起きてる?」
「・・・」
これ以上彼女と話すと、また私の弱みにつけこんで何かしら無茶な要望を突きつけられるかもしれない。そう思った私は寝たふりをした。が彼女には通じなかった。
「起きてるよね?寝たふりしてるのばれてるよ」
「なんです?」
「明日は何か予定あるの?」
「明日はバイト休みなんで特には何もないです」
「バイトしてるんだ。どこでバイトしてるの?」
「近くの雑貨屋です。無理言って一人暮らしさせてもらってるので少しでも生活の足しにと思って」
「えらいねー。ならバイトがある日は私が留守番役でもしておこうかな」
「なんでそうなるんですか。ちゃんと家に帰ってください」
私の言葉の後に妙な沈黙が走った。一瞬寝たのかと思ったがそうではないらしかった。
すると「あのさ・・・」と放つ彼女の声に微かな緊張が感じられ、私は顔をそっと床で寝ている彼女の方へと向けた。
「そのことなんだけど、三月の終わりまでここにいてもいいかな?」
彼女のその言葉を聞き「えっ!」と私の意志よりも先に、反射するように喉から声を漏らしながら飛び起きた。本気で言ってるのか冗談で言っているのか私には分からなった。本気で言っているのであれば少しも笑えない。
「さすがに冗談ですよね」
「本気で言ってる」
そこは冗談だと言ってほしかった。
「さすがにそれは・・・というかご両親になんて言うんですか?」
「親には親戚の家にしばらく泊めてもらえることになったからって言った」
だから、なんで勝手に話を進める。
「それでも心配されるでしょ・・・」
「大丈夫だって。私の親、意外と放任主義だから。それに真奈は私のお願い聞いてくれるはずだよ」
「え、なんでです?」
「だって私まだ真奈に伝えなきゃいけないこと言ってないもん」
「それとここに居続ける話はまた別でしょ」
呆れた口調で彼女に言うと「全然別じゃない!むしろここに居ないと言えないことだよ!」と自信満々に答える。
「ならもう言わなくていいんで自分の家に帰ってください」とさらに彼女を突き放した。
けれど、彼女は全く引き下がろうとはしなかった。書店に着いてくる時も、友達(建前上)になるまで着いてきた時も、彼女は私の意見に左右されることなく自分の意思を貫き通してきた。けれど、私の家に三月の終わりまで居たいというこの常軌を逸した発言だけは、許容するわけにはいかなかった。彼女がここに居れば親しくなってしまう。そうなれば友達になってしまうかもしれない。それだけは避けなければならなかった。
「吉野さんが何を言ってもここに居させることは出来ません。大人しく帰ってください」
彼女に背を向けながらそう答え私は再び布団にもぐった。それを見た彼女も「真奈のけち」と吐き捨てるように体を反対方向に向けた。
これでいい。人と親しくならなければ友達になることもない。そうすれば、私が中学で体験したあの出来事のようなことも起こらない。
その日眠りについた私はあの時の出来事を夢に見た。




